見出し画像

IT化やグローバル化はWhyではなくHow

noteを続けることに成功しました。第二回目!すごい自分!

アロハ、映像を作る人のTomo Watanabeです。


記入が必要な書類はネットでダウンロードできるけど、それを提出しに役所まで行かないといけない。この矛盾皆さん感じたことありますか?笑
今日はそういう話です。


みなさん唐鳳(Audrey Tang)さんって知ってますか?
(まぁ私は知らなかったんですが...)

台湾人のデジタル政策を担当する大臣の方で、今回のコロナに伴い、マスクのネット予約、実名店舗購入制度を実施したことで有名になりました。


コロナ云々の前のこちらの記事(ちょっと記事のタイトルはClickbaitな感じで好きじゃないんですが)を読んで素敵だなーと思ったのでご紹介します。

まずはこちら

―日本では2020年度から小学校でもプログラミング教育が導入されるなど、IT教育への関心が高まっています。

プログラミング教育は、問題を解決するための手段にすぎません。デジタルスキルとプログラミング教育はまったく別のものだということです。プログラミング教育に反対はしませんが、第2外国語の学習と同じで、学んだとしても結果的に使えなくては意味がありません。

私は、プログラミング教育よりも「素養」(教養)を涵養するような教育を重視すべきだと考えています。台湾ではこれまで「競争力」を重視するかのような教育が行われてきましたが、現在では「素養」を重視するように教育方針が変わりました。自発的で、ともに助け合い、共通の利益を求めるという3つの要素を重視する教育への転換です。日本の教育政策の方向性は正しいと思いますが、台湾ほどのエネルギーは発していないかもしれません。

HowとWhy

私たちはよくこのような「手段」に囚われすぎな気がします。もっと言えば「手段」が「目的」にすり替わってしまいがち。本質は「手段」にはなくて、「手段」を使ってどうするのか、それを経て何を見出すか、なぜそれをする必要があるのか。そこを理解しなければいけないなと思うんです。


社員が英語を話せることがグローバル化ではなく、英語を使ってコミュニケーションをとって、より多くのアイディアを吸収しようという姿勢を得ることがグローバル化ではないでしょうか。
言語は思想と生活を反映しています。100%の翻訳というのが存在しないのは、思想と生活がその言語圏によって全く違うからです。だから言語を理解するというのは、表面的な意味だけでなく、文化から抽出された全く新しい景色を理解することだと思うのです。

プログラミングができることがIT化ではなく、テクノロジーによって、人の負担を減らし効率化を図り、それで人にしかできないことに注力することがIT化ではないでしょうか
全ての資料をデジタル化しても、その所在が整理されていなかったら、それをチマチマ探すことになって、結局ハードコピーをペラペラめくることと変わらくなります(むしろもっと非効率)


目の前のことに追われすぎて、ミクロな視点でしか動けなくなると、手段が目的になるんです。旅行に行って楽しむことが目的なのに、予定を詰めすぎて逆に疲れる、みたいな。

余裕が必要なのかな。もっと俯瞰的に物事を捉える。一歩引いて、目を細めて、ボヤーっと物事を見てみる。


Tangさんはこう続けます。

―ITが普及・深化する一方で、「デジタルデバイド」の問題が残ります。例えばITに慣れない高齢者と若者、また都市と地方との格差は解消しますか。

ITの目標は、人間の自然な生活に近づいていくことです。逆にいえば、人間社会がデジタル技術に合わせる必要はありません。例えば高齢者の方がキーボードで入力できないというなら、タッチペンで書けるようにすればいい。VR(仮想現実)でいろんなことが体験できるようにすれば、学習曲線といったものはなくなります。

デジタル技術はもっと謙虚であるべきです。人間に寄り添い、多くの人間が技術の恩恵を受けられるようにすべきです。1位になれ、トップを目指せ、という技術競争を追求してそれについていけない人を生み出すのではなく、どのような技術がどれだけの人を取り込めるかを考えることが重要です。

ですから、高齢者はIT社会で何一つ変わる必要はありません。ITのほうこそ、人間に近くなるように調整されるべきなのですから。

新しい技術やテクノロジーは導入できるところから導入すればいい。今までやってた仕事100を0にはできないかもしれない。ついていけない人がいるかもしれない。そしたら100を、まず60まで落として、余った40の力でついていけない人に対応したり、その人たちのために解決策を考えたりすればいいのではないかな。

結局、IT化は「手段」で「目的」はみんながハッピーになること。こういう「真意・思想を読み解く力」「考える力」みたいなものを皆が持っていないと、幼稚園からプログラミング始めようが、なにもかわらないんじゃないかなぁ。


映像作る人がなんの話しとんねん

まぁ、そうなんですけど、笑

映像というのは私にとっての「手段」=Howなんです。考え、思想、哲学、信念っていうものを伝えるっていうのが私の「目的」=Whyなんです。映像という媒体が自分にフィットしただけで、それは写真でも音楽でも絵でもデザインでもスポーツでも演技でもコントでも起業でも文章でもよかったんです。私は映像を使ってストーリーテラーになりたいんです。なので物事をよく理解し、それを美しく紡ぐのが私のWhyです。


最後に

あなたの日々の選択、あなたの仕事の背景にある哲学や価値観はなんですか。本質を忘れないでください。一息ついて、周りを見渡してみてください。あなたの今しているHowはあなたのWhyへのステップになってますか。


追記

Tangさんのように物事を本質的に捉えることのできる、様々な業界のプロフェッショナルを政界にどんどん取り込むべきだなーと。そういう意味では本当にクリエイティブディレクションが国にも必要だ。


サポートいただけたら、子供にアンパンマンチョコを買わせていただきます。家庭が少しの間、平和になります。