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昭和40年代 小牧市に生まれて (自分史)

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昭和40年 愛知県小牧市に生まれた私 人生半世紀を過ぎて全ての記憶を失う前に、うっすらと覚えている思い出をここい記します。 他で記載していたブログを時間をかけて移します。 htt…
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#自分史

小牧市 北外山 南屋敷とマイホームとお店

小牧市 北外山 南屋敷とマイホームとお店


新天地への引っ越し1972年(昭和47年)、桜井の地を後にし、北外山の南屋敷という地へ移り住むこととなった。接道は桜井の家と同じであったが、景色は一変し、周囲には田園風景が広がっていた。

新しい景色と周辺新居は桜井の家から約1.4kmの距離にあり、斜め前には喫茶店「ルパン」が営業していた。この店は今も変わらず営業を続けている。北側には駄菓子やお好み焼き、かき氷を販売する長谷川さんの店があり、そ

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小牧市 桜井という場所と思い出

小牧市 桜井という場所と思い出


小牧市 桜井小牧市 の南部にある北外山の一部
桜井の由来については、どこかにあるのかもしれないが、わからない
たぶん古い書物にあるのだろうけど、少なくともインターネット上では引用が定かではないのでここでは書くことができない。

私のこの桜井に昭和46年頃まで住んでいた

今回は私が住んでいた昭和46の桜井について思い出を紐解いてみる

実家があった桜井の記憶を辿る当時、私の実家。
隣にあったのは

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昭和44年 市之久田幼稚園と私の幼少期

昭和44年 市之久田幼稚園と私の幼少期


昭和414年の小牧市とテレビ文化昭和44年、愛知県小牧市は急速に発展していました。
東名高速道路の全線開通が地域に大きな影響を与え、市の風景が大きく変わり始めた時期です。

この年、テレビでは『巨人の星』や『サザエさん』が人気を集め、子供たちはブリキのロボットやおままごとセットで遊んでいましたとのことですが、私はどちらもしなかった。
また、新しい商品として、明治アポロチョコなどが登場し、月面着陸

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小牧市桜井に移り 上街道のエビハラ書店と

小牧市桜井に移り 上街道のエビハラ書店と

幼き日の生活は、毎日が楽しい日々だったと思う。

母によると、寿司銀では女児ばかりが生まれる中、私は待望の男児としてこの世に生を受けたとのこと。
祖父は大いに喜んだが、母は「幼い子に過度な期待をかけるのは重荷になる」と激しく怒ったと聞いた。

この出来事が、その後の私の人生に影響を与える一因であったのかもしれません。

父は家を出て、桜井に住居付きの貸店舗を借り、味噌雑炊の店を開く。
営業は夜から

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昭和小牧の繁華街 上新町と上街道

昭和小牧の繁華街 上新町と上街道

私が生まれたのは、小牧口駅近くにあった吉田産婦人科である。しかし、生まれた時の記憶はなく、ここからは父の話をすることにしよう。

父は、小牧市上新町に位置した「寿司銀本店」という飲食店の末子であった。この「寿司銀本店」は、江戸時代から続く店だそうだが、当時は小牧にはなかったという話も伝え聞いている。

百年近くも続く飲食店の家系に生まれたのが父であり、その父の子供が私である。「寿司銀本店」があった

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還暦を前にして:私の半生記

還暦を前にして:私の半生記

人生50年、天命を知る、と謳った織田信長。その言葉に深い思いを馳せるとともに、日本には十干十二支の考えがあり、一巡して還暦、つまり60年の節目を迎えるのだという。

かつては60年生きれば良いとされていたが、今や百年時代と言われる。しかしながら、健康寿命は73歳から74歳、誰の助けも借りずに元気でいられるのは60代と考えるのが私の見解である。

そんな60代を目前に控え、これまでの人生をここに連載

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豊山町の空港ボウル:昭和52年(1977年)夏:昭和40年代小牧市に生まれて

豊山町の空港ボウル:昭和52年(1977年)夏:昭和40年代小牧市に生まれて

小学6年の夏、当時の小牧にはレジャー施設があまりない。

両親が営んでいた店は、木曜が定休日である。

父は板前なので、定休日は家で「焼肉」か「すき焼き」を食べるのが基本であったが、たまには外食をした。

西春日井郡豊山町、父は豊場と呼んでいた。豊山町には小牧空港(名古屋空港)があり、その近くには「空港ボウル」がある。国道41号線沿いである。
(実は豊場は豊山町の地名の一つである)

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間内駅近くのサンドイッチ屋さん:昭和61年(1986年)春:昭和40年代小牧市に生まれて

間内駅近くのサンドイッチ屋さん:昭和61年(1986年)春:昭和40年代小牧市に生まれて

80年代の間内駅は賑やかだった。
ここは線路で小牧と春日井に分かれる。

1987年、私は腰痛になり治療を受けていた、最初に入院しば病院は
地域の町医者である井上病院(途中で転院する)

入院中、差し入れとして漫画などをお願いしていたが、漫画が売っていたお店がスズキというお店だった(正式なお店の名前は忘れた)

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名鉄小牧線「間内」駅:昭和51年(1976年)春:昭和40年代小牧市に生まれて

名鉄小牧線「間内」駅:昭和51年(1976年)春:昭和40年代小牧市に生まれて

小学校5年生 この頃から友人と名古屋に出かけることを始める。
私の自宅から東方 徒歩10分くらいの所に駅がある。
名鉄小牧線「間内」駅

間内駅から、名古屋へ向かうには、名鉄小牧線の終点「上飯田」駅
まで向かい、そこから徒歩で、名古屋地下鉄名城線「平安通」駅ま
で行きそこから「栄」ないし「名駅」に向かう。

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小牧初の野球場(?):昭和50年(1975年)夏:昭和40年代小牧市に生まれて

小牧初の野球場(?):昭和50年(1975年)夏:昭和40年代小牧市に生まれて

小牧市民球場とは別の場所です。
私の自宅を南南西へ約800m位にいった所、小牧市民プールの横に小牧初の野球場「小牧市民グランド?」が完成したのがこの頃だったかと思う。

世の中の憧れのスポーツがまだ野球だった頃、自宅の近くに野球のできる施設ができるなんて夢のようでした。

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小牧ストア:昭和50年(1975年)夏:昭和40年代小牧市に生まれて

小牧ストア:昭和50年(1975年)夏:昭和40年代小牧市に生まれて

小牧市には北外山という地名がある。
読み仮名は「きたとやま」。
(私の住まいは北外山南屋敷だった)
小牧には商業施設が少なく、当時はコンビニが1軒もなかった

きたとやまということで、以前 外山ストアーについて書きました。

外山ストアが唯一の商業施設でしたが、このころ閉店をしてしまい。
買い物をする場所がありませんでした。

そんな時、小牧南小学校から自宅への通学路の途中、突然商業施設
がオープ

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小牧南小学校の近く駄菓子屋:昭和48年(1973年)春:昭和40年代小牧市に生まれて

小牧南小学校の近く駄菓子屋:昭和48年(1973年)春:昭和40年代小牧市に生まれて

当時、小牧南小学校の近くにはお店が少なく、別所さんとこの自転車屋さんとあと1店舗だけでした。

駄菓子屋のようなお店、名前を水野屋だったかと思います。

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昭和47年(1972年)夏 書道塾と学習塾:昭和40年代 小牧市に生まれて (自分史)

昭和47年(1972年)夏 書道塾と学習塾:昭和40年代 小牧市に生まれて (自分史)

子供に習い事をさせようとする親はいつの時代にもいる。
私が憶えている習い事。

確か、小学2年生頃だったと思う。親は書道塾と学習塾に通わせた。
字が汚いということと、自営業で子どもに勉強を教える時間がないため勉強の癖をつけさせる意図ではなかったのかと今は思う。

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