見出し画像

目的のない行動はよくないねってはなし

目的がない行動ってひたすら不毛で、めちゃくちゃ苦痛だ。

なんのために今この時間を費やしているのか、
と冷静に考えたときに、
すぐに答えが浮かばないなら、
その行動はやめた方がいいかもしれない。

私は見切り発車人間だから、
衝動的な「やりたい!」で進んでしまう。

しかしその行動には「やりたい」以外の動機がないため、
時間がたって冷静になってくると、
「あれ、これってなんのためにやってるんだろう…」
と思って、急激に熱が冷めてしまう。

基本私はこの繰り返しだった。

「なんのために」とか頭で考える前に、
なんとなくのモヤモヤとか興味だけで突っ走ってしまうため、
そこにあとから意味付け作業をする必要が出てくるのだ。

そこでうまく意味付けができないと、
急にやる気が失われるし、
大体もともと衝動で動き始めたものに、
後から無理に目的やら意味をつけても
あまりしっくりこないことが多い。

でもわたしは、
「深く考える前に動き出せる瞬発力」
は自分の武器だと思っていたから、
そのあと頓挫してもあまり問題に感じることはなかった。


しかし。

瞬発力だけでは結果が残せないということに、最近ようやく気づき始めた。

つまり、「思い」だけで走り続けることは人間の構造的に非常に難しいことに気づいたのだ。

人間のモチベーションを曲線にして考えると、
誰しもが最初はワクワクして急上昇するが、
一定期間経過するとそれは保たれるのではなく下がり続けてしまう。

これはきっと人間の構造的に変えられないものだろう。

そこでそのモチベーションをキープするには、
「目に見える目的」が必要となる。

もしそれがなければ、なんのために頑張っているのかを見失い、
「え?別にやらなくてよくね?」
という真理に気づいてしまう。

だから、何かを継続的に頑張るためには、
即答できるような単純明快な目的が必要になると思うのだ。

「お金もらうために働いてる」
「彼女作るためにサークル入った」
「貧しい子供たちに教育の場を与えるために活動している」

なんだっていい。どんな温度のものでもいい。

それが自分の動機につながるものであればなんでもいいから、とにかく強固な意味付けをしないと、あとで確実に頓挫の一途をたどることになる。


だから、私はこれからは、
瞬間的に感じた「やりたい」をもう少し追及して、
「なぜやりたいのか?なんのためにやるのか?」
にある程度向き合ってから動き出したい
と思っている。

もちろんなにも考えずに突っ走ることも大事だが、
それができたのは「結果」にフォーカスする必要がない環境だったからである。

つまり、若かったからこそできたことなのだ。

しかし、結果を残すためには、
やはり瞬間的な衝動に一回向き合うべきである。

これが4年間は知りまくって気づいた真理、「突っ走るにも戦略は必要」ということだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?