見出し画像

自己肯定感より大事な「社会肯定感」

今回の内容は、身内の恥を晒すようなことかもしれないけど、誰かのためになると思って書いてみようと思います。子育て方針的な話です。

私は、大学生になっても、将来何をやりたいのか、何のために生きているのか、よくわからなかった。社会人になっても、20代の頃は殆ど同じ状況だった。

原因は、いろいろあるのかもしれないし、どれが直接的な原因ということもないと思うけど、一つだけ、これがあったら違っていたかもしれないというものがある。

それは、「社会肯定感」。自分の生きている世界や社会、そしてこれからの未来を肯定する感覚のこと。ネットで調べても出てこないので、もしかしたら私の造語になるのかもしれない。(「社会的自己肯定感」とは全くの別物です。)

20代までの私には、「社会肯定感」がほとんどなかった。世の中は自分に優しい世界ではなく、自分の力がなければ生きていけない、幸せを得ることが出来ない。何をどうすればいいのか分からなかった。

通勤途中の乗り継ぎで新宿西口広場を通り過ぎる時に、ホームレスの人がダンボールに包まって寝ている姿を見かけると、明日の自分だと感じた。きっと会社を辞めて、次の就職先が見つからなかったら、失業給付も底をついて、最後はこうなるのだろうと。

自分の将来は、薄暗くモヤがかかっていた。

目線を変えて、世の中に意識を向けてみても、戦争・紛争、貧困、差別、環境破壊などなど、小学校の頃から聞かされていることが今も同様に問題視されている。世界は何も進歩していなくて、これから進歩する可能性も感じられない。

私にとって、自分の将来どころか、人類の将来も薄暗かった。

そんな私が少しずつ変わり始めたのは、取引先に営業として出入りしている競業先の担当者と同じ飲み会に参加してからかもしれない。2時間超の飲み会でされた話で唯一記憶に残っているのが、彼が話していた子育てについてだった。

彼は、私より身長が高く、180cmくらいだっただろうか。短髪で、いつもエネルギッシュな印象を与える人だった。思慮深くもあり、かなり出来る部類の営業だったと思う。

彼には就学前の子供がいた。出勤時には、彼を玄関まで見送りに来て、帰宅すると出迎えに走ってくるそうだ。子どもの話をしている彼の表情からは、子どもに対する愛情がひしひしと伝わってきた。

そんな彼が話してくれた子どもとの関わり方の一例が、こうだ。

  •  出勤時に、その日にどんなに重たい案件があったとしても「今日は何して遊んでこよーかなー。楽しんでくるね! 行ってきます」と言う

  • 帰宅時に、「あー、今日も楽しかった」とどんなに疲れていても、口にするようにしている

当然、話を聞いていた同席者からは、「なぜ、そんなことをするのか」という質問が飛ぶ。

彼曰く、「子供が将来仕事をしたくなるように、仕事に対していいイメージを与えたいから、自分の気持ちに嘘をついてもそうしている」とのことだった。

それを聞いて口にはしなかったものの、私は強く膝を打った。

なるほど。
思えば、私は両親から逆の関わりをされていたように思う。とても良い両親で感謝しかないが、残念ながらこの点だけは、十分ではなかったと気づいた。

父は仕事の愚痴などを直接的に表現することはなかったけれど、仕事に対してストレスを抱えていることは明らかで、そのストレスのせいもあってか、ニュース見ながらTVに向かって批判的なことをよく口にしていた。母は、家の1階でケーキ屋をやっていて、体力的にしんどいこともあってか、よく溜息を付きながら仕事をしていた。あまり楽しそうな表情で仕事をしていた印象はなく、身を削って頑張っている印象が強く残っている。

結果として、私は仕事や将来に対してネガティブなイメージを持つようになった。それを社会人まで引きずっていたということなのだと思う。

両親のことは子どもの頃から大好きだし、尊敬していて、今でも仲がいい。大好きで尊敬していただけに、その両親が私のモデルであり、将来は二人のどちらかのようになるのだろうと思っていた。でも、普段の両親を見ていると大変そうで、自分の将来に楽しい期待を持つことが出来なかった。

こんな過去の体験と飲み会での話が合わさって、自分の成長した先の未来や世界を肯定する「社会肯定感」がいかに大事か、実感を伴って理解することができたのでした。

今、私には、二人の子供がいる。2023年4月現在で、小4娘と小1息子。この二人は、私と妻の想像を超えて、立派に成長してくれている。二人とも幼稚園の頃から一歩抜きん出た振る舞いをしていて、同級生をフォローしたり、堂々と自己表現をしたりしていた(ように見えた)。

私も妻も、幼稚園の頃は大人しく、私に至っては人前で話すこともまともに出来なかった。それが全くの逆のことをしていて、「突然変異だね」とよく妻と話している。ウズラが鷹を産んだとしか思えず、すでに我が子に対して尊敬の眼差しを向けている。

このように育った一因が、子どもの「社会肯定感」の高さなのだと思う。

「社会肯定感」が高いと、将来に対する希望や期待が大きくなるので、挑戦するマインドが強くなり、多少の失敗でもへこたれなくなる。希望や期待が、失敗で起きる負の感情に勝るから。そうなると失敗に負けず継続し続けられるので、いずれ成功が訪れて、「自己肯定感」が高くなる。結果、さらなる挑戦へのハードルが低下して、挑戦マインドが維持される。こんなサイクル? メカニズム? そんなものが発生するのだと思っている。

娘は小2の頃に逆上がりが出来るようになった。私に似て線の細い身体で、力はない。小学校に上がってから同級生に刺激を受けて、逆上がりの練習をするようになったが、中々出来るようにならなかった。逆上がりの特訓1日講座に参加したいといえば参加させてみたが、1年経っても出来る兆しは見えなかった。

だけど、2年生になったある日、「逆上がり出来たよ!」と嬉しそうに私に報告してきた。なんでも、学校の休み時間に「出来るようになりたいから」と、一人でひたすら練習をしていたそうで、それがその日出来たのだという。

周りからの誘いを断って、休み時間に一人で練習をしていたなんて知らなかった。たくさんの失敗をしていたはずだし、周りからの誘惑も多かったと思う。でも、彼女の思いがそれらに勝り、最終的には、自ら達成を勝ち取った。

そんな彼女はたまに言う。「早く大人になりたい」と。

この言葉を聞くと、もっと応援したくなるし、「あぁもう、好きに人生を歩んでくれ」と思うのだけど、まさにこれが社会肯定感の高い状態なのだと思っている。

引き続き、彼女は挑戦的な生活を送っているようで、いつの間にか雲梯を端から端まで渡れるようになり、水泳はバタフライ以外出来るようになったようだ。私は中学生でクロールと平泳ぎの25mが泳げるようになったと言うのに。バタフライもあと数ヶ月で習得してくるだろう。

子育てはいろいろと模索をしてきたけれど、子どもたちを見ていると、途中経過ながら「社会肯定感を高める子育て」という一つの正解にたどり着いたように思う。

「社会肯定感」を育むために、日々意識していることを挙げると、

  • 自分自身が幸せで、世の中や社会を肯定した状態であること

  • 妻と仲が良いところを見せる

  • 家では会社や社会に対する不平・不満を言わない

  • ネガティブなニュースに触れてしまったら、それよりも何倍も良いことが起きていることを伝える

  • ポジティブなニュースがあれば、敢えて話題として取り上げる
    (ついでに、ポジティブなことが起きた要因について考える問いを出す)

などなど。

自分が両親から感じたように、子どもたちに仕事を、世界をネガティブに捉えさせないように、私自身が自然体で幸せな状態でいられるように努力している。

「カエルの子は、カエル」ではない。
ウズラが鷹を産むように、カエルの子は、如何様にでも進化できるのだと思ふ。


今日は、ここまで。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
ゆう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?