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[男]と[男性]はどう違う?

*この大喜利にどう答える?

さて皆さん、標題のように「[男]と[男性]はどう違う?」と問われれば、どう答えますか?

……いえ、べつに今からここで、その命題に対する唯一絶対の正解を解説するわけではありません。
あくまでも、ある種の大喜利のお題だと思ってください。

あと、理屈のうえでは「[女]と[女性]はどう違う?」でも同じ話はできるんですが、便宜上「男バージョン」を採用しています。

ともあれ、アイデアをひねれば、いろいろな解答例が出てくるとは思います。
繰り返しますが、コレが正解だ! というのを今から論述するのが本記事の趣旨なのではありません。


*[男]が加害者、被害者は[男性]

じつは、ワタクシ・佐倉智美が前々から気になっていることがあるのですね
(ただ、なかなか取りまとめて語る機会がなかった)。
それが、この「[男]と[男性]はどう違う?」という大喜利のお題が出たりしたときには、ゼヒ開陳してみたい解答例

被害者は[男性]で、加害者が[男]

 なんです。

ありますよね?
事件報道などの文言で

xx日xx時頃、◯◯の路上で男性が刃物のようなもので刺される事件が発生しました。
警察は、近くに血の付いたナイフを持って立っていた男を緊急逮捕……

 みたいなの。
いわば、かなり恒常的に用いられる慣用表現です。

なので、「被害者は[男性]で、加害者が[男]」。
言われてみればなるほど、なのではないでしょうか。

*でもソコで性別必要??

しかし、コレ、あらためて考えるとオカシイです。
例えば前述したような事件であれば、路上で《人》が刺された・近くにいた犯人と思しき《人》を警察が逮捕した、というのが出来事の主眼です。
したがって、当事者2名の性別属性なんてものは、事件の本質にまったくカンケイないのではありますまいか!?
なのに、ナゼ、そんな不必要な個人情報まで余分に報道してしまうのか。
これは再考の余地、大アリですね。

以前にツイッターで見かけたやり取りで、「(自分が住んでいるマンションの)隣の部屋の◯◯人が、いつも騒がしくてうるさい」というツイートに対し、「それはあくまでも隣の部屋の住人が個人として騒がしくうるさいのが事の本質であって、その個人が(人種や国籍や民族的に)◯◯人であるという事実は必要がない余分な情報。それをあえて付加して言うことは包括的に◯◯人が皆うるさいという偏見とつながるのでよくない」とたしなめるリプライがついているというのがありました。
ごもっともです。

そして、そのデンで行くなら、やはり「男」とか「男性」(なので場合によっては「女性」や「女」も)という語彙で事件当事者を言い表すのは、事件の本質に対し関係者の性別属性が特に重要な意味を持っているケースではないのであれば、きわめて不適切だということになりましょう。

だいたい、このように何かの報道の際に案件の当事者を性別で呼称する習慣があるものゆえに、もしそこにトランスジェンダーが含まれていたりすると面倒なことになるのですね。
……もっと言えば、事件報道をスッキリ[男]とか[男性]で済ませられるようにしておくために、世の中に性的少数者がいてほしくないという圧力が生じている、みたいな深読みもできるかもしれません。

*配信限定両A面シングル!?

ただ……、この個人名を出さない匿名報道で[男性][男]を封印してしまうとなると、どんな代替表現にするかが、なかなか難しいというのも事実。

せやかて工藤、ほな何て言うたらええんや?

実際、慣用的に通用している言い回しはコミュニケーションのリソースでもあります。

やはり報道で、著名人が結婚した際などに用いられる「入籍」の語。これは戦前の家父長制に基づく旧民法のもとでは実態に即していたものの現行法に基づけば不適切……みたいな指摘はままあります。
しかし、当人らが結婚の合意に至り、かつ婚姻届も提出して法的に配偶者の関係になったことを、端的に言い表せて、みんなが直観的に理解できる、そういう点では便利な語彙ですから、むやみに言葉狩りするのも教条的に過ぎるでしょう。
今の制度とはちょっと実態が合ってない語ではあるんやけどナ、と、各自が頭の中で確認できるならソレでOKというような柔軟な対応も世の中には必要です。

ま、そのように実態から乖離しても便利な言い回しとして慣用表現に定着しているものは、むしろ枚挙にいとまがないくらいです。

今どき相当なエントリーグレードであっても加熱終了時のお知らせには電子音が鳴るにもかかわらず電子レンジで「チンする」とか言います。

すでに楽曲がCDでリリースされるようになってから2回も元号が変わったにもかかわらず、アナログレコード時代から引き継いだ「両A面シングル」という言い方も生き残ってます。
これもまた、代わりに何と言うか、の妙案がなかなかないんですねー;
なので「CDなんやから全部の曲が同じ面に収録されてるに決まってるやろ」なんてツッコミは無粋と言わざるを得ません。
あまつさえ近年では配信限定両A面シングルなんてゆーシロモノまで登場してます。
……もう「面」ないじゃん!w

*それでも性別とは距離を置きたい

しかし、それでもやっぱり、この事件報道での[男][男性]、なんとか改めたいです。
個々人の性別属性が、個人名に代わってその人を表す語となるのは、冷静に考えれば不可解以外の何物でもないでしょう。

それは逆に言えば、性別属性というものが、この社会において、異常なほど重用されている、そういう文化の中で私たちは生きることになっていて、そのことの不条理さに気付くことすら困難になっている、それについて再考する機会を得るということでもあります。
[男][男性]/「女」「女性」であることが、各人を特徴づける第一の属性であるという取り扱いは、各人のありのままの個性に対する抑圧でもあり、それに異を唱えて性の多様性を称揚していくことは、万人に対して生きづらさへのソリューションたりうるはずです。

まぁ現実に事件報道の中で、「被害者は[男性]で、加害者が[男]」という慣習を、どのように変えていくかは、中長期的な取り組みにはなるでしょう。
みんながスグに納得できそうな上手い代替案が簡単に出てこない以上、あまり拙速すぎる対処をするのは、いたずらに混乱を引き起こし、保守的な層からの反感を招くだけの結果にもなりかねません。
焦らず、まずはより多くの人が「なるほど、コレってオカシイよね」と思うようにしていくところから進めていくのが穏当と思われます。

何事も、理想を目指した中長期的な取り組みと、目の前で現実に起きている問題を今すぐ解消するための短期的なスパンの対処は、分けて考えて、いわば車の両輪としていくべきなのは留意しておきたいですね。

……なので、言い換えが容易に思いつけるような場合なら、どんどん言い換えていくべきだということにもなります。

例えばテレビショッピングでのレポーターのセリフ、紹介している充電式掃除機がいかに軽量であったとしても、「女性でもラクラク!」、これはダメでしょう。
こんなのは「非力な方でも」と言い換えるのは、それこそラクラク可能です。
女性はみんな非力ではないし、非力な人が必ず女性でもないのです。

ひとりひとりに二元的に割り振られている男女いずれかのジェンダー属性。それに応じて、じゃあこの人はこんな人! と決めつけるようなことから、私たちひとりひとりが意識的に距離を取ることを心がける。まさにそこから多様性の豊穣がはじまっていくのではないでしょうか。

これ以上詳しく述べる紙幅はもうありませんが、以上の点を指摘して本論の筆を置きたいと思います。
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(紙には書いてないし、筆でも書いてないんですが、これも文章の〆には重宝する慣用表現なんですよねぇ;)

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