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【viva不登校】JK娘と踏み出す新たな旅路

1月に入り娘(高校2年生)は学校を休むようになった。ことの始まりは娘からのLINEだった。

「今日ね、学校で少しパニックになってしまって保健室で休んだんだよ」

その日の夜、妻と娘の心の内を聴いてみた。その背景にあることをここで語ることは割愛するが、娘は去年、とても大きな経験(辛いとも取れるし、それは一生ものの経験とも言える)をした。その経験が教室の中でフラッシュバックしてきたようだ。

人間の体とは素晴らしい機能を持っていて、心の中の警告を体で現してくれる(と私は信じている)。娘の体はその日から「学校へ行く」という行動から離れる選択をした。おそらく心の中の何かが彼女に声をあげているのだろう。妻も私もそのことをよく分かっている。とは言え、娘の選択が意外であったことは夫婦にとって間違いはない。しかしながら、我々には息子が小学校の頃に経験させてくれた不登校(自主休校)の日々のレッスンがあった。

・子供の人生は子供の人生である
・親ができることは子供を見守り、必要な時に選択肢を与える
・親自身が自分の人生を自分らしく生きる

「学校へ行く」ということから離れちょうど1ヶ月が経った昨日、近所の海が見えるホテルに娘を誘い出した。娘が見ている景色、妻が想うこと、私が考えること、どれに対しても、否定も肯定もなく、ただ思うがままに語り合った。

娘から出てきた言葉、それは「自己肯定感」というキーワードだった。娘はそこまで「自己肯定感」を自分なりにそこまで考えていたのかと、驚いた。でも力強くそのことを語る姿に、視野の狭さ、考えの硬直性、など感じる点はあれどしっかりと自分の言葉になっていた。そしてそれを自分のこれからの起業のテーマにしていきたい、とまで言い切っている。

しかしながら親として子供から「自己肯定感」というキーワードが出てくると、今までの娘との時間(娘はまもなく18歳)が走馬灯のように蘇ってきた。そしてその言葉には、親として娘に呪文をかけていた部分もあったのであろうと感じた。

ただし、誤解(語弊)を恐れずに言えば、一切それに関して後悔はない。なぜならば我々夫婦は娘に全力で向き合ってきた自負がある。子育てに「正解」など何一つない。あるとするならば、全力で子供に向き合ってきた信念の先にある「自分たちの妥当解」であろう。

今回の娘との旅路もどのような展開をみせていくのか分からないが、妻と娘とお互いの信念をぶつけ合いながら航海していこうと思う。今、自分の中にはワクワクやドキドキ、期待や不安が入り混じっている。だけれどもワクワクが最後は勝る、その気持ちにさせるのは、娘のまっすぐな瞳があるからだ。

そして、今朝久しぶりに学校へ向かう彼女。見送る我々夫婦。

このnoteはこれからの航海の所信表明である。

追伸、「子供二人とも、不登校(自主休校)を経験することになったね」と妻と冗談混じりに話している。

viva不登校





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