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【viva不登校】総括:息子の「自主休校(不登校)」が自分に教えてくれたこと④

【viva不登校】というタイトルでnoteを書き始めたのが2019年6月、途中間も空いたが、間も無く100記事となる。加えて中学校に通い始めた息子の変化もあり、そろそろここまでの息子との2年間の道のりを総括していこうと思い、ここから100記事となるまでの6回、「息子との経験が私の教えてくれたこと」を言葉にしていきたい。

総括④「家族というシステムを理解する」

システム?というと何だか固いイメージを持たれるかもしれないが、言いたいことはことは「関係性」の話である。日々漫然と過ごしていれば時間はそれなりに過ぎていくというのが生活の本質的な示唆であろう。特に「家族」という点においては、日々まさに生活であり、望む望まざるに関わらず「家族」としての日常はやってくる。そこに大きな出来事がなく、意識の上下左右の動きがなければ淡々とその生活としての日常が過ぎていく、それが「家族」なのかもしれない。決してその日常を否定しているわけではない。

しかしながら我が家では息子の「自主休校(不登校)」というビッグイベントを経て、毎日の日常が様変わりした。息子に起きていることを探り毎日を過ごしていく中で明らかに「家族のシステム(関係性)」に変化があることを感じた。この点は実際にこの先、子供が「自主休校(不登校)」を選択した他のご家庭の皆様にも1つの仮説的に参考となると思っている。

A「夫婦」というシステム(関係性)
子供に向き合う上で「子供」に対する想い、かっこいい言葉で言えば「価値観」が思い切り露わになった。母親(母性)から思う子供への価値観、父親(父性)から思う子供への価値観、重なる点もあればそうでない点もある。ここは完全な私見となるが母親(母性)からの子供への価値観はとっても広くて深い、非常に多面的で複合的だ、母親は本当に偉大だと思う。ごめんなさい、そんなことはない、父親も!と思う方もいるだろうが重ねて言います。これは私見です。「子供」への価値観で衝突することがあっても最後は「母親」の価値観を尊重するようにした。なぜならば自分のお腹の中で子供を育み、命と引き換えにこの世に産み出してくれた母親の存在を尊重したかった。今でも色々と衝突はあるし、喧嘩もするし、頑固な男の意地で引くに引けない場面もあるが、最後は「母親」の選択を信じる。そのように「関係性」がより強くなっていった。

B「兄弟」というシステム(関係性)
出典は定かではないが、何なの文献、論評で見た思えばあることとして、
自主休校(不登校)になった子供に兄弟/姉妹がいた場合、その兄弟/姉妹も自主休校(不登校)になる(選択する)ケースが多い」というものであった。うちの場合、そのケースではなかったが兄弟/姉妹の「関係性」の中でそのようなことになることは容易に想像がついた。うちの場合、姉がいるのだが、姉は毎日学校ヘ行く。外が雨だろうと自分の気分が少し落ち込んでいようが。しかしながら息子は自分の意思で学校に行かない。そのギャップを毎日体感するのは姉である。もちろん姉にも「学校に関しては同じように自分の気持ちを大切にして向き合って良い」とは伝えているものの、彼女(姉)なりの学校への価値観もある。「なぜ弟だけが」という思いから弟への当たりもかなり強くなった時期がある。それを夫婦として気に病んだ時期もあった。しかしながら大切なことは「息子と向き合う時は息子に集中し、娘と向き合う時には娘に集中する」夫婦としてのルールをそこに置く、貫くことで次第に娘も今の状況を理解するようになっていった。当たり前ではあるが2人とも大切な子供なのだから。

C「両親」というシステム(関係性)
これは直接関係しないかもしれないがうちは2世帯で同居しているため正面からこのシステム(関係性)の影響を受けることになった。ただし同居でなくとも別居でも間接的には同じことである。

うちの場合、妻のご両親であったので義父母になる。これはまた複雑性を増すが後述する。ポイントは我々の「両親世代との学校に対する価値観の差」をどのようにすり合わせていくか?である。その世代の方々は「学校にいくのは当たり前、不登校=さぼり、生優しい」という価値観を持っている方は少なくない。語弊を恐れずに言えば。うちの義父がそうであった。息子が学校に行かなくなった当初は「甘ったれ」という言葉をよく口にしていた。無論、義父は息子への愛情、想いがあってのことであって決して息子を苦しめようと思っていたわけではない。当然、今のこの課題の社会状況、具体的には教育環境、HSP(C)といったことを知っていたわけではない。であるから義父母にはそういったことから情報共有し、我々夫婦がどのように息子に向き合っていきたいかを話した。特に私にとっては義父母であったので妻がうまくパイプ役を担ってくれたことは大きな助けとなった。そうする中、幾ばくかの対話を通じて義父母の理解も進み、家全体が息子の課題に向かって1つのベクトルの上にいる状態を作れたことが大きい。大人の「言葉」が魔法にもなり呪文にもなりうるからである。

というように、今回の息子の自主休校(不登校)という経験(レッスン)を通じて「家族」とは何か?そこに見えない「システム(関係性)」を見ることにより「家族」全体がupdateしたと感じている。

その意味ではこのような経験(レッスン)を与えてくれた天に感謝である。

viva不登校。

ここまでお読みくださりありがとうございます。基本的に「褒められ」「乗せられ」「おだてられ」ぐんぐん伸びる私です。皆さんのリアクションに勇気百倍です。重ねてありがとうございます。