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ココ デハナイ ドコカep.1
新入社員が入ってきて1ヶ月と少しが経とうとしている。
かつては、一堂に会してそれぞれが自己紹介や所信表明をするのを聞いて、その佇まいや物言いから、これからどんな活躍をするのだろうかと想像したものだったが、最近はパソコンの画面越しより、物理的にも遠いところから眺めるだけのことも多く、いまいち個性まで読み取ることが出来ないでいる。
そもそも個性とか信条とか、そんな人との違いをあえて出そうとする新人が少なくなってきているのも事実で、差別化より一般化を望んでいるかのように見受けられる。
出過ぎることなく、認められる。
一握りの優秀な逸材を例外として、普通に過ごしているだけで認知されるという世の中ではなくなってきている。社会変化の速さと人材の流動性から、勤務先にいる時間の長さと認知が比例するわけではないことを、ここ数年で強く感じるようになった。
*
「レモンイエローの女」、それが新入社員としての私の認知を表す言葉だった。
朝礼でズラリと並ぶダークスーツの中で、女性は二人。
配属先で一緒になった女性が淡いピンクのスーツで来ることを聞いていたことから、頭を捻った結果だった。
今思い返しても、なぜあんな色のスーツを買ったのかと訝るほど、信じられない気持ちだが、多分、そういう時代だったのだろう。
良いか悪いかは抜きとして、そのスーツのおかげで、決定的に認知されたと自分は思っていた。
しかし、しばらくして新入社員研修が始まって間もない頃、指導員だった総務の女性の先輩に呼ばれた。
「あのね、気を悪くしないで聞いて欲しいんだけど…」
少しためらう表情をして、次の瞬間、キュッと口許を引き締めたのを見て、私は自身にとって悪い話なのだと悟った。
「会社って、いろんな人がいるところなの。年代も立場も、考え方も…。だから、一番にあなたが気にすべきことは、自分がまだ何も分からない新人だということを自覚することだと思うの。『この人になら、教えたい、支えてあげたい』と周囲から思われることが、あなたがこの会社で活躍できる一番の近道よ。」
はぁ〜、わかりました、とよく分からないままお礼を告げて、その場を後にした。
その総務の先輩は、周囲の誰もがあだ名で呼ぶほど慕われていて、誰に訊いても「いい人が指導員でついてくれて良かったね」と言われるような人だった。
時間がだいぶ経ってから、他の人より「レモンイエローの女」の前に連体詞「あの」が付いていたことを知らされた。
「あの」高飛車な、なのか、「あの」目立ちたがりやな、なのか、「あの」勝気な、なのかは知らない。
でも、「あの」に続く修飾語が、きっと良い表現ではなかったのだということだけはわかった。
*
弱みを人に見せることが一番苦手だった。
小学校でも中学校でも、卒業式で泣いている友人を見て、「私は絶対泣かない」と歯を食いしばるような子どもだった。自分でも可愛げがないと何度思ったことか…。
新入社員なのに、なぜか虚勢を張っていたのだろう。自分がどんな挨拶をしたのか、全く覚えていないが、入社して1ヶ月と少し経った頃総務の先輩に言われた言葉を、この時期になると思い出す。
何十年経っても、謙虚より虚勢が前に出てしまうこともあるけれど、こんな生意気な新人だった私に、柔らかく春の陽だまりみたいな言葉をかけてくれた人がいる会社だから、
今も、
私は、
ココに、いる。
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