宗教のはなし
日本人はなんとなく「宗教」と聞くと
うさんくさいなぁと感じて
あまり良いイメージを持たない人が多い気がする。
かくいう私もそうだった。
なんとなく洗脳されているようなイメージがあったり、
勧誘がすごいイメージがあったり、
それに、自分の家も仏教のなんらかの宗派に入っているはずだが、それについてもなにも知らない。
とにかく自分からは遠く離れたもののように感じていた。
しかし、マレーシアに来てから、宗教を信じている人たちと密に関わり、私の考えは180°変わった。
特にこの2週間、ずっとイスラム教のムスリムと行動を共にし、色々考えさせられたことがあったので書いてみる。
ちなみに、今から書くことは、まだ宗教に関して知識が浅く、ただ彼らの話を聞いて感じたことを書くまでなので、事実と異なる主観の混ざった内容が含まれるかもしれないがそこはご放念いただきたい。
まず私が彼らの話を感じたのは、
「宗教を信じてる人は強いなぁ」
ということだ。
強い、というのは、ブレにくいという意味である。
彼らは人生において常に「正解」や「答え」が聖典の中に書いてある。
神が唯一全ての答えを知る絶対的な存在で、
その考えに従うか背くかで「善」と「悪」が決まる。
これは即ち、宗教を持たない人が一生かけて行う「自分探し」のようなものをする必要がないことを意味する。
わたしたち宗教を持たない者は、自分の中の軸として絶対的なものがなく、あるとしてもルールやモラルや道徳や常識など、可変性のあるものばかりだ。
そのため、何かを悩んだときに、自分の中になんらかの軸がないと、迷子になり、ときに心が不安定になってしまう。
しかし、彼らは違う。
何かを悩んだときに、自分の中ではなく聖典の中に絶対的な軸があるのだ。
だから、それがなぜか?とか、深く考える必要がない。
神が言っているから。聖典に書いてあるから。
それが全てだ。
例えば、「男性は女性より多く払うべきか?」という問いがある。
これをもし日本で投げ掛ければ、
賛成派と反対派がはっきり分かれ、
これをテーマにディベートでもしたら
みんなそれぞれの持つ価値観をぶつけ合って
相当盛り上がることだろう。
では、この問いをムスリムに投げかけるとどうか。
彼らは迷うことなく「男性は女性より多く払うべきだ」と答えるだろう。
なぜなら、女性は体力的に男性よりも弱く、守られるべき存在であると聖典に書いてあるからだ。
聖典に書いてあれば、それが絶対だ。
そういう意味で、彼らは絶対にぶれない。
それを私は強いなぁと感じたのだ。
しかし、では彼らのスタイルがいいと思うのかと聞かれると、そういうわけではない。
私は、色々な価値観から生まれる色々なアイデアがあって、それがぶつかり合うことで各々の考えが深まっていくと考える。
だから、神が言っていたからという理由で当然にその考えに全員が従うのではなく、
なぜそうするべきなのか?をそれぞれが持つ価値観で考え、それぞれが持つ異なる考えを共有する方に私は惹かれる。
個人的な考えだが、同質性には限界があると考えている。
同質性はどうしても偏った方向に進んでしまう側面があると思うのだ。
そのため、多様性を重視する考え方を持つ私にとっては、それぞれが自分の軸を探しながら価値観を育てて人生を生きていく方が面白いと思う。
しかし、反面で、自分の軸が確立しないと、悩んで心を病んでしまう人も出てきてしまうから、ブレない強さには欠ける。
うーん、一長一短だが、実際こうして自分の考えとは異なる彼らの考えを聞いて、それらについて考えている今この時間が私にとってはたまらなく楽しい。
そして衝撃的だったのは、彼らと少し互いの宗教の話をしていただけなのに、彼らはどんどんその勢いがヒートアップし、1〜2時間ずーっと自分の宗教の考え方や素晴らしさを熱弁していたことだ。
もうそれはそれは圧倒されるレベルで、
自分の宗教を誇りに思い、全力で語っていた。
その姿がとても印象的だった。
私たちにそれだけ熱弁できる何かがあるだろうか。
よく考えると、わたしたちは自分の周りのことについてあまりに無知であることに気がつく。
日本の歴史についても政治についても宗教についても、
全て社会の授業でテストのために表面的に学んだに過ぎず、
それを他人に語れるかと言ったら語ることができない。
教科書に書いてある内容以上のことを言うことができない。
なぜ日本には他国のような一神教が存在しなかったのか?
こう聞かれて答えられる人がどれだけいるのだろうか。
わたしたちは他国に比べても長く独自の多様な歴史を持つ国なのに、わたしたちはそれについて何も知らないのだ。
だから、日本ではどうなの?と他国の人に聞かれると、答えに詰まってしまう。
先日、侍って何?と聞かれた時も、
「え、えーっと、昔刀を持って戦ってた人のことだよ、、😅」
だなんて浅すぎる答えしかできなくて非常に恥ずかしかった。
彼らが自分の宗教を知り尽くし、それにまつわる歴史も知り尽くし、自分の解釈した内容を何時間も他人に語れる姿を見て、
自分がいかに浅はかなのかを感じた。
宗教は、胡散臭いものでもなんでもなく、
彼らの人生、生活のすべてなのだ。
宗教のために戦争が起き、宗教のために命を落とせる。
そして今までの世界の歴史も、宗教が大きな一つの軸として回ってきた。
そんな宗教について、怪しいだの胡散臭いだのの一言で片付けるのは、あまりにもったいないと感じた。
そして、宗教を持たないということは、それだけ他の宗教に対してフラットに関わり知ることができることを意味する。
そんな自分の立場を生かして、もっと宗教について学んでみたいと強く思った。
「宗教を知れば僕たちのことがもっとわかるよ」
と彼らは言っていたが、本当にその通りなのだと思う。
彼らの考え方は、すべて聖典に載っているものだった。
だから、もっと宗教を知り、彼らの考え方や価値観を理解したいなぁと思っている。
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