移住の人体実験

最近、まちづくりの会議で意見を述べたり、オンラインシンポジウムで灯す屋の活動についてお話ししたりする機会があります。そこで決まって口にするのは、地方が不便で住みづらいのは当たりまえだということ、都会と同じようなインフラは望めないし、物理的な満足度は低いけれど、自分たちでまちや暮らしを作っていく面白さがある、ということをお話ししています。私が有田に住み続ける理由といえば、これしかありません。誰かに与えられたものではなく、自分たちで考えて作り上げる面白さがあるからここにいる。

まちづくりの話をすると、よくハードや仕組みの話は話題に上るのですが、その担い手の話にはならない。それを実際に運営し、維持していく人は誰なのか。地方は絶対的に人材が不足していて、有田のような産業のある地域ではその後継者すら不足しています。みんな日々の生活を送るのに忙しく、まちづくりのアイデアを出す人はいるけど、それを形にしたり、実際に行動することのできる人が圧倒的に足りていない。空き家や人口減少などの問題に真っ向から取り組むのも必要ですが、課題に対して自分で考えて能動的に動く人たちを育てたり、そういう人たちがモチベーション高く活動できるような環境を整えることも必要だと思います。

そして、さらに言うと、地方で暮らすということはモチベーションだけでやっていけるほど甘くはないということ。いつかその熱量が果てる日がくるでしょう。そこにはやっていることに対しての、いわば対価や収入があって初めて続けられるのだと思います。

田舎は車を所有しなければ生活が成り立たないし、空き家を持てば改修費だけでなく維持費もかかります。都市部まで出かけていくのにも費用は発生しますし、心を豊かにするような余暇を過ごしたり、教育を受けたり教養を高めたりするのにも、それなりにお金が必要だったりします。都市部の賃金をそのまま地方に持ってきて生活するならよいでしょうが、地方価格で発生する賃金で本当に「豊かな生活」が送れるのかどうかは疑問です。

先日まちづくりの会議で、私は移住者としてこの町に住み続けることができるか、人体実験をしています、と言いました。私のような近くに頼る家族もおらず、生きていくうえで特段スキルも持っていない人間が、どうしたらこの地方に住み続けることができるのか。普通の人が住みたい場所で普通に暮らすためにはどうしたらよいのか。最近はそんなことをぐるぐる考えながら生きています。