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「男性から女性への戸籍上の性別変更 手術無しで認める」決定についてあれこれ。権利運動のたびに巻き散らかされるヘイト・モラルパニックに付き合う必要はない。

7月10日朝、高裁がトランスジェンダー女性の戸籍上の性別変更について、いわゆる性別適合手術無しでも変更を認める決定をしました。

この裁判の決定については、すでに予想されたことですが、SNS上ではすさまじいヘイトスピーチが吹き荒れています。
そのほとんどはトランスジェンダーの実態にそぐわない(無知、というか無関心からくる)誤解をベースにした空想の代物でしかない上、そこに悪意ある差別扇動とデマをまぜこぜにした、内容的にも醜悪としか言いようがないものです。
当事者の方においてはわざわざヘイトに触れる必要はないので、ツイッター等のコメント欄は見なくてよいと思います。

今回のnoteではこの件について、思ったことを書いていこうと思います。
ただ今回の裁判については割と紆余曲折ありましたし、決定自体にも少し複雑な論法が使われてるので、少し整理しつつ、あれこれ述べていこうと思います。


今回の裁判の経緯について

アレコレ話すまでに、とりあえず今回の裁判がどういう性質のものだったのか、簡単ではありますが見ておきたいと思います。
私は法律の専門家ではないので、この辺りについてはより詳しい人がより正確に話してくれると思いますし、ニュースでもおおむね説明されていますが、念のためざっと解説していきます(だいたい知っているヨ、という人は目次から「たしかに手術無しでの変更は認められた。だけど……」まで飛ばして大丈夫です)。

争われた「生殖不能要件」と「外観要件」

まず、今回の高裁決定までは、割と複雑な変遷をたどりました。
大前提としてこの裁判は、トランスジェンダーの女性が、いわゆる性別適合手術無しでの性別変更を求めて申し立てたものです。
これまで性別変更については性別適合手術が必要とされていて、手術無しでの変更は認められていませんでした。その法的根拠が「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律(いわゆる特例法)」の第三条の四・五です。以下がその文言。

 生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること。
 その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えていること。

https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=415AC0100000111_20220401_430AC0000000059

その内容からトランスジェンダー界隈?においては、四号を「生殖不能要件」五号を「外観要件」という風に呼んでいます。
その両方を満たすためには性別適合手術が必須であり、結果として戸籍の性別を変更するには性別適合手術が必須条件となっていました。

今回の裁判は、この二つの正当性について、争われた物でした。
この手の訴えの定番として、地裁・高裁はほぼ何もせずに棄却され、最高裁に判断がゆだねられるのが常です。

先に違憲とされた四号案件

今回の裁判も同様の経緯をたどり、昨年に最高裁判決が出ました。それは四(生殖腺不能要件)を違憲とするものでしたが、一方で五号(外観要件)については(複数の違憲であるという個別意見とともに)高裁に改めて差し戻しするという物でした。

ですので今回の高裁決定はまず、この五号要件について審議されたものであるという点を押さえる必要があります。

元から曖昧さを含んでいた「外観要件」(男女で異なっていた)

さて、ここで少し厄介な話をしなければなりません。
この2つの条項については、トランスジェンダーの女性とトランスジェンダーの男性で、元から少し事情が異なっていたという点です。
というのもトランスジェンダー男性の場合、医療的な事情(機能的な限界や侵襲の大きさ)もあって、五号(外観要件)に関しては特例法制定当時から実質的に無視されていたのです(より正確に言えば「ホルモン治療によって肥大化したクリトリスで外見的には近似していると見なせるから」というロジック)。
そのため、トランスジェンダー男性については基本的に四号さえ満たしていれば性別変更が認められていました。いわゆる内性器(子宮・卵巣)の摘出さえ行えば条項を満たすと見なされていたわけです。
そのため最高裁判決によって四号(生殖不能要件)が違憲とされて以降、内性器摘出無しで性別変更が認められるようになってきました。

なお、それ以前にもトランスジェンダー男性が四号要件をめぐって争った事案はありましたが、その時は合憲であるとして訴えが退けられています。
いずれにしても五号要件に関しては、トランスジェンダーの男女で要件のハードルや認定に元から大きな差があったという、ようは曖昧さを含んだ要件だったわけです。


今回の判決は、そのような中で五号要件について判断するものだったのです。

たしかに手術無しでの変更は認められた。だけど……

これまでの経緯を振り返ったところで、今回の決定はどのようなものだったのかを見ていきます。
まず、五号要件に関しては「手術が常に必要ならば 憲法違反の疑い」としており、現状の手術が必須とされている状況に関しては違憲の疑いがある、としています。
しかし外観の要件について「公衆浴場での混乱の回避などが目的だ」と認めた上で、ホルモン治療等での変化によって「手術なしでも外観の要件は満たされる」という形で、変更を認めるという形になっています。

画期的ではある。でも保守的

今回の裁判は被告がいるわけではなく審判なので、五号要件の違憲性について再び最高裁が判断することはありません。
つまり、五号要件の違憲性については正面からの判断を避けた形になりました。
ただこれは、見方を変えれば、元から曖昧……というよりもご都合主義的に運用されていた五号要件の「解釈を拡大しただけ」ともいえます。
そのため、違憲判決で死文化した四号要件と異なり、五号要件については、(少なくとも法改正がなされるまでは)今後も曖昧さは残るものの、建前上は個別のケースで判断(「ホルモン治療で女性的な体になっていることなどから性別変更を認める」かどうか)が行われることになります。
弁護士である仲岡しゅんさんはこのようにツイートしています。


この辺りのロジックは非常に裁判所論法的というかお茶を濁したというか、とにかく煙に巻くようなわかりにくさがあるので、トランスジェンダーについてある程度詳しい人でも勘違いしているケースがあります。

自分の感想を述べると、最高裁がわざわざ個別意見を付けた上で差し戻ししたことを考えると、かなり保守的……というか逃げた判断であると言わざるを得ないと、私は考えています。
もっとも実際の運用を考えると、これはトランスジェンダーの男性が性別変更する際の五号要件の解釈と近似するものなので、おそらく今後は似たような形での運用・審判がなされると考えられます。
何よりトランスジェンダー女性の戸籍変更に性別適合手術が絶対的な要件ではなくなったのは確かなので、戸籍上の性別移行についてはかなりハードルがさがった、とみなしても良いと思います(ただし差別的なバックラッシュが起きる危険に関しては、注視する必要があります)。

しかし、このような保守的な判決ですら、デマと妄想を混ぜ込んだヘイトスピーチが大量に巻き散らかされるのが、トランスジェンダーの置かれた現状です。

そもそも五号要件とは何のためにあるのか?

では、そもそも五号要件とは一体何のために存在するのでしょう?
この要件がトランスジェンダーの女性とトランスジェンダーの男性でかなり運用が異なっていたことはすでに説明しました。
というのも実体として、この要件は最初から「トランスジェンダー女性を狙い撃ち」にしたものだったからです。
つまり、公衆浴場やそういった場において「ペニスを持つ人」が入り込むと秩序が乱れる、あるいは犯罪に繋がる、という理屈から、盛り込まれました。
このロジックはトランス差別において今でも頻繁に使われています。

マジョリティの「安心」のために強要される手術

しかし実際のところ、戸籍変更の要件から性別適合手術を無くしたら犯罪が増えるというのは、あまりに荒唐無稽な話です。
すでに多くの国で手術要件は廃止されていますが、それで性犯罪が増加したというデータは存在しません。
犯罪するならば、わざわざ性別移行などという極めて大きな面倒ごとを背負う必要が無いからです。この手の「女性だけのスペース」に犯罪のために侵入する人は、戸籍なんて関係なしに侵入します。
また、忘れてはならないのですが、女性だけのスペースで犯罪を犯すのは男性だけではない、女性も犯罪を犯すことがあります。

つまり、トランスジェンダーの権利と性犯罪の増加には一切関係性が無く「トランスジェンダーの権利を認めると女性の安全が脅かされる」といった言説自体が、虚構の対立、はっきり言って差別扇動のデマであると断言できます。
この辺りは、過去に書いたnoteも参照してください。

ならば一体この要件は、何のためにあると言えるのでしょう?
突き詰めればそれは、マジョリティであるシスジェンダーの安心のための条項でしかないのです。
しかし、安心のためならば他人の体を傷つけてよいのでしょうか?それは、他人の体を傷つけることを正当化するほど釣り合いが取れる代物なのでしょうか?

高井ゆと里さんは、このように明らかに不釣り合いな目的から身体的な侵襲を条件として付きつけられることのおかしさを、様々な例え話で表現しています。

例えば、アルバイトによる売り上げの略取を防ぐために、採用したバイトの右手を切断しようと言ってる店長がいたら、明らかに間違っていると思うでしょう。「採用するバイトが売り上げを盗むのではないか」と、はじめから疑ってかかるのもどうかと思いますが、仮にそうした「バイトによる略取を防ぎたい」という目的が仮に正当だとしても、そのための手段としてバイトの右手を切断するなど、手段としては到底理解不能な、意味の分からない傷害行為でしかないからです。

https://yutorispace.hatenablog.com/entry/2024/07/01/004513


実社会ではほぼ顧みられない性器の外観

さて、他人の股間を見る場面は、日本では銭湯のような極めて限られた場面においてのみでしかありません。
嘘だと思うならば、シスジェンダーの皆さんはご自分の記憶をたどってみるべきでしょう?特に女性の方、トイレで他人の性器の形をまじまじと見る機会はありますか?
ないと思います。個室ですからね。

実際問題、ほとんどの場面において男女別のスペースは「ぱっと見で女性に見えるか(男性に見えるか)」程度の区分で運用されています。股間の形状は考慮されません。
そのように、ほとんどの場面において考慮されない代物である「股間の形状」を高額な費用がかかり、かつ侵襲も小さいものではない外科手術で変えなければ性別移行を許さない、というのは明らかに当事者のための条項ではありません。
繰り返しますが、五号要件は本質的に、マジョリティであり多数派であるシスジェンダーの安心のための要件でしかないのです

そのうえで、銭湯のような特殊な場面においては戸籍の性別よりも股間の状態等を優先するような規定を設ければ済む話であり、実際それで大きな問題は起きていません。

もちろん、現状の「見た目」による運用自体は、極めてルッキズム的でもあり、いわゆるパス度(つまり移行後の性別に見なされる度合い)の高い低いによって差別が行われるということでもあります。
忘れてはならないのは、この「パス度」はシス女性にも課されているということです。トランスジェンダー女性だけの問題ではありません。
実際に「パス度」が低いシス女性が女性だけのスペースで排斥された事例は挙げればきりがありません。
私はフェミニズムを支持しているので、このような状況に反対します。全ての女性が公共の場を安心して使える社会を望んでいます。

撒き散らされるヘイトスピーチ・モラルパニック

今回の判決で騒ぐこと自体、防犯に無関心である証拠

これまで見てきたように、五号要件の有無だけで性犯罪云々を語るのは、一種のモラルパニック(ある時点の社会秩序への脅威とみなされた特定のグループの人々に対して発せられる、多数の人々により表出される激しい感情と定義されます)でしかなく、端的に言って不当かつ差別的な言説であると言わざるを得ません。
そして、このように突然騒ぎ出すこと自体が、防犯に無関心である証左であるともいえます。

権利運動のたびに発生するヘイトスピーチ

しかし、判決後あたかも「社会がおかしくなる」と言わんばかりに、すさまじい数のヘイトスピーチが吹き荒れ、NHKですら差別主義的な団体の主張を「両論併記」で取り上げる始末です。

このようなヘイトスピーチ・モラルパニックは、日本においてマイノリティや被差別者の救済や人権侵害が是正される場面では毎回のように起きています。決してトランスジェンダーだけの事象ではありません。それは女性差別においても同様です。

注意しなければならないのは、LGBT、特に近年ではトランスジェンダーに対するヘイトやモラルパニックは、それ自体が人種差別・女性差別といった諸差別に対する「差別主義の入口」として用いられている側面が強いということです。
そのため、過去に同性愛者に対して用いられたレトリックが多用されていますし、実際トランスジェンダーの権利後退と女性の権利後退はセットで起きるのが常です。
はっきりしていることは、トランスジェンダー当事者にとって生きづらい社会は、他のマイノリティや女性にとっても生きづらい社会に他ならない、ということです。

トランス当事者、特に若い当事者に向けて

取り留めなく書いてしまいましたし、まだ書き足りないこともあるのですが(気が向いたら追加でまた書こうと思います)、最後に言っておきたいことがあります。トランス当事者、特に若い当事者に対してです。

現在、SNSでは酷いヘイトスピーチが吹き荒れています。その中には見るだけで恐怖を感じる、メンタルに悪影響を与える物も多数含まれています。
トランス当事者だからといって、このようなものを見る必要はありません。辛ければ無視しましょう。
ぶっちゃけ、私も今回のヘイトスピーチについてはさほど時間をかけてチェックしていません。大してチェックしなくてもどんなことが書かれているかはおおよそわかるからです。なぜなら、ヘイトは毎回似たような言説ばかりです。
壊れたスピーカーにわざわざ耳を近づけて鼓膜を痛める必要はありません。

ネットを離れれば、ヘイトスピーチを投げつけてくる人はごくわずかであり、むしろ出会う方が難しいことがわかるはずです。

しかし、中にはSNS以外に居場所を作るのが難しいという方もおられると思います。そういう方は是非、差別主義者が使うワード(例えば「トランスジェンダリズム」とか「性自認至上主義」とか)をミュートすることでも、かなり軽減できると思います。
繰り返しますが、当事者だからと言って、悪意に向き合ってやる義理はないのです。そして、差別に立ち向かう義務もありません。立ち向かう勇気は貴いものですが、それは余裕がある人がやればよいのです。
三十六計逃げるに如かずという言葉もあります。逃げるが勝ちという言葉もあります。
辛ければすぐに逃げましょう。そして時には助けを求めましょう。SNSにもリアルにも助けてくれる人は必ずいます。

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