見出し画像

フィンランド教育の"学びの先"にあるもの

2024年春に行われた*フィンランドGTPの報告会を行いました。
フィンランドGTPの様子(2023夏開催)▶︎リンク


フィンランドGTP報告会の様子


この研修の面白さは「答えのない問い」を探究することです。日本全国から集まった多様なバックグラウンドを持った13人の仲間でフィンランドという土地で実際に経験したことをベースに学びをともに構築していきます。
大切にしていることは「フィンランド教育=◯◯◯」というように答えのようなものを求めるのではなく、フィンランドの教育現場を見て、そこから得た知識を日本の社会に応用してやってみるところまで学び(理解)を引き上げていくことです。だからこそ、フィンランドの教育現場を実際に見ても、私たちは何を学んだのか最初は分からず、掴みきれない状況にモヤモヤが残る人も多くいたと思います。
「フィンランドでの学びを日本で活かしたい。」そんな想いで参加してみたものの、フィンランドの社会で機能しているものを日本という社会の文脈に転移させるには、表面的な事実だけを切り取っても応用することは難しく、多くの事実を集めてそこからパターンを見出し、新しい事実を今回の研修で育んでいく概念理解と結びつけることが重要になります。その手法として、対話を通して協働的に学びを深めていくことを大切にしています。この考え方のベースにはブルーナーの研究があります。概念は「共に見出す」という語源を持っています。そして、概念とは何かと何かのつながりに関連する言葉であり、共に何かを見出していくことをサポートするものであると言います。
今回のnoteでは、私からの視点ではなく、実際にこの春に参加したメンバーの学びから私自身が学んだことをまとめていきます。

ミッション
「幸せな自立」を育む教育を探究し思いをカタチにする一歩を踏み出すきっかけとなる。

 

研修全体では「教育」と「個人/社会のWell-being」の繋がりについて考えていきました。今回の研修では「教育と個人のwell-beingの繋がり」にフォーカスする対話が多かったように思えます。これは、日本が集団主義であり、集団の中に個を見出す文化の中で、自分自身のwell-beingについて考える機会が少ないことも影響しているのかなと思います。そういう意味では、日本の集団主義の考え方とフィンランドの個人主義の考え方のにもしかすると私たちなりのバランスの取れた教育の考え方を見出していけるのかなとも思います。

キーワード「幸せの自立を育む」

今回の学びの構造

今回の研修では、「子どもたちのWell-being」を支える「教育システム」と「社会の中にある文化」を切り口にプレスクールから小中高/専門学校までの学校現場を見ていきました。今回の報告会では、この研修の切り口の中でどのような具体的な事例からどのような知識が構築されたのかを5人の言葉で学びのシェアの場が作られました。私のメモ書きにより、学びをシェアしてくれた人の意図とはずれ、私の解釈が入っているところもありますが、今回の学びを広げ、生まれた問いを次に繋げていく意味でnoteにまとめられたらと思います。

プレゼンター①「なぜ幸せな人が多いと言われている?」


◎ フィンランドに行く前の問い
・日本とフィンランドの教育で異なる部分
・ なぜ、幸せな人が多いと言われているのか?
◎ 気づき
#ケアと息抜き

教育において大きな違いがあるというよりは日本に比べて先生へのケアが行き届いている。

学校には仕事をしない職員室があり、フィンランドの職員室は、「Living room」や「coffee room」という言い回しをされていることが多いです。また、今回訪れた学校には、Living roomだけでなく、静かに作業をする部屋もありました。

フィンランドの職員室

<ちかの気づき>「Care」という視点は改めて気付かされた大切な視点で、フィンランドの教育は、先生へのCareを始め、生徒へのCareも行き届いている印象が私もあります。私の経験的なものでいうと、先生へのケアも生徒へのケアもどちらも文化的にというよりは、システム的に行き届いているようなイメージです。どちらかというと、フィンランドよりも日本の方が教員(担任)が生徒一人一人をケアしようという意識が強い印象があります。それによって、教員の負担が増えてしまうことは多いのですが、フィンランドでは担任だけでなく、組織的にスクールカウンセラーや特別支援の先生、アシスタントの先生、キャリアガイダンスの方などそれぞれに専門的な役割があることで、教員に負担がかかることなく生徒へのケアが行き届くようにシステムが機能しているように思えます。

#完璧主義と最善主義#プロセスを楽しむ

上手さ・仕上がりの良さ<みんなが楽しめている
言い換えると、完成度や精度の高さよりもそれまでのプロセスを楽しめるのかに重きを置いている。

日本はいかに質が高いものを出せるのかを大切にしている。学力でいうと、受験学力で個人の能力が評価されることが多い。これにより、他人軸での評価を気にしすぎて、自分自身のwantを考える余裕がないのではないかと思う。
この具体的な例として、Oodiという図書館での演奏では、みんな同じ楽器で吹いていました。

Oodiでの演奏の様子

ここでも、「いかにいいものを演奏するのかというよりも、いかにみんなで楽しめるのか」が大切にされていました。
<ちかの気づき+具体的な情報の追加>この「上手さ・仕上がりの良さよりもみんなが楽しめているのか?」という考え方は、学校現場や生涯学習機関(コミュニティカレッジ)の学びでもベースにありました。具体的には、小学校の体育の授業では、技術の向上にフォーカスして指導や評価をするのではなく、スポーツに楽しく関われる仕掛けや考え方が大切にされていました。例えば、冬のランニングでは、タイムで競うのではなく、自分でペースで歩いたり走ることができたり、スポーツをするだけでなく、授業内で観戦する選択ができたり、また運動技能に影響しないニュースポーツを取り入れるなど全ての子どもたちがスポーツに楽しく関われる考え方がベースにあるように思いました。この考え方は社会全体でも大切にされており、フィンランドは一人あたりのスポーツの人口が世界一である話を聞いたこともあります。

#自分軸

フィンランドでは、自己犠牲という考え方が少ないようにみえて、これが精神的なゆとりにも繋がっているのではないか。自分軸を大切にしている感じがしました。

具体的には、学校現場においては夏休みなどの休暇中のメールの返信はかなりゆっくりです。これは、学校の先生が公私をしっかり区別しており、休暇中は学校の業務から離れることでリラックスできるするために徹底している人が多いです。

◎今の問い
「学ぶってなんだろう?」
学校ってどんなところだろう?何のために一生懸命勉強するんだろう?学校の勉強は社会に活かされる側面もあるから、学ばなければいけないのは分かるし、でも今の現状として楽しさの面は少ない気もするし、学校で学んだ知識が社会で生きている実感は少ない気もする。フィンランドの子どもたちも日本の子どもたちと同じように、学校の授業にそこまで楽しさを見出しているわけではない声もあった。
「改めてどんな学びが必要なのか?」と考えた時に「やりたいこと(達成したいこと)から学びを広げていく考え方もあるのではと思いました。」例えば、ケーキを作りたいときに、計算のスキル(算数のスキル)や飾り付けで立体的なデザインのスキルが必要になったり、、、。他にも色々な教科を融合してできそう。
この文脈で「学校とは(リンク)by 灰谷健次郎さん」の本を紹介していました。
「考えるということは2種類あって、答えが見つかることも見つからないこともある。大切なのは見つけるまでに一生懸命考えたこと。」
さらに、私にできることとして、学ぶことにワクワクできる子どもを増やすために、学校や家以外の子ども第三の居場所を増やす。いずれは先生のケアも。ここでは、自己肯定感を育むことを大切にしたい。

プレゼンター②「インクルーシブ教育って?」

◎ 問い
・北欧の進んだインクルーシブ教育って何だろう?
・何をどうやって実現しているの?
①インクルーシブ教育の特徴(3つのサポートシステムがある)

フィンランドのインクルーシブ教育(参考記事リンク

フィンランドのインクルーシブ教育の考え方としては、まずは「全ての子どもがサポート(合理的な配慮)を受けられる」考え方が大切にされています。また、全てがインクルーシブな環境にすることが目的ではなく、日本でいう特別支援学校と同じようなシステムは実際にあり、その子に合った学びの環境を整えることが大前提にあります。

②人的環境に関わる3つの考え方
・複式学級
複式学級(異年齢学級)になることで、学習の幅が広がり、子どもたち自身が学びに遅れていることを気づきにくくなる良さがあると現地の先生が話していました。具体的には算数の学習において、異学年で学ぶことで、ゆっくり学ぶ子は1つ前の学年の学習をすることができ、早く学ぶ子は次の学年の学びを進めることがしやすくなります。自由進度学習が機能しやすくなり、学びは自分のペースで進めることができる考え方が自然と教室の中で生まれてきます。
・Slow learner
フィンランドの先生がよく使う用語です。日本だと学習障害という言い回しをすると思うのですが、言葉の言い回しで周りが受けとる印象が変わると思います。また、学習の進みが早い子はタブレットで追加教材を自分で選択することができ、それによって学ぶのがゆっくりな児童は先生や友達がついてサポートをすることができます。
・flexibility
先生たちが学校の裁量の中で子どもに合わせた学びの環境をデザインしていました。具体的には、不登校の支援において、中学校に通えなかった中学1年生の子が、前通っていた小学校に通うことができていました。この考え方のベースには「学校に来れるならいいのではないか」ということで、中学生が小学校に通う柔軟な考え方が学校や教員の裁量で行われていました。

③物的環境

教室や廊下にはソファだけでなく、遊具のような環境がある。先生が「自分の集中できる環境を選んでいいよ。」と伝えることで、子どもたちは自分で集中できる環境を選べるようになります。教室には何種類もの椅子があります。背もたれがあるもの、ないもの、くるくる回るもの、固定されたもの等子どもの特性に合わせて環境を選ぶことができる。
他にも感覚調整器具が当たり前にあります。

イアーマフで感覚過敏の子に対応したり、目隠しできる仕切りのようなもので視覚過敏の子に対応できるようになっています。自分が気になる刺激を自分で減らすことができる器具が教室の中に自然と置かれていました。

◎ 先生に聞いた「インクルーシブ教育って?」
まずは、全ての生徒が同じ場所でいられること。

日本だと全ての生徒が同じ内容を一緒に学ぶことが目指されています。フィンランドでは、日本の学校現場と比較すると1つ前のステップにいます。日本でも、いきなり同じ内容を一緒に学ぶことを目指すのではなく、まずは同じ環境に安心していられることを目指すことを最初のステップにするとインクルーシブな教室を実現できるのではないかと、今はどうやったら日本の教室環境にもこの考え方を取り入れられるのかを学んでいます。ここにも、1人目のプレゼンターも話していたようなフィンランドの#完璧主義でなく最善主義の考え方の文化を感じました。
最後に、フィンランドの学校現場は学校から飛び出すような子どもはいなくて、そもそもの環境が落ち着いていて、そこに先生のサポートがあることで安心できる学習環境が作られているように思えました。

プレゼンター③「学びのジブンゴトを可能にするためには」

このテーマの背景として生物という教科上の特性として知識ベースの授業になってしまい、学ぶ目的が外発的なテストになってしまうことが背景にありました。その中で「自分の中で理想とする教育って?」や「学びってどうやってモチベーションあげられるのか?」「自分自身がどのような教育を目指しているのか?」という問いが湧き上がり、この探究テーマに辿り着いたみたいです。

「学びのジブンゴト化につながるもの」
①-1 多面的な評価による自己理解
「生徒の学びをモチベートするためにテストで競争させるのはどう思う?」この率直な問いに対して現地の先生は次のように話します。
「テストが全てではないと思う。例えば、授業中のグループワーク中に見られるソーシャルスキルも含めて評価する。」この言葉から、多面的な評価が自己理解につながるのではないかと考察していました。
<ちかの気づき+具体的な情報の追加>

フィンランドのナショナルカリキュラムには「Transversal Competence」について次のように書かれています。

"Transversal Competence"とは、知識、スキル、価値観、態度そして意志全てから成り立つもので、Competenceは知識やスキルを与えられた状況下で、応用することができる能力のこと。

実際にこの考え方は日常の授業の中で取り入れられており、フィンランドがテストで知識の量だけを評価するのではなく、コンピテンシーベースで評価している背景には、ナショナルカリキュラムでも定められている理由もあります。

①-2 評価の見える化

こちらは小学1/2年生のモンテッソーリ教育を取り入れている教室での「ダイヤモンドのツボ」という実践になります。児童が良いことをしたらダイヤが貯まるシステムになっていて、ダイヤが貯まると子どもたちにとって嬉しい出来事がおきます。他にも、「評価の見える化」として読解力や書く力などのルーブリックが教室に書いてありました。

②-1学びと社会とのつながりを実感

モンテッソーリ教育の実践を見る中で、リアルさを追求すること生徒の好奇心につながるのではと考えられます。例えば、「dLとLの関係」についての算数の学習では、「dLが何倍でLになるのか」を実際に行っていました。その他にも生命の誕生等の教材でもタイムラインを用いており、生き物がどのように誕生するのかをイラストではなく実際の写真をベースに教材が作られており、ホンモノを見せることを大切にしているのが感じられました。

②-2 企業と学生がコラボして課題解決する
フィンランドのAalt大学では、企業が30万円と共に学生に課題をだす取り組みが行われていました。この授業では、実際に学生がプロダクトをつくって会社に提供するところまでを行います。そのプロセスの中では、大学の専門家も巻き込みながらプロジェクトを行い、自分の学びが社会に役立っていることを実感できることも学びのジブンゴト化につながるのかなと感じました。

③-1選択する機会の多さ(教育システム)
中学卒業するタイミングで、中学3年生に大きな進路選択をする機会があります。選択肢としては2つあり、大学進学を見越した普通科の高校の選択、或いは働くために必要なスキルや資格を実践を通して学ぶ職業専門学校という選択です。生徒によってはWスクールで高校と専門学校に同時に通う生徒もいます。また、専門学校は高校生の年齢層だけが学ぶのではなく、生涯学習機関としての機能もあり、15歳から60歳を超える人も一緒に学んでいるのが特徴です。このような、学び直しの機会が多くあり、色々な選択肢(=人生の主導権)があると感じるからこそ自分で考えて選択しないといけないことも「学びのジブンゴト化」につながっているのではないかと考えました。

③-2 学びの主導権
さらにシステムだけでなく、教室の中にも学びの主導権が子どもたちにありました。教室の中では、どこで学ぶのかを子どもが選択できる機会がありました。さらに、モンテッソーリ教育を実践している1/2年生の教室では何を学ぶのかを選択することができます。教室の中では、同じ45分授業の中で、国語を学んでいる子どもも、算数を学んでいる子どももいます。しかし、ここでは全てが自由なのではなく、1週間で何を学ぶのかの範囲は教員によって決められており、その範囲の中で先生と生徒が話しながら何を学ぶのかを一緒に選択をしていきます。

学びのジブンゴト化をもっと深く…ある仮説が浮かびあがる

STEP 1:自然と生まれるコミュニケーション
STEP 2:信頼
STEP 3:自己肯定感
STEP 4:学びのジブンゴト化
STEP 5:自走

プレゼンター③のとある仮説

STEP1→2:信頼が生まれるためのコミュニケーション(職員室)

フィンランドの職員室には2つの空間が分けられており、コミュニケーションが生まれるLiving roomな環境と集中できる環境がどちらも設計されていました。また、Living room(職員室)には、お菓子がたくさんあったり、どこの学校にいってもコーヒーマシーンが置かれており、コーヒーブレイクをきっかけにコミュニケーション(雑談>対話)がいろいろな場で行われていました。

STEP1→2:信頼が生まれるためのコミュニケーション(授業中)
「生徒と教員のコミュニケーション」

授業を観察していると、先生の観察力がすごく高いと感じました。授業はシンプルで、教材も教科書会社のものをそのまま使っている授業が多かったです。教員の役割としては、授業準備(教材研究)よりも生徒の観察を重視している印象で、授業中の教員の役割としては先生の意図した授業設計よりも生徒の状態を観察しながら声掛けをしているのを大事にしている様子でした。

プレゼンター④「対話と観察が生む信頼」

引用:プレゼンター④の資料

◎ 問い
・対話と観察が生む信頼
・フィンランド人が大切にしているtrustってなんだろう?

結論として、フィンランドには対話と観察が生む信頼があり、信頼があるから対話が生まれるサイクルがある。

バックグラウンドとして、探究をベースにした学びを行っているバカロレアの学校での影響で探究に興味がある。フィンランドに渡航する前は、好きなことを見つける教育のヒントを得たいと思い研修に参加。フィンランドの学校現場を見学する中で、いっぱい好きなことを見つける機会が日本にあったとしても日本では実現されなさそうにも思える。「好きなことを見つける教育」のベースには、行き届いてる対話と観察と信頼がありそう。

・対話と観察についてどこで感じたのか。

引用:プレゼンター④の資料

① 一人一人やっていることが違う授業
色々な学ぶ方法があったり、10年生という進路に悩んでいる子が立ち止まって、先生が一人一人と話して進路を決めていける環境がある。ここにも観察と対話のコンビネーションがある。
② 先生が関係性や特性に基づいて適切な席の割り振る
話すのが得意でない子は話しやすいクラスメイトと隣になるようにしたり、仲が良い子は適切な距離を取るための席の配置にしたり…そのためには観察力が必要。
③ フィンランドにおけるカウンセラーの存在の違い
日本ではカウンセラーの先生の顔も名前も知らないことが多い。フィンランドでは、多くの生徒は知っている。それが良い対話の機会を生んでいる。
④ カウンセラーと子どもを繋ぐ
小学校の先生が、子どもが心理的に状態が良くないときにカウンセラーと繋いで1:1で話せる機会をつくることもある。この時も、子どもにとってカウンセラーと話すハードルが低い感じがする。カウンセラーが学校を歩き回りながら、色々な生徒に話しかけている。また、カウンセラーも自分のことも生徒に話す(自己開示)から、生徒もカウンセラーに話しやすくなるのではないかと思う。

◎今の問い
「観察と対話にはどんなポイントがあるのか?」
>なかなかいい答えが得られない。経験的なものなのかな?そんな時に出会ったのが"信頼"というキーワード。
「どんな時に信頼してる?」

引用:プレゼンター④の資料

① 小学校の校長先生が先生を信頼している
② 小学校の先生が、子どもたちに自由な選択肢を与えているときは、生徒のことを信頼してるから任せられる。
③ モンテの先生が、親も先生を信頼してるし、先生も親も信頼している。
④ 専門学校では、お互いの家を交換するプログラムがあって、そこでも信頼してるからできるという言葉が出てきた。

「フィンランド人の信頼とは何か?」

引用:プレゼンター④の資料

◎ とあるフィンランドの先生の考え
信頼は見えないし、お互いに個人としては尊重して、社会全体を信じる文化がある。

Question①「どういう状態が雑談で、対話なのか。」

対話とは、何かあったときに話せる。

フィンランドの対話の何が良いんだろう。良さは、対話の機会がたくさんある。フランクさもある。普段から雑談してる延長で対話が生まれる関係性がある。日常会話で雑談していて、そこから対話がしやすい。日本だと、子どもが大人に対話しずらかったり、空気を読む感じがある。

Question②「日本における信頼との違い」

日本は信頼には条件がありそう。
=ウェットでギブ&テイクな感じ
フィンランドはまず人を信頼してそう。
=ある意味ドライな感じ。ギブ&テイクでないペイフォワードな感じ
=共同体感覚に近いもの?

Question③「これだけ信頼して任せる中で責任は誰が取るのか?」

責任はうまくは言えないけど、そういう文化はないような。人間ときには間違えるから、間違えたら正せばいいよ。

報告会も後半になるにつれてフィンランド教育の基本的な情報が集まり始め、そのシステムを支えている人々の価値観とは何か?という抽象度の高い問いが浮かび上がり始めていました。

プレゼンター⑤「オンリーワンを育てる学校とは?」

◎ プレゼンターの興味関心
・義務教育以降の学びを他国と比較
◎ 問い
・個別最適な学び、自立的な学び
・オンリーワンを育てる学校とは?

バックグラウンドして、抱いている日本の学校のイメージが「みんなで一斉に授業を受けて、一斉に同じテストを受ける環境で、個別最適な学びは実現できのか?」という問いが浮かび上がりました。

・関連しそうなフィンランド教育の予備知識
教育費が無償、学び直し可能、子どもの権利が守られているetc...

「教師と生徒1:1でないのにどうやってオンリーワンの生徒を育てる?」
# 環境
日本は同じ机、椅子で決まった場所で学ぶのに対して、フィンランドは最適な空間を自分で選択できる。さらに、テストはあくまでも成長を確認するためのもので、あくまでも理解度をはかるもの。日本は授業は生徒は聞く場、フィンランドは教え合いの場であるように見えた。
#教員
日本は管理下に置かれる存在。フィンランドでは、教員自身がオンリーワンの存在で、管理職が教員を信頼しているので、自律的に働くことができる。具体的に教員は授業時間以外は好きな場所で働くことができ、14時頃になると帰宅することができます。
また、教員の役割としては、日本は子どもたちを指導する存在であり、フィンランドでは対等な立場でありながら、相談役でありサポートする存在。実際にフィンランドのナショナルカリキュラムのミッションには「サポートする」や「促進する」という言葉が多く使われています。

教師と生徒が1対1じゃないからこそ、多様性の溢れる学校だからできることがあるのではないか?」
元々PISAの学力が世界一だったフィンランドの学力が年々下がってきています。下がPISAの学力結果の推移であり、元々世界一だったフィンランドは時代とともに新しい学びのあり方の実践と研究を積み上げています。その一方で、PISAの学力結果は相対的に下がっており、日本の方が結果が高い事実もあります。

「実用性のある学力の定着と自主性に任せた学びの実現は両立するのか?」
新カリキュラム(*Phenomenon based Learning=現象ベースの学び)によってOECDの測られる学力が落ちるのではないか。」という意見に対して、フィンランドのカリキュラムを作っている方は次のように答えます。

教育上の決定を行うときはPISAの学力で決定するのではなく、子ども/若者にとってこれからを生きていくために必要な情報や知識を届けることである。

▶︎実際の現象ベースの学び(2019年)を見学した時のBLOG(リンク
またPISAの学力結果に対しては、相対的な見方というよりは、絶対的な見方を行っており、読解力が年々下がっている原因について「SNSが普及することによる子どもたちの活字離れ」を原因として仮説に挙げています。そこで、フィンランドの学校では漫画でもいいので、子どもたちが活字に多く触れられるような取り組みを大事にしています。このように、フィンランドの学校現場でもPISAの結果を全く気にしないのではなく、事実は事実として捉えて仮説を立て、現場レベルで課題に向けて取り組んでいる学校もありました。

◎ 新たな問い
今の時代、日本において求められる学校のあり方とは?そもそも子どもたちに必要な学びとは?そのための学校のあり方とは?教員のあり方とは?
この疑問に対する仮説としては、時代とともに子ども一人一人に合わせた学びを提供できるようになるから、教員の役割は生徒の相談役であり、サポーターであり、メンターのような役割になっていくのかなと話していました。

私の学び

最後に今回の報告会を経て私が学んだことをここにメモしておきます。
① モヤモヤが学びを連続させること
今回のフィンランドでの学びの報告を聞いて、共通していたのはプレゼンターの全員が「フィンランドの教育=A」みたいな明確なものを見つけたのではなく、今も考えていることのプロセスにいるのが伝わってきました。その中で自分なりの仮説を立てる人がいたり、自分の仮説をシェアして他者にフィードバックをもらい新たな問いが生まれたり、自分なりのアクションを見つけている人もいました。
② 協働的な学びの価値
本質的な問い「フィンランドの教育を日本の社会の文脈で活かすには?」この問いについて、13人で色々な事例を現地で集め、共有し、色々な視点で見ることで集団としての知識を構築していきました。これは、私がこのプログラムを始めた大きな理由なのですが、この問いを持ってフィンランドの教育現場に入っても1ヶ月もすると自分で考えられる限界をむかえます。その時に違う視点をもった人と対話をしながら協働で学びを深めることで自分一人では気づけなかった学びをともに作り上げる感覚を得ることができました。この感覚は教室の中での学びをつくるときも大切だし、職員間でも協働的に学びをデザインすることで一人では思いつかなかった授業アイデアが構成される学校が増えると主体的で対話的な深い学びが生まれる学校の文化が作られていくんだろうなと思いました。

さて、フィンランドGTP6期も事前研修、現地研修、事後研修、報告会と徐々に学びも次のサイクルに入ってきました。フィンランドで学び、教育現場に出る人、色々なカタチで教育に関わる人も100名を超えてきました。今は、次のフェーズとして、学びがコミュニティを超えて広がっていくためにはどうしたらいいのかを考えるきっかけにもなりました。

7期のフィンランドGTPも夏に開催されます!まだまだ参加者募集しているので、気になる方はこちらにご連絡を頂けたらと思います!

moimoi


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?