かすれるほど読みこんだ「美味しんぼ」について語りたい
最近週末の1人小旅行がマイブームなのですが、その際にKindleの本の読み上げ機能を活用しています。車を走らせながら、耳で小説を楽しむことができるこの機能は、まさに最高のドライブのお供といったところです。
そして、選んだ小説のテーマが食べ物であることが多いんですよね。最近は「神様の定食屋」という小説は良かったです。心温まる内容で、安心感をくれる素敵な作品でした。
今、妻が家を離れている状況が続いています。無意識に心が癒やしを求めているのかもしれません。そう考えるうちに、私が食べ物をテーマにした物語に惹かれるのには、理由があることに気づきました。
その理由には小学校の頃に読んだ漫画「美味しんぼ」があるような気がして。この漫画も、食べ物をテーマにした作品で、特定の食べ物が登場人物の過去や感情、経験と結びついて物語を進めるエピソードが見られます。(というか、ほとんどがそのパターン)
料理の奥深さだけでなく、食べ物が人生に与える影響だとか、食との関わりを通じて描かれる人間ドラマが食べ物を題材にした作品の醍醐味ですよね。それがなんとも平和的で疲れた心に清涼剤のように沁みます。
「美味しんぼ」という漫画について
美味しんぼという漫画について、簡単に説明します。
「美味しんぼ」という漫画、私は大好きなんですよね。小学生だったころ、親戚から80巻近く単行本を譲ってもらって、ドラクエのレベル上げをしながら読んでいた懐かしい記憶があります。
ただ、美味しんぼ好きな人に問いたいのですが、この漫画、手放しで人におすすめすることができるでしょうか?こっそり言いますが、私は難しいかな、と感じています。(大好きなんですけどね、うん)
”雁屋哲の独自の視点”というのが、なかなか曲者で。漫画内で、主人公たちは伝統的な調味料や天然由来の食材の大切さを強調するあまり、化学調味料の使用や加工食品を事あるごとに批判します。
有り体に言うと、その主張の癖が強く万人におすすめしづらい漫画になってしまっているんですよね。(その癖を魅力とする見方もある)
そのせいか、グルメ漫画の代表として名前はあがるものの、金字塔とまではなりきれていないような気がします。長期連載はどうしても作者の主張が色濃く出てしまうものなのかもしれません。
なぜ、美味しんぼは化学調味料を批判するのか
美味しんぼを読んだら、必ず見つかる化学調味料ディス。化学調味料は母の手料理にも使われてましたし、そんなに悪いこと?と子どもながら思ったものです。
美味しんぼの世界観として、人の料理に対する情熱というか、愛情に対するリスペクトが感じられるんですよね。
愛情の対局に位置する(と作中で考えられている)のが、効率化とか大量生産といった価値観なわけです。
愛情を神格化するあまり、反対の概念に寛容になれていない部分があると思うのです。
職人も、化学調味料を作った研究者も根っこは「人に美味しい食事を届けたい」だと私は思うんですよね。
両者も食に対する情熱はあると思うのに、一方的に化学側が批判されるので、いまいち、その主張を受け入れ難くてモヤってしまうんですよね。
栗田「まあ!味の素を入れることで、味が引き締まったわ!」
山岡「こんなに簡単に旨味を加えられるなんてすごいよな。でもこの天然の
素材の味だって、負けていないんだぜ」
こんな愛情と化学の双方を讃える美味しんぼを読みたかったと思う反面、それは美味しんぼではないような。複雑なファンの心模様。
読んでくれてありがとうございました!
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