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蜘蛛センサー

 突然だが、僕には「蜘蛛センサー」が付いている。「蜘蛛センサー」とは、その名のとおり蜘蛛を感知できるセンサーのことだ。蜘蛛に対して異常なまでの恐怖心を抱いているのに、それが却って日常生活の中で蜘蛛を探してしまうというパラドックスを生じさせる。家の廊下を歩いているとき、ふと天井を見上げてみると、そこにいる。パソコンで作業をしていると、画面の裏の壁から出てくる。風呂に入っていると、ぷかぷか浮いてる。「そんなことある!?」と思われそうだが、学校のトイレでトイレットペーパーを引き出したら、ベルトコンベアのようにペーパーの上に乗った蜘蛛が登場したこともある。それが可愛い大きさならまだしも、手のひらサイズのアシダカグモなのだ。「僕があのタイミングでトイレに行かなければ、あのブースを選ばなければ、その場面に遭遇したのは誰か別の人だったかもしれないし、蜘蛛もそれまでに何処かへ移動していたかもしれない」と思うと、自分の引きの悪さを恨めしく思った。
 そんなある日のこと、友人に真剣に相談してみた。すると、「もしかして、アラクノフォビアなのでは?」と教えてくれた。学術的に知られているアラクノフォビアは、日本語で言うとクモ恐怖症である。この異常な恐怖心が学術的に認められていると知って、幾分気持ちが軽くなった。この恐怖症の原因は幼少期に蜘蛛にまつわるトラウマになる出来事があったからとか、毒性を持った蜘蛛は危険だと後天的に学習したからとか、先天的に遺伝子に刷り込まれているためなど諸説ある。
 蜘蛛に対する恐怖心があるにも関わらず、蜘蛛について調べてしまうのは、クモ恐怖症あるあるではないだろうか(僕だけかもしれない)。「敵を制するには、まずは敵を知ることから」ということで、無駄に蜘蛛について調べてしまった。ほとんどの蜘蛛は益虫であり、巣を作る造網型とパトロールして獲物を捕まえる徘徊型がいる。巣を作る過程には、決まった順番があり、種類によるが多くの蜘蛛が8個の目を持っている。成虫になれるのは10%いるかいないかの生存率で、その厳しい環境ゆえ、種類によっては数千の卵を産む。ハエトリグモは、遭遇率No.1の個体だが(僕調べ)、実はひそかに人気がある。インターネット検索の予測変換で、「かわいい」が上位にあがる。つぶらな瞳や、両脚で身づくろいするしぐさがなんとも愛らしい。生存率の低い過酷な環境下で必死に生きている姿や、可愛らしい一面を知ってしまうと、彼らに対する見方が少し変わった(ほんの少しだけ)。
 蛇足だが、インターネットで調べている最中、避けられないのが参考画像。スクロールしていると急に出てくるものだから、びっくりして何度スマホを投げたかしれない。心臓に悪いので、出来れば、この先閲覧注意の文言を付けるか、いっそのこと画像にぼかしを入れて欲しい(笑)じゃあ、調べなきゃいいよね、ということで、リサーチはここで終了。自分で調べておいて、画像にびっくりしてスマホを投げているなんて、客観的に見てなかなか滑稽だ。その後、自分で投げたスマホを拾って、「ブラウザの閉じるボタン」を押すという重要なミッションかつ地獄の作業が残っている。
 話を元に戻すが、なぜ僕に「蜘蛛センサー」が付いているのか。これは、特殊能力でも何でもなく、ただただ蜘蛛を不快な対象として僕がフォーカスしているからである。例えば、蜘蛛が好きでも嫌いでもない人が蜘蛛を見つけても、大きく感情を揺さぶられることはないし、何なら存在にすら気づかないかもしれない。蜘蛛に出会いたくないという僕の強い感情が、逆に蜘蛛に遭遇するという現実を引き寄せているのは、なんとも皮肉な話だ。そしてこれは人間関係でも同じことが言えるかもしれない。苦手だと思っている人ほど、道端でバッタリ出会ってしまうという経験はないだろうか。そういう時は、視点を変えて、その人を知ろうとする、その人の立場になって考えてみることを試してみたら、相手のことが「分からない」、「理解できない」という不快感が取れて、ニュートラルな視点でその人を観察できるようになるかもしれない。そうすれば、その人に対するフォーカスが消え、バッタリ出会うこともなくなり、何なら道中すれ違っていることにすら気づかなくなる(かもしれない)。
 

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