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エンジニアの勉強会について

ITエンジニアさんがいる会社では、時折、社内/外で「勉強会をやろうよ」という雰囲気になることがあると思います。

勉強会は、もちろん講演者がいないと成り立たないですが、もし皆さまがある昼下がりに勉強会の講演を依頼されたら、どのような心情になるでしょうか。

依頼した/された場合のよくある反応をパターン化し、私の思いも書いてみることにします。

この記事を通して、勉強会が単なる「意識高い人の集まり」ではないんだよ、と伝えたいです。

パターン①「・・・(苦笑いで無言)」

→できるだけやりたくないな、という気持ちが伝わってきます。

これはどちらかというと、依頼している側の準備・勉強会の意義の説明が足りないということが多いと思っています。まずは依頼する側がなぜ勉強会を開きたいのか、なぜあなたに依頼するのかの理由を端的に説明できるようにしておく必要があります。(お互いにメリットがあるように。もし相手が乗り気でないなら無理に誘わない方がいいですね)

パターン②「どんなテーマをやればいいですか?」

→「勉強会=与えられた仕事の一種」と捉えてられてしまっていると、依頼した側は感じます。

勉強会は仕事ではないです。どちらかというとチームワークに近いです。

我々には将来たくさんの仕事が待っていて、それらの仕事を各自がこなしていくうえで、たとえ共有する形式がボランタリーの活動であったとしても、チーム全体に共有する価値のある知識はあるか?という目線が勉強会の前提だと思っています。

なのでテーマは、もちろん講演者が自発的に決めるべきだと思いますし、もしテーマが思い浮かばないのであれば、日ごろから「自分の得た知識の中で全体共有すべきものはあるか?」という目線が抜けているのかもしれません。(本当に共有すべき知識がない時もありますので、テーマが思い浮かばないことが、即悪いことではないです)

パターン③「私は詳しくないですor私には早いです」

→大変申し上げにくいですが、もしあなたが取り上げたいテーマについてほぼ完全に理解している場合、すでに他の人も完全に理解してしまっている可能性があります。そして、その場合は勉強会を開いて知識を共有する意義がほぼなくなります。

勉強会は、他の人が登ったことのない山を1人で登って下山した後の報告会のようなものと思ってください。

他の人が登ったことのない山なので、周りの人は「どんな山なんだろう?」と興味を持っていますし、あなたが登って得た体験は、まだ山に登っていない周りの人へのかけがえのない財産になります。

必ずしも山の山頂まで行っている必要は全くありません。5合目までしか行けなかったとしても、ふもとから5合目まで歩いて得た知見は伝えられますし、5合目から山頂まで行くための心構えや準備については、多少不正確であったとしても、話せるはずです。

あなたは「まだ山頂を自分の目で見ていないから、何も話したくない」と思うかもしれませんが、あなたが山頂に行くころには、きっと同好の友であるチームメイトも同じ山に登り始めています。その時、あなたの体験はすでに既知の事実として、価値を失っているかもしれません。(知識は減りはしないものの、陳腐化するのです)

まとめ

不完全な経験を周囲と共有することを、恐れないでください。共有して価値のある事実は、えてしてその時点では不完全なことが多いです。

(全人類が知っている完全な事実は、「教科書」という媒体に載っていますね。教科書に載っていることを他人に話して、喜ばれることはないと思います)


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