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【王室・訃報】ギリシャ王子ミハイル殿下、享年85歳
ギリシャ王子ミハイル殿下(現在のギリシャ共和国においてはミハイル・ティス・エラザス・ケ・ザニアス氏)が7月28日に85歳で逝去。
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ギリシャ王ゲオルギオス1世の生き残っていた最後の孫。
(五男クリストフォロス王子の息子)
ギリシャ王族を父に持つ前エディンバラ公フィリップ王配(2021没, エリザベス2世の夫君)の存命中の2人のいとこのうち1人だった。
(もう1人はビルマのマウントバッテン伯爵ルイスの娘であるパメラ・ヒックス夫人である)
ギリシャは初め、バイエルン王家のオットー王子を「国王オソン1世」として迎えるもうまくいかず、次にデンマーク王子ヴィルヘルムを「国王ゲオルギオス1世」として迎えた。
そのため、ギリシャ王族は同時にデンマーク王子/王女の称号をもつ。
ミハイル王子は1歳で父を亡くしたため、母方(オルレアン王家)のフランスで育った。
後にフランス名「ミシェル・ド・グレース」の名で作家として活動している。
その功績で紹介すべきものとしては、2005年のインド旅行中に現地で「ブルボン家」を名乗る旧貴族家を知り、その当主であるバルタザール4世にインタビューを行って「インドのブルボン家(ブルボン=ボーパール家)」を再発見したことだろう。
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彼らも聖王ルイの子孫であることを誇りに、400年もインドでキリスト教信仰を貫き通していた。
(一族の存在は既に19世紀後半に旅行者によって知られていた)
2007年にはそれを元に歴史小説「Le Rajah Bourbon」を出版した。
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2024年7月28日、アテネの病院で逝去(老衰?)。85歳。
娘婿にあたるイタリア王家の分枝サヴォイア=アオスタ家のアイモーネ殿下らが哀悼の意を表した。
8月1日の葬式はアテネの聖テオドロス教会で行われ、ギリシャ王家の当主パウロス2世王太子や、スペイン王太后ソフィア陛下(※デンマーク前女王の妹君)、娘婿の(前述)アイモーネ殿下らが参列した。
遺族は花輪の代わりに児童虐待防止ELIZA財団への寄付を希望しているという。
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葬式後、ミハイル王子はギリシャ王家の霊廟であるタトイ墓地に埋葬される予定。
魂が安らかに眠りますように!
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