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この先の光

今の目標が「死ぬその時まで、楽しく生きて、健やかに死にたい」と思うようになった。

もういい歳のオッサンである。あと約30年後には私は70歳代になっている。無事に生きていれば笑

自分がこの世に生まれてきて、今まで生きてきた。

10代の時分、その先の見えない未来の不安に、光を見出すために、どう生きるか、どう稼ぐかを自分の夢と照らし合わせ、進み出した事を今でも覚えている。
いま自分に見合った、ある程度の実績と、夢と現実を経験して、おっさんとして、その先の未来を考えた時、今の目標をどう達成するかを考える。

息を引き取る、その数日前迄は楽しみたいと思った時、何が必要なのか想いを巡らす。
と、そこに初めに出てきた答えは「友達」の存在。

スーっと死ぬ為には、と考えた時に初めに出た答えは「健康な身体」だった。
そう、別に長生きしたい訳では無いのです。苦しまずに死にたいだけなんです。

「友達」と「健康な身体」笑

これは中々のパワーワードが出てきたなぁと思う訳です、我ながら笑

しかし、自分が60歳、70歳、80歳になった時にどうなっているか想像するとそうなる。

「健康な身体」は、健康に生活すれば、自然に手に入る事でしょう。どこか機能不全が起こり、苦しみながら死ぬ事のリスクは多少減るはずです。

10代の頃から仕事を始め、この歳まで走ってきた、根っからのビジネス思考LIFEな訳ですよ。その自分が高齢になった時、初めに直面する問題は「定年退職」だろう。
これは、自分のアイデンティティの大半を占めている物事で、その外に弾かれる訳です。

このままでは、仕事ばかりしている、傾向の強い私の事だ、大量の時間を持て余す事になるでしょう。

そうなった時、自分の趣味だけで、消化出来ないのは明白です。ましてや80歳になった時、元気よく趣味をする気力は今よりも薄く、弱々しくなる。人と関わる事も、今よりだいぶ少なくもなる。

いずれにしろ、そうなった時に近所の喫茶店にでも集まって、たわいの無い話を楽しむ「友達」は何よりの宝になるだろう。

問題は仕事上の仲間や友達は居るが、明らかに損得勘定が中心になっている人間関係です。得をする存在になら無い時点で、その人間関係はほぼ終わるでしょう。
それに損得勘定では無い友達は歳を追うごとに少なくなり、新たに作ることは困難になるでしょう。
となると、自宅から10km圏内にそんな友達が居るかどうかと考えたら、微妙になる。

年老いてから外に対して友達を作ると言っても、60〜70歳の老人が「友達にならんか?」なんて言ってきたら通報案件バリに怖いと自分でも思う。

ずっと地元に住んでいる人達はこの問題に無縁な人が多いとは思うが、地元から離れた人達には、身近で切実な問題なのかも知れない。

自分としては、だいぶ切実な気がして、今から未来の自分にいかに投資をするかを考えながら、震えて眠る事にします笑

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