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「主食VS主菜」の仁義なき戦い

久しぶりに母に会う機会があった。

話は食事のことになり、なんでも最近は体型維持のために、夕飯はお米を食べないようにしているという。

生来のアスリート気質であり、80歳になっても今だ社交ダンスの大会で優勝するために、毎日カーブスに通い体を鍛える母ならではの発想なのであろう。

しかし世の中いつから「米のめしは太る」というバカげた流言が広まるようになったのだろう。

「バカげた流言」というと、おそらく「いや実際に米を食べると太るんですよ!」と反論する人もいるだろう。

だけど、それは正確には「米とおかずを同等に食べたら太る」ということであって、別に「米のめしが太る」わけではないことは、ちょっと考えれば誰でもわかることであろう。

実際、江戸時代の人たちは一日お米を5合食べていたと言われているが、太っている人などほとんどいなかったことは誰でも知っていることである。

なぜそれで昔の日本人は太らないのか?

それは単純に、おかずが極力少なかったからである。

日本には「主食と副食」という世界に稀に見る「食哲学」が存在した。

これは日本という急斜で平地の少ない土地柄で、山をおかずのための焼き畑や牧草地にしてしまえば、洪水などの災害が多くなって人が住めない土地になってしまう。

小さな面積で多収量のお米を作ることができ、山の保水力も高めることができる水田を「主」にして、自然の山や海で獲れるおかずを少量の「副」にすることが、日本という特異な地形で持続可能に多くの人たちが生きて行くための食べ方だったわけである。

だから昔からお米を食べる時は、おかずを少なくすることが何よりも大切で、おかずを多く食べることは「恥ずかしいこと」という戒めが生まれてくることになったのだ。

そう、日本人のDNAに埋め込まれる「おかずを多く食べることに対する罪悪感」をどう解消していくか?

これが戦後日本で西洋流の豊かさを求めてきた「主食VS主菜」の仁義なき戦いだったのである。

最初は西洋栄養学の導入により、とにかく多種多様なおかずを食べることが栄養になるという学説のもとに、おかずを主菜と副菜に分けてはなやかな主菜演出をし、おかずの名誉回復とブランド価値の向上に成功する。

しかし、いまだ主食信仰の強い日本人は、どうしても主食をないがしろにできず、結局ごはんとおかずを同等に食べてしまう。

これでは太るのは当たり前である。

そして、「おかずを多く食べることの伝統的罪悪感」を克服するための最終兵器は、「ごはんを食べることへの罪悪感」を創出することであったのだ。

「米のめしは太る」というごはんへの罪悪感は、おかずを罪悪感なくたくさん食べたい人たちに大いに受け入れられ、「主食VS主菜」の戦いは主菜の圧倒的リードで最終ラウンドに向かうことになる。

ただね、戦いの決着は最後の最後にならないとわからない。

たぶん母も最後は、この米のめしと味噌汁を食べたいと思うんじゃないかな(笑)

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