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新型コロナウイルス騒動から見るマクロとミクロ その70 ~パラダイムシフト~

「発想する会社! ― 世界最高のデザイン・ファームIDEOに学ぶイノベーションの技法」(トム・ケリー)で述べられているIDEOのイノベーションに歯磨きチューブがある。

最初、ねじる仕組みを変えようとしたが、試作品を試していたところ結果としてねじる仕組みが必要であると判断された。それは、使用者が無意識化で歯磨きチューブを使う時にねじるものであると判断しているため、その機能が不要であったにしてもその行動をとってしまうからである。それはIDEOのイノベーションだけでなく、我々の生活の中でもそうであるし、政治も同じであると考えるべきである。また、新型コロナウイルスの影響によって変わらないといけないこともあるだろう。早急でなければいけないものもあれば、そうでないものもあると考える。ただ、変化できるところは、新型コロナウイルスを機に変えていくべきではないだろうか。昨年若くして亡くなった瀧本哲史氏は、先日noteに載っていた「2020年6月30日にまたここで会おう」の中で、「パラダイムシフト」がこれまでどのように起きたのかこのように述べている。

天動説から地動説に変わった理由というのは、 説得でも論破でもなくて、じつは「世代交代」でしかなかったんです。
つまり、パラダイムシフトとは世代交代だということなんです。

変化は時間が経たないとありえないのも事実である。自分を否定する考えを歳を取って受け入れることの出来る人は少数であると思う。そうなってくると待たなければいけないのかという話にはなるが、そこはどうするかは「答え」は無いと思われる。その中で何を個人として重視していくのかというのは考えていくべきである。今回の新型コロナウイルスによって、在宅勤務になり自分を見つめ直す機会を得た人もいるだろうし、新型コロナウイルスに関係なく出社することで本当にこの会社でいいのかと考え直す機会をもった人もいるだろう。

緊急事態宣言が無ければ、多くの人が当たり前のように満員電車に乗っていただろう。今、何かおかしいぞと気づき始めたのであれば考え方をシフトしていけばいいと思うのである。「変化」を恐れることは悪いことではないが、頑なに拒むことで時代に遅れていきたくはないものである。大切なのは過去を嘆くのではなく、未来を夢見るのでもなく、今という現実を直視することであると思ってしまう。

変な話だが、キリスト教で大きな自然災害が起こると、それも主のお考えとか言っていたのが変に思えたが、今、聖書を読み進んでいると主は色んなことしているなと思ってしまうし、自然だから仕方ないと割り切ることも必要である。ただし、両親や親類が新型コロナウイルスで亡くなったら神の御手によるものとは冗談でも言えない。

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