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新型コロナウイルス騒動から見るマクロとミクロ その105 ~教育のゆくえ~

オンライン授業で質が落ちているために後期からはリアルでの授業再開を行うべきだという意見がある。オンライン授業の難しさとは伝える側だけでなく、受ける側の状況にも左右されると思われる。在宅勤務になった時に出勤しないため家庭内での共有時間が多くなり、お互いのストレスになっているということもある。リアルで授業を受けるという空間にはおらず自室などにいる状況で本当に授業に集中できているのかは分からない。また、授業を提供する側もこれまでオンラインで実施する準備をしていない。

何がオンライン授業を行う上で難しいのだろうか。これまで以上に授業に対する準備が必要である。これまでは何かを説明する際に黒板や白板に書くことが出来た。場合によっては概念の説明も描くことが出来た。しかしながら、オンラインではそういった対応が出来ない。言葉での説明は可能であるが、そこが理解度を深める時に必要な図などをオンラインでは書きづらい。また、ある程度一歩通行的な授業であれば一人でも可能であるが、インタラクティブにする場合、一人だけでは効率的に行うことが出来なかったりする。また、アプリケーションの制限もあるだろう。授業そのものは流れていきながらもその中での疑問をチャット等で書き出しておき、モデレータが確認するなどの方が効率的でもある。

ただ、これまでにそんな準備をしていないので、オンライン授業には色々な歪みが出てきているといえる。人文系でたまにいる、教壇でしゃべるだけ喋って終わりの授業形態を持つ人であれば対応は簡単かもしれないが、今、どれくらいそういった講師や教授がいるのだろうか。

新型コロナウイルスの影響により、私が感じているのは、収束後は、リアルとオンラインのいいところを合わせた授業形式になっていくのではないだろうか。授業がオンライン化されるということは録音、録画化しやすくなる。結果として決まった時間に授業に参加する意味に重要性が持てなくなる。その場合、掲示板やコミュニティでの質疑や議論によって知識を深堀りしていくことにもなる。

もしくは現在とは異なった授業体系を考えていく必要もあるのかもしれない。しかしながら、変えられるのかという疑問もある。それはこの国がどうしても保守的で頑なに変化に対して難色を示しやすいというところがある。それが望ましく無いと考えるのであれば違った選択を若者が取れるようになっていればいいとは思う。

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