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新型コロナウイルス騒動から見るマクロとミクロ その104 ~教育現場その1~

朝の散歩をしていると駅のバスロータリで小中学校の生徒たちがバス待ちをしていた。ただその列が50人以上はいて、さすがにうまく密を避けるような状態では無かった。バスに乗りこめる人数まではみていないが、蜜にしないためにその時間は本数を増やしているのか気になってしまった。

非常事態線が解除された後に学校の多くが再開となった。知り合いの家の子供さん達も9月になる前から小学校に通っている。是非はあるだろうか、学校を再開させてよかったのだろうか。私としては、まだ再開しない方が良かったのではないかと考える。状況を見ながら様子見を行い、1週間に1度、面談をするような流れでよかったのではないだろうか。学校の教室は三密を作りやすい状況にある。クラスタが起きてしまえばその家族にも及ぶことから考えると令和2年度は特別な年として考えてしまった方がよいのではないだろうか。

受験の年の人にとっては少し運が無いことにもなるかもしれないが、政府側としては割り切るしかないと思う。行政をはじめとした機関のデジタル化の遅れもあり、平等に様々なことを与えられない状況にもある。しかしながら、考え方として元々全て平等では無いのだからそういうものだと国民側も割り切るしかないのだろうか。社会人にとっては社会の変革期に立ち会えると思って、やれるようにやっていくしかないと思われる。どちらかと言えば、日本の教育が変わっていって欲しいとは思うものの、方向性に期待は出来ない状況も多い。ボトムアップでは全体を変えきれないし、トップダウンではトップにその思想があるのか疑問ではある。

一度、再構築するという観点で考えると、道州制を導入して地域に権限を持たす事で変えれるのではないかと思う。もしうまくいくとある地域での先生などの待遇がよければそこに集まる。そうおいった相乗効果なども考えられる。道州制の導入は現状では難しいかもしれないが、新型コロナウイルスによって休校状態になることで今後の方向をじっくりと議論するのもよいのではないかと思っている。当事者や親御さんにとっては大変な状況かもしれないが、時代の境目だと考えて割り切って欲しい。同じに考えてはいけないが、新型コロナウイルスの影響とは、いきなり戦争に巻き込まれたのと同じような状況ではないだろうか。そんな状況で割り切ってくれよと言ったところで、感情的に受け入れられるには難しいだろうなと考えてしまう。

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