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小学1年生の記憶『サラダでげんき』

こんにちは、灯城です!

今日は、ほしまるさんが宣伝されていた企画に参加しようと思います!

ちょむらんさんが企画されている「心に残った国語の教科書」という企画です。

私は「心に残った国語の教科書」と聞いて、すぐに「”サラダでげんき”だ!」と思いました。


皆さまご存じでしょうか?

りっちゃんはお母さんが病気になってしまったので、なにかいいことをしてあげたいと考えます。そこで、美味しいサラダを作ることにしました。きゅうり、きゃべつ、とまと、をお皿に乗せたところで、ねこ、いぬ、すずめ、あり、うまが次々とやってきて、サラダ作りのアドバイス。北極からは白熊の電報が届き、最後にはぞうが飛行機に乗って登場します。みんなが手伝ってくれたおかげで、美味しいサラダの出来上がり。りっちゃんのお母さんはそのサラダを食べてたちまち元気になりました。  【HPより】

私はこのお話が大好きで、作中にでてくるレシピを使って実際に料理をしたことも覚えています。

たぶん、それが初めて包丁を使わせてもらった体験だったとも思います。

第一子だった私が幼かった頃は、かなり過保護に育てられていたようで、ハムを切る私に「気を付けてよ、気を付けてよ!」と母親が声をかけ続けていた様子が思い起こされます。母親がすごく不安そうにするから、包丁というものがとんでもなく危ないものに感じて、すごくおっかなびっくりハムを切った記憶です。

しかも、ハムって結構切りづらいんですよね。笑

今でこそキッチンバサミでぺぺっと切ったりするのですが、その当時はたぶんその発想があんまりなくて、しかも急遽サラダ作りに挑んだのでしょう、大きな包丁に必要以上に力を入れて母親と二人で一生懸命サラダを作って、くたくたになってしまったように思います。

そのあとくらいに、私用のこぶりな包丁が我が家に導入されました。

『サラダでげんき』の主人公りっちゃんは母親が病気になってしまったのを元気付けるために料理をしていましたが、当時の私が母親の具合が悪い時に料理なんて始めたら、心労にとどめをさしてしまったと思います。

それくらいおっかなびっくりいろんな物事に挑戦しておりました。

今となってみれば笑い話にもなる思い出ですが、当時の母からしてみればひとつも笑えなかっただろうなぁとこの歳になってみてわかります。笑

さて料理のほうはそんな調子でしたが、国語の教科書と言えば我が家には恒例になっていた行事があって、それが我が家ながら微笑ましいと感じるのでそのことを書いておこうと思います。

私には5つ下の弟がいます。
その弟に読み聞かせをするように「音読」の宿題をするのが大好きだった私と、それを見るのが大好きだった母親。

そんな微笑ましいシーンを想像すると、我が家のことながらなかなか可愛らしいなぁと…笑。

音読をされている間の弟はかなり大人しくしている良い子だったと思います。大人しく聞いていて、サラダのシーンになると手を伸ばしてあむあむする動作をしたりして、なんとも可愛らしかったのです。

食べ物が出てくるお話で、小さな子がその絵に手を持っていって食べる真似をしたり、他の人にわけてあげるようにその手を相手の口に運ぶ動作って、なんてカワイイんでしょうね。

その可愛さを知ったのはこの『サラダでげんき』じゃないかなぁと思います。『はらぺこあおむし』もかなり有力候補かな。でもたぶん、”私の口元”に弟の手が運ばれたのは『サラダでげんき』が最初で間違いないです。

正直に言って、『サラダでげんき』の内容そのものはあんまり記憶にないです。しかし、付随するエピソードを思い出すと、私の心の中に残り続ける大切な作品であることに違いありません。

きらきらビタミンカラーのイラストもすごく記憶に残っていますしね。

調べてみると、この作中に登場する「りっちゃんサラダ」のレシピがたくさん出てきましたので、近いうちにまたチャレンジしてみようと思います。



ちょむらんさん、素敵な企画をありがとうございます!とても楽しんで書くことができました。ほしまるさん、素敵な企画を知らせていただいてありがとうございます!

ここまで読んでくださった方がいましたらありがとうございます。

失礼いたします。





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