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【viva不登校】その「安心」はどこからくるのかと言えば・・・

noteに限らず、この「不登校」という経験をしている子供の親御さんたちの言葉にグッと胸が押しつぶされそうになる。それはなぜか?自分も同じような気持ちや想いになり、その時の重さが自分にのしかかってくるからだ。

先に自分なりの結論を言っておくと、

「子供が学校に行っている、だから安心する。」

これはシンプルに親の気持ちだなと。息子が不登校(という名の自主休校)を決めた時、何が起きているのか?理解ができなかった。学校に行かない日が、1日、3日、1週間、気づけば1ヶ月になっていた。その間、親である自分たちはどんどん塞ぎ込んでいった。「何がいけないのか?」「どうして息子は行けないのか?」「他の子供たちより劣っているのか?」「このままではまずい」言葉を選ばず、その時の心の中の声はそうであった。

そうやって続く毎日は、薄暗く、どんよりとした曇り空の状況だった。ただし、1ヶ月も経った頃に、自分たちは方針転換をした。

「不登校」は病気でも、悪いことでもなんでもない。

そう強く、自分たちの中に言い聞かせて毎日をとにかく全力で過ごした。とにかく未来を見据え、ニュートラルに、何も評価せず、日々過ごす毎日に感謝をして。私のnoteを見て貰えばお分かりいただけるが、それはこの「不登校」の話題を明るく、面白おかしく書いてきた。

でも、正直に言おう。息子が小学校5年生の夏から卒業までの1年半、教室に入ることがなかったあの日々、一度も「安心」を覚えたことはない。

「学校が全てではない」「長い人生を考えれば今この時間なんて一瞬のこと」などと言う人いもいる。かくいう私もそうだった。ただし、実際は、子供が学校に行っていない日々、そこには大なり小なりの「不安」があるのだ。ストレートに言えば、学校に行ったら、それは「安心」するのだ、親は。そのことを否定するようなムードや風潮に私は否定的だ。

だから、色々な情報がこの「不登校」の界隈にはあるが、学校に行かせることは目的ではない、ただし、だからと言って、学校に行かせている自分が持つ安心感に蓋をするようなことは自分はしない。

息子が自主的に学校に行くのならば、それは息子の人生、大いに結構だ。息子は中学1年から学校に通っている。毎日の給食を全力で美味しくないと言っている。毎日がエキサイティングなようだ。

viva不登校。

ここまでお読みくださりありがとうございます。基本的に「褒められ」「乗せられ」「おだてられ」ぐんぐん伸びる私です。皆さんのリアクションに勇気百倍です。重ねてありがとうございます。