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新型コロナウイルス騒動から見るマクロとミクロ その40 ~「日常」になる「非日常」~

未だに地下鉄の駅構内の移動をしていると電灯が全て点いていないのを見ると、東日本大震災の影響によって少しでも節約をしようとした事の名残であると思い出される。新型コロナウイルスによって街から人が消えてきていたが、ゴールデンウィークを過ぎてから少しづつであるが都内に人が増えてきている。駅ビルに入っている店舗も少しづつであるが開店している店舗が増えてきている。東日本大震災の際も、「非日常」が「日常」が戻ったというよりは、いくらかの「非日常」が「日常」に組み込まれていったように思える。それは、新型コロナウイルスの影響により、いくらかの「非日常」が「日常」に変わっていくのは予想出来る。特にマスクをつけるという習慣が日常化しそうである。それ以外にどんな「非日常」が我々の日常に入ってくるだろうか。

仕事の面では、「在宅勤務」が以前より通常化してくることは想像に難くない。それにより、仕事の細分化によっては地方に委託することも考えられる。地方だけでなく海外もあるかもしれない。また、新型コロナウイルスの影響によって仕事の体制も変わってくるのかもしれない。個人的には、電話会議やビデオ会議が一般化していくことを希望する。その分、対面での打ち合わせなどが非常に重要となっていくと思われる。未だに紙の本が無くならないように、出張が無くなるわけではないと思うしこれからもあると思われる。とはいえ、これまでよりは減っていくことは思われる。でも私は海外出張に行きたい。

通常の日常については、1Kなどのワンルームなどの不動産が借りられなくなる傾向になるのではないかと私は予測する。今の新型コロナウイルスの影響によって在宅勤務に対するストレスとして生活と仕事の切り替えが難しくなっていると思われる。私の場合、運がよく、テーブルとちゃぶ台で生活と仕事の切り分けが出来ている。それでも、この新型コロナウイルスの影響で家で過ごす時間が長くなることで、生活をするのに不便に感じられる部分を感じられるようになった。以前は、部屋のメインの目的は睡眠を取るための場所であったからだ。出勤の概念が変われば都心部に住むことが必要はないためよりベッドタウンの需要が高くなるのかもしれない。もしくは都心部の不動産の価格が下がることも考えられる。どちらにせよ、「持つ」モノが、強みではなく、弱みになる可能性も出てくる時代の流れの境目にいるのだと思う。

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