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先日見たアニメの小学生の親にとってありがたすぎるシーンと、算数で教わった大切なこと

先週放送されたアニメSPY×FAMILY18話は親である私にとって大変ありがたい回であった。主人公の妻の弟である外交官が、主人公の子供の家庭教師を行い、その際に勉強の意味について語るシーンがあるのだ。
国語、算数、理科の(だったと思う)それぞれの教科について語ってくれている。内容も「そうだそうだ」と思えるもので、小学生の子どもを持ち「べんきょうなんてつまんなーい」と言われてしまった今日このごろの私のとっては大変ありがたい回であった。ありがとうSPY×FAMILY。録画してあるので何度も子どもに見せたいと思っている。

さて、この勉強のシーンで思い出したことがある。小学校3年生か4年生の頃だった。算数の授業で「この文章を式にせよ」というような問題だったと思う。答えは「3×4(5ー1)」みたいなのだったと思うので、そういう設定にさせていただく。
回答の仕方はクラスの全員がまず席を立ち、答えがわかった人から発言をして椅子に座れる、というパターンだった。最初は先生のところに言いに行くというスタイルで、途中からその場で答えて座っていいことになっていた。

私はどうしても答えられなかった。次々に発言しては椅子に座っていくクラスメイトを羨ましく感じながら、授業終わりの時間が近づくにつれて焦りが強くなる。その場で発言して座っていいパターンになっていたから、クラスメートの発言を注意深く聞いて、真似をすればいいだけなのだが、なぜかできない。
あるタイミングで確信をもって私は言った。
「3かける4かっこ5ひく1」
不正解、といわれる。

間違ってないはずのに、なぜ、なぜ。結局答えられずに先生の解説があった。答えは
「3かける4かっこ5ひく1かっことじ」

『かっことじ』が言えていなかった。

括弧は開けたら閉じなければいけない。始まりがあれば終わりがあるのだ。扉を開けたら閉めなくてはいけないし、食事を食べたらお皿を片付けなくてはいけない。朝起きたら寝るものだし、始業式があれば終業式がある。

それは設立した会社にも当てはまる。

設立したら閉鎖がある。物の本はいう。「引きどころを見誤った」と。別の本はいう「諦めないことが大事」と。


括弧が閉じられなかった私は、何の成長もないまま大人になってしまった。
扉は締め忘れるし、ご飯を食べた後お皿を片付けわすれることもしょっちゅうだ。こんな生き方を不正解、と言ってくれる先生はいない。もっと勉強しておけばよかったのだろうか、人の生き方を見ておけばよかったのだろうか、いずれにしても括弧は現在開いている。可能性と不可能性を大口を開けてのみこみながら。

さあ、どうする。

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