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【viva不登校】春・夏・冬休みはホッとできた瞬間だった

世の中、春休みに入った。中学校3年生に上がる息子は卓球部の県大会に出場するために、早朝に家を出ていった。高校生の娘もダンスサークルの練習で出かけた。リビングに今、一人。この子どもたちの春休みに想うこと、あの頃の自分をふっと感じたので、書き留めておきたい。

表題の通りだが、息子が「不登校(自主休校)」だった時、学校が長期休暇に入る、春休み、夏休み、冬休み、この時期は親としてホッとできた瞬間だった。なぜならば、

他の子どもたちも、息子と同じように学校に行っていない期間だから。

休みに入る前の期間は、毎日ベランダから外を見ると、学校に行く隣近所の子どもたちが見えた。否応無しに、どんなに自分の中で親として心の整理ができていたとしても、

学校に行く他の子どもたち、家にいる愛する息子。

この構図を前に、そこはかとない、表現しにくい想いが去来してきていた。それが休みになれば、外を見ても「学校にいく子どもたち」の姿を見ることはない。息子と同じ環境だ。

常日頃、「人は人、息子は息子」「学校に行かないと決めたこの時間が大切」「他の人とは比較をしない」なんて言ってはいるものの、やはり安心はする。

他の子どもたちと一緒の環境にいることができる、安心感。

毎日がその思いと、「一緒でなくてもいいんだ」という思いとの行ったり来たりの中で過ごしていた。でもよくよく考えてみると、このことは「不登校(自主休校)」であろうと何であろうと、親が常に思っていることなのかもしれない。なぜならば、人間は「人の間」で生きているわけだから。

親として未熟だったかもしれないが、あの時の自分がいるから今の自分がいるし、家族の今がある。

4月からは新学期、子どもたちは色々な想いでその時を迎えると思う。何があろうとその時に、自分たちがこれでいいんだ、と思う道を歩んでいきたいと思う。

viva不登校。

ここまでお読みくださりありがとうございます。基本的に「褒められ」「乗せられ」「おだてられ」ぐんぐん伸びる私です。皆さんのリアクションに勇気百倍です。重ねてありがとうございます。