自分で研究テーマを作るべきか?

ポスドク時代に非常に苦しんだのが自分で研究テーマを決めるのかという点です。
ポスドクの場合なので学生の場合は悪いことは言わないのでテーマを貰ってください笑

大体どこでもそうだと思うのですがポスドクにはある程度の「ジョブディスクリプション」が存在します。
当たり前ですがお金は多くの場合その仕事に対して出ているので、ある程度ふわっとした研究の方向性がありその範囲内でのテーマ設定の裁量があります。その裁量内である程度自由にテーマや発展方向を定めていくところが研究の見せ所だと思います。

一方で研究テーマをうまく作れない教授=研究能力の低い教授というのもまあまあの割合で存在しています笑。 政治的な立ち回りがうまく大御所の周り仕事をしていてビジビリティは高いのですが、基本はその大御所から与えられたテーマを延々とやっている(学生時代のテーマを含む)いう感じで自分で考える能力が低かったり。。。

そういう人の研究室では「手法は同じ、データが違う」とか「実験データの組み合わせが違う(結果は同じ)」みたいな要は”筋の悪い”研究テーマしかなかったり、将来性のない雑用的な仕事をさせたりしていたりします。 テーマ決めを共同研究者やひどいところだと学生に丸投げしていたりします(僕も他大学の学生のテーマ考えました)笑
そういう研究室の学生が研究発表で苦労しているのを見ると何となくいたたまれない気分になります。。。

結局のところ「研究テーマを作る」=「自分で仕事を作る」ということなので民間企業でもあまり事情は変わらない気はしますが、「そのクソ上司なり教授なりの元で働くことに耐えるか否か」というのはポスドクの方が負担が大きい。

会社の場合は業績がクソなのは最終的にその上司の責任になるのに対してポスドクの場合は(たとえ自身に非がなくても)自分自身に降りかかってきます。 またアカデミアは閉鎖的な社会なのでそこでの評価や業績がその後にモロに影響しますし何よりも生活が懸かっています。そして、多くのポスドクは「教授になる」という目標を持っていますので、その目標を断念するという苦渋の選択になります。

自分で研究テーマを作らせてもらえない、たとえ作って報告しても無視されたり妨害されたり、筋の悪い方向へ誘導しようとしたりと裁量が全くない状況にものすごく苦労しました。

少なくとも研究という行為は主体的に行うものなので本来であれば自分でテーマを作れる=仕事ができる人の集団であってほしいものですが、そういうでない人がリーダーを務める分野にしまっている以上はたとえ伝統があろうが、将来性があろうがその分野は多かれ少なかれ衰退していくでしょう。

東芝やシャープが存続の危機に陥ったようなもので結果論としては「社内文化や誤った人事によって倒産すべくして倒産した」と言われているように研究分野も同じく衰退すべくして衰退しているようなものです。

と言いつつも教授同様に「自分で研究テーマを作れないイエスマンなポスドク」はそういう研究室と相性が良いわけで、外から見たら明らかに衰退をたどることは明白なのですが、当の本人からすると「教授への道に近づく近道」なわけですので、結局のところはその人の研究スタイルや価値観次第ということになります。

というわけで「自分で研究テーマ=仕事を作るべきか」としては研究者としては「Yes」、組織内の政治的行動としては場合によって「No」となります。

「研究者として大事な価値」と「名誉や出世」は多くの場合トレードオフになり、「研究者としての価値」を守るかどうかの良心の戦いになるということです。

昔がどうだったのかわかりませんが、個人的には前者を選ぶ人が研究者になってほしいですが、どんな分野や会社においても後者を選ぶ人が増えているところはろくなことが起きないので去るのがいいと思います。




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