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一生に一度切りの独立を前に揺れる心を、書くことで鎮めました

現在、会社員。近いうちに独立を目指している。
数日前まで順調な感覚を得て居たけれど、この文章を書き始めた現在、やや不安に駆られていて、どうしたものかと思っている。

自分の心境を書き出すことで、スッキリすることが多いので、感じていることを書き出してみたい。いつか、今の自分を振り返る時にも役に立つかもしれない。

やり切らない自分に対する不安

この文章を書き始めたのは日曜日の夜で、その日の朝はランニングをしていた。週末は、健康管理のために、十数キロ走ることにしているが、今朝はトータルで10キロだったけど、途中3割の距離は歩いてしまった。何か、気持ちが乗らなくて

歩きながら、スマホの記事で読んだウクライナに従軍する日本人義勇兵の話が頭をよぎった。彼は、自衛隊のエリート部隊出身で、周囲の反対を押し切って従軍を目指した。彼は、自衛隊を除隊してから現地に行くまでの1年間、不安を感じなくなるまで自分を鍛え抜いたそうだ。

記事を読んだ時は、「なるほど、そうだよな」と必要なこととして何か納得する感覚があった。やはり自分を鍛え抜くプロセスが自信に変わり、本番環境での平静に繋がるのだろうと思った。

それを思い出して、「自分も戦わねば」と思い、歩くことをやめて走り出したのだけど、数分走ってスローダウン。我ながら早かった笑

独立を目指す理由の一つが、不安や恐れからではなく、期待や希望、願いから動くことに重心を置くためなのだけど、走っている時の気持ちの置きようはそれと逆のことをしていると気づいてしまい、走る気持ちが下がってしまった。

独立後にモチベーションが下がったら、その時も戦いのエネルギーを出してやろうかと一瞬は思ったけど、それでは会社員の今と大して変わらない。

じゃあ、期待や希望を力に変えればいいじゃんと意識を切り替えて観たけれど、上手く接続出来ず、ペースアップできなかった。

結局、走り続けることが出来ずに、また歩き出してしまい、不甲斐なさを感じる。「こんなんで独立して大丈夫なのか。嫁、子供の生活を維持できるのか」と不安を感じてしまった。

欲張りと節制のバランスがまだ見つけ切れていない

先日投稿した以下の記事で、欲張り続けるために節制をすることを書いた。

この感覚は気に入っていて、その後も使っているのだけれど、今日のランニング中は、というか、ここ数日間は機能していない。欲そのものに接続出来ない感じで、欲を力に変えることが出来ていない

体調が悪いわけではないし、何かネガティブなことが特別起きたわけでもない。気がつくと今の状態になっていた。

こういう時こそ、欲に繋がって力を引っ張り出すことが目指すべきことなのだろうけど。

実は、今日のランニングでは、もともと10キロ程度走ればいいかと思っていた。節制のためだ。

いつものルートを走ると17〜18キロになるのだけど、その距離を走ると体が疲れてしまい半日くらい使い物にならなくなって、欲張るどころではなくなる。だから、力の使い過ぎを抑えて、余裕を作るために今日は10キロにしようと思ったのだ。

走り終わった後のことに欲を張れるように余裕を作ったのだけど、上手く力がやることと繋がらない。体力的な余裕はあるのだけど、その余裕が活力にならない

これでは、節制という名の下にただ楽をしただけで、欲張りではない。欲張りたいのだけど、欲張れない。参った。

不安を観察して乾かす

夜になって、自分の時間になった。

頭ではノートに箇条書きしたリストのアレをやらねば、と思うのだけど、気持ちが乗らないからやっても質が伴わないだろう。リスト上にはないことにしようか思案するけど、思いつかない

思いつかない状況に不安を感じてしまう。こんなんでいいのか、と。

仕方ないから、瞑想をすることにした。唐突になぜ? と思うかもしれないけど、瞑想は気が向いたら不定期にやっていること。

内側に鬱屈して、溜まったものをスッキリさせたかった。瞑想に逃げている気もしたけど、やろうと思えたことがそれしか無かった。

瞑想は、30分。森の音を流して、部屋を暗くする。大抵、前半15分は考えが湧いてくるけど、後半に入ると少しずつ静かになってくる。その静かさを期待した。

前半戦。思考が湧いては、呼吸に意識を向けることを繰り返す。呼吸に意識を向けて、呼吸を数回往復させると、思考が湧いてくる。思考が湧いたら、また呼吸に意識を向ける。

後半戦。といっても、時計を見ているわけではないので、感覚的に後半戦。

そろそろ期待した静かさがえられるかなー、と思ったけどまだ訪れない。そういう期待を持っている時点で多分訪れないのだけど、その時は期待してしまっていた。

まだ来ない、まだ来ない、と思うと、「こんなんじゃダメだ」という声も浮かんできて、不安が継続する

瞑想がいつもより長い時間に感じる。背中に感じる暑さと汗。定期的に扇風機から届く風がもっと来ないかと違う期待が湧くことにも気づく。

これではダメだ。今日はダメなのかと、つい瞑想を解いて残り時間を確認する。20分経過、あと10分。

残り数分かと思ったけど、まだ時間はある。もう一度、入り直すことにした

今度は、感じている不安に意識を向けて、不安を感じてみることにした。不安を観察するように感じることで、不安は小さく出来るから。良いとか、悪いとか思わずに、ただ不安の存在を感じる。

不安が思考を呼び起こすけど、思考に流されないように、不安そのものに意識を向ける。

続けていると、何となく自分に対して、いたわりの気持ちが湧いてくる。ダメだ、駄目だと叱咤するのではなく、いたわりの気持ち。

少しずつ不安は小さくなっていき、乾いて軽くなる気がした。無くなりはしないけど、だんだんと扱えるくらいの軽さになってきた。

気持ちに始めよりスペースが出来てきた気がする。同時に、動くしかないかな、という気もしてくる。

いちいち考えすぎだった気もする。考えずに、感じて決めたことを淡々とやる。それも良いんじゃないか。動くことで波風が起きて、流れることもあるだろう。そんな風に思った。

これも瞑想中に湧いた思考。めちゃめちゃ思考している笑

今日はなんか入れないなーと思いやめようかと思って、また残り時間を確認する。あと、2分だった。それくらいならやり切るか、ともう一度戻ってやり切った。

終わってみて、取り巻く状況は変わっていないけど、期待は良い意味での諦めに変わり、動くことへのスペースは少し出来た気がする。

あとは動いてみて、流れに任せてみようと思ふ。

きっとグルグル揺れ動き続ける

今回の感覚は、初めてじゃない。過去にも何度か経験している。その度に同じような結論に至るのだけど、同じような感覚は同じように起こるらしい。

まだ私が腹が決まってないからなのか、弱っちいからなのかは分からないけど、どっちであると分かったところで、何も解決する気はしない。

多分だけど、この揺れ動きはこれからも起きるような気がする。昼と夜とが交互に来るように、季節が入れ替わるように、定期的というか、法則的なものとして。

もしかすると、もっと強く、激しい感覚で訪れるのかもしれない。

今出来ることは、そうなってもいいように自分の整え方を見つけておくことしかない。丁寧に自分に向き合って、寄る波を乗りこなせる自分の使い方を見出しておこうと思う。

ここまで書いてみた結果(あとがき)

あとがき的にここまで書いてみた今の感覚も書いておきたい。

まず、率直な感想としては、書いてみて良かったなということ。ジャーナリング(書く瞑想)の効果と言ってしまえばそれまでだけど、書き出すことでスッキリする感覚がある。

自分の中のモヤモヤが整理されて、漠然と先が見えない不安から、対象や原因が明確な不安になる。明確になると、私の場合は漠然と想像していたより不安の対象を小さく感じることが出来るようだ。

もう既に、寄る波に対する自分なりの乗り方の一つを見つけたのかもしれない。そう思うと、また少し気持ちが前を向く。

以前、文章を書くことは人生を豊かにする、ということを書いたことがあった。

その時とはまた違う切り口で、書くことの価値を感じることができた気がする。

書くことは下手くそだけれど、自分のために書くことを習慣にしてみようと思う。自分のためになるのなら、もしかすると誰かのためになるかも知れないという、淡い期待も抱いて。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
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ゆう@ToMoRu


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