見出し画像

逗子での3.11鎮魂演奏

東日本大地震から11年が経った。あの日は高校2年生で、部活中だった。100人近くでの合奏で、演奏していたひな壇の上がとんでもなく揺れた。
「死ぬ時ってここで電気とかが落ちてきてそれであっけなく終わったりするんだろうな」
と妙に冷静な感性を持った記憶がある。

その後ただの地震ではなかったことがわかり、歩いて自宅まで帰った。歩いても30分で家まで着いて、近くて本当によかったと思った。
その日は電気もつかなくなり蝋燭で過ごし、中学の頃に作った防災ラジオが役にたったような気がする。
コロナの時と同じくらいの非常事態
毎日津波の映像がテレビで流れてCMはACのものが異常に流れて憂鬱になった
今毎日戦争の映像が流れているのと重なる

もう11年経ち、だいぶみんな忘れているというか風化しているという気はする
その当時は海辺から引っ越す人が急増したそうだが、今はあまり関係なく海辺も売れる

日本人は本当に過去の特に嫌な記憶を消し去りやすい性質な気がする


逗子では今まではお店もだすようなイベントとして3.11追悼をしていたが、今回はコロナのため献花ブースのみ
なるべく人が滞留しないように気をつけなければならなかった

門下の仲の良い先輩が、震災の翌年から毎年ずっと追悼でトランペットを演奏しており
今年は二カ所に分かれて演奏するということでお声がけいただき、東逗子の方で演奏することになった

東逗子を取り仕切るのは逗子の老舗不動産屋の住和不動産さんで、家業が不動産屋なんですと会長ともお話できて貴重だった

ヨークマートの前なので黙祷が始まる直前まで誰も人がいなくてちょっと悲しかったが、黙祷の瞬間には多少の人がいた。

住宅街に向かってふるさとを演奏。
無伴奏で黙祷の後に吹くのはそれなりのプレッシャーで、ミスしたら本当に恥ずかしいなと心配したが大きなミスはなかった。
日本の街中で吹くのは初めてだったが、思いの外音が響いた。なんとも言えない背徳感の中吹き終わると

素晴らしかったのでもう一曲!と追悼なのに何故かアンコールをいただいて、アメージンググレイスを演奏した。


終了後は先輩を実家にお招きしてサウナに入った。
そしてなんと山崎ウィスキーをいただいて、サウナから出てから飲むという贅沢…

先輩とは思い出話から金融の話まで楽しく過ごせた
やっぱりサウナは良い

この記事が参加している募集

ふるさとを語ろう

サポートをいただけたらうれしいです。帰国の渡航費の足しにします。