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生まれた!帝王切開と、私の涙 tsunaのきろく#17



tsunaのきろく#17
破水から前駆陣痛を経て、帝王切開へ。
はじめての手術室、涙のtsunaさん。


ここまでの経過はこちら↓


※前駆陣痛が落ち着いたので、夫は帰宅しています。

12/8 17:00過ぎ。
陣痛のの痛みは、麻酔を時々投入して、分娩台の手すりにつかまりながらやり過ごしていました。ずっと身体の左側を下にして横になっていたら、麻酔の効きが左右非対称で、立つの危ないからと尿管をとられました。人生初の尿管。

18:00 夕飯。もちろん食べれず。

19:00頃 本格的に陣痛が戻ってきていたせいか、私の血圧が爆上がりしていたようで、これ以上血圧を上げないために、麻酔は1時間ごとに、病院側で管理して追加されることになりました。(時間で機械が勝手に追加してくれる。)
また、何度も血液が逆流していた模様。このとき、子宮口は3センチ。まだまだかかりそうです。

その後、定期投入された麻酔のおかげで痛みが和らぎ、23時前まで爆睡します。私は無痛以外もう考えられない…普通分娩のみなさん、本当に尊敬します…!

23:00頃 寝起きで朦朧としている中、やってきた看護師さんに「子宮口は入り口は狭いけど、奥は6センチくらいあるかも」「張りも進んでるよ」「血圧下げるの優先してる」「明日先生に朝診てもらって、促進剤使うかだね」と言われました。

「明日かぁ…今日はこのまま分娩台の上で大人しく寝るしかないのかなぁ」なんて呑気に構えていたら、その後看護師さんがバタバタと来ました。

「赤ちゃんの心拍が下がったり、戻ったりしています。様子を見てるんだけど、また下がるようだったら、帝王切開になります」


入院の時、先に帝王切開の書類にサインしておくのは、緊急時書いてられないからですねー…と身をもって体験しました。

12/9 0時頃
先生の診察があり、帝王切開の可能性について話がありました。「子宮口7センチまで開いていて、本来赤ちゃんが回転しながら降りてくるはずが、通常と違う向きで降りて来ず、時々心拍低下して苦しくなってる」と。
ここで夫を再び呼び戻し、万が一のために待機。

1:30頃
慌てたように看護師さんがきて、そのまま車椅子に乗り、あれよあれよという間に手術室へ。夫とは会話できず、軽くアイコンタクトとったくらい。 私も夫も、手術前に「がんばるんだよ!」「うん、いってきます!」みたいなやりとりをする時間があるものかと想像してたのですが、そんな間はありませんでした。笑

手術台に移るのに、自分で移ろうとすると麻酔ですでに身体がふらふら。支えられながら、おいしょと自分で手術台の上に乗りました。その後、結構時間をかけて麻酔の管を通されたり、呼吸器(?)をつけられたり、アンダーヘアを剃られたり(笑)、手術の準備をしていました。
それから先生が揃ってオペが始まるまでの間の、なんとも言えない時間が、私は強烈に記憶に残っています。

なぜなら、身体が震えていたからです。
止まらなかった。
自分でコントロールが効かない、そんなことははじめてでした。


初めての手術。
環境がそうさせたのか。
子どもを産むことに対しての恐れなのか。
痛くもないのに、怖いと言うのは不思議な感覚で。

先生が揃って、オペが始まりました。

12/9 3:00頃。無事に、生まれました。

生まれた赤ちゃんの声を聞いて、一瞬だけど赤ちゃんの顔を見せてもらって。なんでかわからないけれど、涙が出てきて止まらなかった。

安心したのかな。
生きてて良かったって。
私、命をちゃんとお腹の中で育ててこれたんだって。
妊娠期間、妊娠高血圧症のこともあって余計に、お腹の中にいる命がなくなってしまったらという恐怖がずっと付き纏っていた。そこの荷が、降りたのかもしれません。

先生や看護師さんに「頑張りましたね」って優しく言われて、余計に涙が出ました。入院中もあんまり愛想のない厳しめに見えた看護師さんだったから、余計に、かも。笑

お腹を切って縫うまでの処置はとても早かったです。前後のほうが長かった。浮腫防止の医療用の弾性ストッキングをはかされました。
もう生んだ安心感からか、看護師さんに「重くてすみません、女性たちだけで移譲するなんて、力仕事をしていてすごいですねー」とか言ってた。なんの余裕でしょうか。笑

明け方4:00頃
術後の部屋に移動。
夫と対面。真っ暗な部屋の中、他にも休んでる方がいるので、コソコソと話しました。赤ちゃんはこの時はいなかったけど、夫が手術室から出てきた赤ちゃんの写真を撮ってくれていて、見ることができました。

家族には連絡してもらいました。「生きてます」と。

最終的に子宮口は9センチまで開いていたそうです。

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