マガジンのカバー画像

音楽と言葉

43
クラシックの音楽家たちによるエッセイ集。#音楽と言葉 ライター: 齋藤友亨(トランペット奏者) 副田真之介(オーボエ奏者) 馬場武蔵(指揮者) 出口大地(指揮者) 山口奏(チェロ…
運営しているクリエイター

2020年5月の記事一覧

クラシックの音楽家によるエッセイをまとめた共同マガジン「音楽と言葉」

身近にクラシック音楽を生業にしている人はそういないだろう。 ・食べていけるとは思えない ・なぜなろうと思ったのか ・どんな人たちが「クラシックで食っていこう」などと思うのか 全てが理解不能だし想像もつかないだろう。アンケートサイトで職業の選択をするときはほぼ「その他」になるし、ひどいときは「その他・無職」と一括りにされる。一度だけ「アーティスト」という欄があるのを見たが随分感動したものだ。 音楽を職業にする人たち音楽を職業にする人たちは変わった人が多い。「音楽で食べ

命日、スメタナを想う

5月12日。1884年のこの日にスメタナは60年の音楽家人生を終えた。 136年前の出来事だ。ふとそれを思い出したので、スメタナの室内楽について書きたいと思う。 ベドルジハ・スメタナはチェコを代表する作曲家で、指揮者でありピアニストだった。今でこそ作曲家として名高いが、彼のキャリアのスタートは天才ピアニストからだった事はあまり広く知られていない。 スメタナが生きた時代、チェコは独立への切望の中にいた。長くオーストラリアの支配下にあった反動から、国民は祖国への愛を強く持つよう

自分にとっての室内楽

初めに書く文章として、自分が何で出来ているのかを書くのが良いような気がした。日本にいる残り数ヶ月、自分を見つめ直す良い機会として。 そして同じように日本でクラシック音楽を学び留学を考えている人や、心の底から室内楽を愛している人の目に留まればと思う。 私は9歳でチェロを始めた。 学校にある弦楽合奏の部活に入って何とは無しにチェロを選んだ。ソロを学ぶのではなく、みんなで音楽するための道具がチェロだった。始めて数ヶ月で音楽の道に進む事を決めたが、これだけでも、私を構成するものが相

トランペットを始めて半年の頃にユースオーケストラにいってみた時のこと

初めてオーケストラの中でトランペットを吹いたのは小学6年生の秋だった。まだトランペットを初めて触ってから1年弱、習い始めてから半年の頃だった。 逗子には「湘南ユースオーケストラ」というユースオーケストラがあり、家のすぐそばの小学校で練習をしていた。指導は前澤均先生という逗子にお住いの元N響のヴァイオリニストの先生。 家でドラクエ8をやっていたら神代先生から突然電話があり「座っているだけでいいから今からユースに行ってみなさい」と言われ、体験に行った。 初めてのオーケストラ

初めてのオーケストラ

数日更新しなかったら指名されちゃったよ! ということで、僕の初めてのオーケストラ体験について書きます! 当時の僕は中学3年生、吹奏楽でユーフォニアムはじめて3年目、ビッグバンドで(バス)トロンボーンを初めて1年ちょい。 とにかく色んな音楽をやってみたかった上、その前年にエーテボリ交響楽団/ネーメ・ヤルヴィの来日公演を聴いてからオーケストラ音楽を聴き始めてた僕は、学校のトロンボーンを持ち出し、中学高校(一貫校)の先輩が入っていた湘南ユースオーケストラの門を叩きました。

いっぱしの呑兵衛に赤ワインは作れるか

「酒を、作りたい」  世の呑兵衛なら、誰しもが一度は見る夢。  時には仲間と楽しく盛り上がるお供として、時には仕事のストレスを一人慰める夜のお供として、また時には気になるあの子とお近づきになるお供として。いつでも酒は我々呑兵衛のそばに寄り添い、素敵な時間を生み出してくれる。  そして我々は日々酒に愛情を注ぎ愛でるように飲むうち、また愛ですぎてお財布が寂しくなっていくうちに、一つの発想にたどり着くのである。 「これ、自分で作ったら安上がりでない?」  以下で述べるのは

「月に憑かれたピエロ」に憑かれた僕(5)

「月に憑かれたピエロ」(以下「ピエロ」)は、オーストリアの作曲家アルノルト・シェーンベルク(Arnold Schönberg, 1874 - 1951年)による、アンサンブル伴奏付き連作歌曲(全21曲)です。 先にお断りしておくと、この記事は「ピエロ」の紹介記事・解説記事・ファン記事のどれでもありません。 なので、「ピエロ」自体について詳しく知りたい方は、こちらに川島素晴先生(作曲家・国立音楽大学准教授)の素晴らしい記事と演奏動画がありますので、そちらを御参照ください。

教授と1週間デンマークへクルージングに行った時の話

この時期にヨットクルーザーでデンマークに行かないのは3年ぶりだ。ドイツ留学での恩師ヘルムート・エルプ先生はバルト海に面したドイツ北端の街にヨットクルーザーを持っていて、毎年クルージングへ連れて行ってくれた。 門下に入る一年前にも旅行に誘ってくれ、それがあったおかげで先生の教授最後の1年に習うことができた。2019年と2018年の写真を両方とも貼っていく。 ドイツの港町 ドイツは知っての通り内陸の国で魚はほとんど食べない国だが、唯一バルト海だけはある。ハンブルクやキール、

音楽家が映画「蜜蜂と遠雷」を見て冷めたポイント

Unextで「蜜蜂と遠雷」という映画がでていたから見た。原作は「六番目の小夜子」でも知っていた恩田陸で、若きピアニストたちを描いている作品。 職業柄音楽家を描く作品はイラっとしてしまうことが多いのだが、「のだめカンタービレ」だったり「4月は君の嘘」などおもしろい作品も知っているから少し期待して見始めた。 ※ネタバレを含みます 文学を映像にするとストーリーをなぞるだけになる文学的な小説を実写化した作品で原作よりもおもしろいものを見たことがない。文学は激しいストーリー展

バンベルク いいオケもおいしいビールもある南ドイツの街

南ドイツには美しい街がたくさんある。 フランクフルトから西に2時間ほど、留学していたヴュルツブルクから1時間ほどのところにバンベルクという人口7万人ほどの小さな街を紹介しよう。 ヴュルツブルクと同じくフランケン地方でオーバーフランケンと呼ばれる地域で、ドイツで最も美しく保存されているとも評される旧市街はユネスコ世界遺産に登録されている。 バンベルクの旧市街 バンベルクの旧市街は伝統的な木組みの家と石畳というスタイルになっている。街は川で囲まれており、城壁の代わりと

小学生の頃イギリス帰りの友達がトランペットを教えてくれて先生を紹介してくれた話

noteはこのシンプルでスタイリッシュな雰囲気によってちょっときつい自分語りもイケてるエッセイのようにしてくれる。気がする。だから意外と音楽家の友達にも話す機会が少ない「トランペットを始めたきっかけ」について長い自分語りを書いてみよう。吹奏楽部で始めたわけではないから珍しいタイプだと思う。 「音が出せない」楽器をやってみたかった子どもの頃から多少ピアノには触れていたものの機会がなくて習ってはいなかった。バレエを習っていたからなのかクラシックはとても身近で、みんなが聴いていた

「月に憑かれたピエロ」に憑かれた僕(4)

「月に憑かれたピエロ」(以下「ピエロ」)は、オーストリアの作曲家アルノルト・シェーンベルク(Arnold Schönberg, 1874 - 1951年)による、アンサンブル伴奏付き連作歌曲(全21曲)です。 先にお断りしておくと、この記事は「ピエロ」の紹介記事・解説記事・ファン記事のどれでもありません。 なので、「ピエロ」自体について詳しく知りたい方は、こちらに川島素晴先生(作曲家・国立音楽大学准教授)の素晴らしい記事と演奏動画がありますので、そちらを御参照ください。

「月に憑かれたピエロ」に憑かれた僕(3)

「月に憑かれたピエロ」(以下「ピエロ」)は、オーストリアの作曲家アルノルト・シェーンベルク(Arnold Schönberg, 1874 - 1951年)による、アンサンブル伴奏付き連作歌曲(全21曲)です。 先にお断りしておくと、この記事は「ピエロ」の紹介記事・解説記事・ファン記事のどれでもありません。 なので、「ピエロ」自体について詳しく知りたい方は、こちらに川島素晴先生(作曲家・国立音楽大学准教授)の素晴らしい記事と演奏動画がありますので、そちらを御参照ください

「月に憑かれたピエロ」に憑かれた僕(2)

「月に憑かれたピエロ」(以下「ピエロ」)は、オーストリアの作曲家アルノルト・シェーンベルク(Arnold Schönberg, 1874 - 1951年)による、アンサンブル伴奏付き連作歌曲(全21曲)です。 先にお断りしておくと、この記事は「ピエロ」の紹介記事・解説記事・ファン記事のどれでもありません。 なので、「ピエロ」自体について詳しく知りたい方は、こちらに川島素晴先生(作曲家・国立音楽大学准教授)の素晴らしい記事と演奏動画がありますので、そちらを御参照ください。