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7/4(土)アテネフランセ文化センター

午後から夜までの長丁場での映画イベント!上映作品は4本!

無事に観れて一ヶ月が経ちました。
身体も無事です。


むしろ...観に行った当時のほうが危うかったです。
感染ではありません、精神的な面において...です。
ですから、すべて観終わってから
どうしても篠埼誠監督に伝えたいことがあって
どうにかタイミングを待ち、全通チケットにサインをいただき

そして

「生きてて良かったです...」

それだけを告げて、帰りました。

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ほんとうにそうだったからです。

6月29日...

わたしは突発的に死のうとしました。

最寄り駅まで出かけ、商店街を抜けたら踏切があって
カンカンカン...と、音が鳴って、遮断機が下りました。
わたしは、その下りたバーを片手で持ち上げて、くぐって踏切に
入ろうとしました。

そしたら...そばに、自転車に乗って踏み切り待ちをしていた
見知らぬ男性がいて「危ないよ」と、言ってきました。

「電車くるよ、危ないよ」と。

その声で、わたしはやめました。
やめたと同時くらいに電車がきました。

遮断機が上がって踏み切りへと入り、そして今度は
線路の真ん中にしゃがみこみました。

だったらここにいれば確実なのかな?という気持ちで。

そしたら...

自転車で踏切りを通ってきた見知らぬおばさんが自転車を止めて

「大丈夫?」と、声をかけてきました。

返事をしなかったので、再び「大丈夫?」と、聞かれて
フラリと立ち上がって頭をちょっと下げて、踏み切りを渡りました。

それから普通に百均で買いたいものを買って帰りました。

帰宅してから

「いやいやいや、ダメでしょ、なにやってんの?
だって、もうすぐだよ?篠崎監督の映画が観れるんだよ!?
4月に開催される筈が中止になった企画が、ついに実現だよ!
あんなに楽しみにしてたじゃない、死んでる場合じゃないでしょっ!」

自分で自分に、そんなツッコミをいれてました。


死にたくなった理由は

『シリアスな小説を書いたら、読み手に笑われたから』でした。

ただ、それだけでした。

そんなちっぽけなことでも、人は死ねるものです。
※いや、わたしはメンタルが弱すぎるほうですが。

1年ほど前から、素人でも出せる小説サイトで執筆しています。
そして6月は、そのサイトで月に2回ある小さなコンテストで
短編で「入賞」をいただきました。
そこから交流も広がり、いろんなことが動いて創作活動が変化しました。

それでも...6月末には死にたくなったのです。

そういうものです。

ですが、生き残れました。

もちろん「死んでしまおう」ではなくて
「死んだらこの辛さから逃げれるのかなぁ...」であって
絶対的な決意で、この世からオサラバする気なら
誰が止めてもやっていたとはおもいます。

ですが

「他者によって生かされた」こともまた、紛れもない事実です。
実生活でもいろんな方からパワーをわけてもらえましたから。

そうして生き延びて、篠崎誠監督の作品上映会に参加できました。

前置きが長くなってすみません...。ここから感想です。

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『殺しのはらわた+ACTION!』

子役の目ヂカラの凄さと、後半にメインになる女優さんの顔が
完全に左右対称の美しさだったのが特に印象に残っています。
それと計算され尽くした構図...!
こういうのは、映画で監督が考えて役者が動くのをカメラが追うから
できるものであって、それを感じ取れると感激します。

それが映画の醍醐味だからです。

「殺しても殺したりないものがある」その圧倒的感情を知れる作品でした。

『ACTION!』は、監督に要求された途端に、携帯で話すシーンでの
女優さんの演技がガラリと変わったのは見事過ぎでした。
役者って「応える能力」がいかに必要かを実感できました。

ちなみに吉祥寺バウスシアターは、個人的に思い出があります。
四国にまだ住んでいたころに、今敏監督の『千年女優』が
爆音上映されると知り、そのためだけに東京まで行ったのです。

スクリーンで観ることが初めてだった感動のあまりに
最初から最後まで泣いていたという...
いま考えると異様すぎる鑑賞でした(笑)
引きこもりの時期からようやく抜け出せて、東京まで行くほど活発になれて
そんな自分に対する感動もあった時期でした。

そして、それから間もなく閉館になったので、それ一度きりになりました。


『ハメルンの笛吹き』

上記で述べたように、生き延びた身としては、変な意味でタイムリーな
作品でした。
どこからともなく降って湧くような「死の衝動」が題材だったからです。
男子でもこんなにいつも一緒にいたりするんだ?と、女子としては
なんだかよくわからない感じでしたが、ダラダラと続く大学生活が
映し出され、それでも随所に不穏な影があって、でもやっぱり日常は平穏で
それなのに目にはみえない何かが確実に迫ってきていて...

そして...突如として、若者が喪服姿になるのが恐かったです。

私服がラフでカジュアルだったのに、急に全身が真っ黒になる...
それが「もうこの世にいなくなった人のために着た」という現状が
受け止め切れない勢いで迫ってきました。

※この作品と『殺しのはらわた』の影響を受けて、自身の書く短編小説に
「喪服姿で墓参りの手桶を持つ長身でオールバックの謎の人物」
というのを登場させてみました。


『おかえり』

もはや、この作品を観るためにここにきた!それほどの執念でした。

※でも他の作品も滅多に観れるものではないので全通しました。

じつは、2018年に早稲田松竹での学生の監督作品上映イベントで
特別上映されたときに、初めて観れたのですが
仕事帰りに駆けつけたら体調がボロボロで...
観た内容の半分くらいしか頭に入ってこなかったので、
こんなに貴重な作品を観れたのに...と、悔しかったんですよね。
ですが...
ラストシーンでスーッ...と、涙が流れました。
本来、映画というものは感動すると心が震えて鼻の奥がツーンとして
顔がグシャグシャになって鼻水をすすりながら泣くものです。
それなのに、この作品は...音もなく、心の水道の蛇口がひねられたように
静かに水が落ちるように泣いたのです。
そんなことは、長く生きてきて初めての体験でした。

そして、篠崎監督の撮影当時のトークもかなり興味深くて
どうにか、もう一度、ちゃんと観たい!と...願い続けていました。

写真は、2018年、当日の月と桜です。↓

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そもそもわたしは、父親が急死したときの事件のショックから
PTSD(心的外傷後ストレス障害)で10年間、苦しんでいたので
この作品に他人事とはおもえない感覚がありました。
症状はまるっきり違いますが、重症だったときのわたしは奇行というか
思考がおかしかったです。
いまだと「あれはやばかった」と、実感できるということは
完治というよりは、回復しているということなんです。

※上記にある『映画を観るために四国から東京まで行った』
というのも、PTSDが回復した直後だからこその感動でした。
あのまま一生、闇のなかで苦しみ続けるとおもっていましたから。
もちろん当時は本気の自殺を考えて身辺整理もしました。
※ここらへんは話すと長いうえに、内容が壮絶過ぎるんで割愛します。

それはともかく。
2年の月日を得て、ついに2回目の鑑賞が叶いました。すごすぎ!
もちろん今回はしっかり観れました。

「出かけるからこそおかえりが言える。それが愛するということ」

これは闘病記録ではなく『夫婦が愛を確かめ合う』作品です。

今回も、篠崎監督の当時の製作秘話のトークが深かったです。
主演の寺島進さんの役者としての本気度も含めての完成度だと
実感できるものがありました。
※トイレでのシーンは寺島さんご自身の人柄でもあるのでしょうね。

※それにしても、ワープロを使う時代の作品であるということにも
驚かされます。
いつか時代が過ぎて『スマホの時代の作品なんだーっ?』みたいな
そんな時期も来るのでしょうか。
(そもそもガラケーも、昔の作品で出ると貴重ですもんね)
というか...
現在が『映画館に人がたくさん入れた時代があったの?』と、言われそうな
時代に突入しつつありますが...。


さて。ここまてきて、ラストの作品のために長めの休憩。

ふと外に出たら、夕日が綺麗でした。↓

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『共想』

なんだかんだと、この作品も無事に追いかけることができて
観れる機会はなかなか無いのに、3回目の鑑賞となりました。
一度目、胸が詰まって、すべては受け止め切れず
2度目、ようやく心の態勢が整い始めて
そして3度目で、やっと落ち着いて観れた気がします。

作中の『光は眠気を知らない』という、詩..。
(篠崎監督の娘さんの自作だそうです)

わたしには、なんだか「銀河鉄道の夜」を思い起こすものがあります。

2度目の鑑賞のときは、まさしくそんな月の写真が撮れました。

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だけどいま、この時期において...

飲食店、ライヴハウス、劇場、映画館......

お願いだから夜の光を消さないで...
ずっと、眠らないままでいさせて...

そんな気持ちになっていました。

じっさい、この7月4日でかなりギリギリでしたね。
その後からまた現状が過酷になりましたから。


ところでわたしが『共想』がとても好きな理由は

『女性2人の友情が安っぽくない』からです。

これがトレンディものなら2人で抱き合って泣くとか
そんなシーンも入ったかもしれませんが
確かなつながりだからこそ、2人はベタベタしてないんです。
それは互いの存在理由を尊重し合っている...。
とても聡明で誠実なんです。
そして、この2人の「3.11」への向き合い方に尊敬できるから
好きになれるんだとおもいます。


さて。篠埼誠監督関連の作品では、帰り道に月を見る機会が多く
不可思議な縁があるのですが、今回はあいにくの曇りでした。
月が見たかったなぁ...なんておもいながら、最寄駅から帰りのバスに
乗ったら...引っ越したばかりのせいで、降りる所を間違えて
無駄に歩く羽目になってしまいました。

※当方、持病のあった母が亡くなり、天涯孤独になったのがきっかけで
四国から東京にきて、今年で5年目になります。そして引っ越し3回目。


なにやってんだもう...早く帰って、手洗いとうがいとシャワーして
しっかり感染対策やっておきたいのに...と、歩いていたら...

一瞬、雲が晴れて、月が出てきました!

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やらかしてばかりだけど、たまにはこんな良いことも起こります(笑)

そうして1ヶ月、なんとか生き延びました。

でも、辛いことがまた起きてしまいました。

わたし以外の方が、有名人が、ほんとうに命を絶ってしまいました。
熱狂的ファンというよりは「尊敬に値する人物」でした。
ショックでしばらく抜け殻になっていました。


どうにか、生きよう、いまは、そうおもいます。

兄が18歳の若さで急死して、父も壮絶な状態で急死して、そして母も。
家族がみんな逝ってしまったのに、好きだった役者さんや声優さんも
どんどん逝ってしまうのに...
どうして自分だけ生き残れているのか...? いつも不思議におもいます。

だからこそ、震災を体験していなくても、震災関連の作品に
魅かれるのかもしれません。
残された人間であり、そこから生きている身だからです。

これから先は、よくわからないけど、また死にたくなるかもしれないし
自分の意思と関係なく事故や病気で死がくるかもしれないけれど


過去に死にたくなったときに、死ねなかったから
あのときに電車に轢かれなかったから、いまがある。

そのあとで感動できることはたくさんあった。

だから

まだ生きれるなら、生きていこうとおもいます。


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