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「死」がくれる贈り物

新幹線が速度を上げていき、街並みが閑散とし始めた時、私の視界はすでに霞んでいた。

それからしばらく時間が経ち、停車駅から何人か乗り込んで来たので、目が合わないように窓の外に顔を向けた。目に涙を溜めた40近いおっさんと肩が触れ合う距離にいたら気まずかろうと思ったのだ。

私は一冊の文庫本から目が離せなくなっていた。ページを捲る手が止まらないという経験は初めてだった。

内容は、がんで余命宣告を受けた方に行うターミナルケアに、セラピストとして関わってきた方のエッセイ集だった。小説はほとんど読まない私だが、体験記録ということもあって、引き込まれていた。

いくつもの体験が綴られていた。深い悲しみや恐れに襲われる患者に、全身で寄り添っていく著者の姿に感銘を受けると同時に、人が死を意識した時に何を思うのか、何を感じるのか、何をしたらいいのかを教えてくれる内容だった。

言葉に出来ないほどの悲しい出来事を綴っているはずなのに、どの話も読み終わりには心が深い優しさに包まれた。読み終えるたびに眼を閉じ、天を仰ぎ見るように顎を上げた。息を吸い込み、ゆっくり吐き出した。読みながら感じた感覚を取り込んで、人生の豊かさを体に染み込ませたかった。

250ページ足らずの文庫は、往復の新幹線であっという間に読み終わったが、読後の余韻は1週間経った今でもはっきりと感じることが出来る。

そして、面白いことに、手にしたのは余韻だけではなかった。

読み終えた翌日の月曜日の朝、娘がテレビを見ながら髪の毛をセットしていた。私は、その横顔を間近で見ていた。

キリッとした眉毛、長く量の多いまつ毛、まっすぐTV画面を見つめる瞳、キメの細かい肌。どこか意志の強さを感じさせる雰囲気。

自分の娘ではなく、そこにいるのは何か別のもののように思えた。

なんとも言葉にしにくいのだが、娘というより人、人というより命、命というより輝き、そんな風に感じた。しかも、捉えたものが一瞬一瞬で変化していく様も逃すことはなかった。
目の前で起きていることを、クローズアップのスナップショットで切り取っているようでもあり、時間の経過も遅くなったかのようだった。

あまりの深い感覚に驚きつつも、本から感じた豊かさが蘇り、娘を抱きしめたいと思った。思ったままに娘の体温を感じると感謝の念が自ずと湧き、一層豊かさを得ることができた。

学校に行く娘を見送ってから、一人デスクで考えた。

明らかに読んだ本の影響であったけれども、何を感じたからこんな感覚になれたのだろうか。

答えを出すのに時間はさほどかからなかった。それは、「死」だ。

私はこれまで身近な人の死を経験せずにここまで来ていた。「死」というものを主観的に感じることは少なく、頭で理解していたように思う。それが、死に直面した方の心の内に触れたことで、主観的に捉えられるようになった。

そして、「死」というものの輪郭がはっきりしたことで、逆に「生」の輪郭もはっきりとし、娘の瞬間瞬間を切り取るように捉えることが出来るようになったのだと、分かった。

娘は生きている。エネルギーを放っている。前を向き進もうとしている。
そのことが、まつ毛の一本一本から、瞳の輝きから、肌の細胞から溢れていて、それを捉えていたのだ。

娘が特別に美しいとか、凄いとかではない。いたって普通の小学校三年生の女子だ。
でも、そこにあるものが美しく、貴重に思えた。

もしかしたらいつか息子もこの文章を読むかも知れないので、念のため書いておくが、息子も同様だった。

息子は全身で感情を表してくれるが、満面の笑顔の中にある目やまつ毛、眉毛、その他すべてが美しかった。よく泣きもするが、徐々に崩れる表情をスナップショットで切り取ると、移りゆく感情の変化が愛おしく感じられた。

特別でないものが、特別に感じられるのは、それに終わりがあると感じられた時だけなのかも知れない。

娘も、息子も、妻も、いつ死ぬか分からない。そして、私も。

実際その通りなのだが、「生」が当たり前過ぎると、忘れてしまう感覚なのかも知れない。

今この瞬間に「死」が訪れるかも知れない。確率は低いけど、絶対にゼロにはならない。

そんなふうに考えると、途端に人生の濃度が上がる。時間の流れも遅くなり、1日が長く感じる。切り取ったスナップショットの枚数は膨大で仕分けできないが、残るものは間違いなく多い。

少し前までは忙しく日々か過ぎ去ることがあっという間だった。そこには「生」も「死」もなく、やることだけが山積みだった。
朝早く起きて、そそくさと家を出て、遅くまで働いて夕飯と寝るために家に帰る生活に、味気も何もあったものじゃない。娘に会っても、朝の挨拶だけだった。

生きているのだから、「生」を感じないともったいない。立派なダイヤモンドを持っていても、使わなければただの石。私たちは唯一無二の宝物を持っている。みんな持っている。

でも、それは「死」を意識することでしか気づくことのできない贈り物だった。

九死に一生の体験をしないと得られないかも知れないものを与えてくれた本と著者に感謝したい。

著者は、志村季世恵さん。
タイトルは、『さよならの先』

志村さんのことは、心の底から応援したい。
良かったら志村さんの本を手に取ってみて欲しい。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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