苦みの記憶
「それではー…かんぱーい!!」
重いジョッキがぶつかり合う音の響く中。
「…………みたいだね」
「…えっ?」
たまたま隣にいた私にだけ聞こえる声で、
君はなにを言ったのだったか。
あの夏は、
毎年恒例のビアガーデン。
聞き返した私に、君は答えるでもなく、
唇の端を少しだけ上げてこちらを見て。
なにもなかったかのように、皆の会話に入っていった。
喧騒の中私は、それまで勢いよく飲むだけだったビールの苦味を、なぜだかいつもより強く感じていたことを憶えている。
それからしばらく、君とは会うことも会話をすることもなかった。
「それではー…かんぱーい!!」
その夏は、ひどく雨の多い夏だった。
恒例のビアガーデンは中止になった。
家庭用ビアサーバーを手に入れた仲間の家での飲み会で、久しぶりに君の姿を見た。
プラスチックのカップが音も立てずにぶつかる中。
「ビールってさ、…………」
皆の交わす挨拶に紛れて、
隣にいた君から声が聞こえた。
私は、訊き返すことをしなかった。
ただちらりと君を見た。
君はあのときと同じように、唇の端を少しだけ上げ。
皆の会話に加わることをせず、喉を鳴らしてただビールを飲み干していた。
笑い声の中私は、少しわかるようになったホップの苦味を反芻していた。
それから何度か、同じように夏が過ぎた。
それ以来、君の言葉を聞くこともなかった。
そして、ある夏。
君には会えなくなった。
そうして、幾夏かが過ぎた。
「それではー…かんぱーい!!」
少し軽いジョッキがぶつかり合う音の響く中。
ふと思い出した。
あの、逝く夏の言葉。
君はなにを言ったのだったか。
なにか、大事なことだった気がするのに。
どの夏だったかすら、もう曖昧で。
この夏はもう、思い出せない。
否、思い出さずにいたいのかもしれない。
確かめることも、意味を尋ねることもしなかった、できなかったあの夏の私。
記憶は泡のようにぶくぶく湧きたち、心をざわつかせて消えていく。
あの夏とは、ビールの味も、私も、だいぶ変わったね。
乾杯の苦さだけが、
同じく舌に残っている。
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