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「封印」 第十章 浸透





 公安が来てから、エテュー達は普段の業務に戻された。軍の突入により中幻系反乱組織の人員殆どが逮捕されるか射殺され、感染者数は増加を止めた。
 それでも、なぜ公安が今になって署長室に招かれたのか、エテュー達に知らされる事は勿論無かった。
 あまり知ろうとも思わなかった。
 エテュー自身、未知の病原体や反乱軍の銃口に晒されるより、通常の混沌と愚かさに満ちた業務の方が遥かに安心できた。

 病院の受付に、エテューと相棒は呼ばれた。受付では、老婆が受付の若い女に叫び続けていた。相棒がその老婆の肩に手を置いて話しかけ、エテューは受付のナースの前に立った。
「どうしたんですか?」
「外患が帰らないんです」
 そこに、足早に医師が入り込んできた。若い顔で、頭を右手で掻いていた。右手甲には絆創膏が貼られていた。
「もう時間外なんですよ、外来の人は」
 その苛立った声に、老婆が振り向いた。
「お願いです、もう全身が痛くて死にそうです。持病を…」
 片言の中幻語を、医師は大きなため息で遮った。
「診てもいいけど、専門じゃないよ」
「薬もらえる?」
「診断次第だね、応急処置だけだけど。できるのは。つまり本格的な診断はできない。つまりちゃんとした薬はつまり出せない可能性が高い。分かる?」
「そんな」
「明日また来て。朝一に、人で混むからいつも。早めがいいよ」
 医師はファイルを受け取って診療室に戻って行った。受付の困った視線と、涙ぐむ老婆の顔が、エテュー達を見た。
「助けてください」
 相棒がその老婆の耳に口を寄せた。
「本当に痛いなら救急車呼びな。言葉通じなくても痛み訴えてれば外人対応してくれれうところ探してくれるから」
「言葉通じないのにどうやって呼ぶ?」
 しょうがないな、と相棒は老婆と外に出た。エテューは受付を振り返った。
「こういうこと、よくあるんですか?」
「しょっちゅうです。ザヘル以来予算と人手不足で、外来はほとんど受けられません」
「言葉通じないのも大変ですね」
「以前は通訳できる人もいたんですけどね…」
 外で救急車を呼ぶ相棒をしばし見て、受付は次の患者の対応に追われ始めた。
 計ったように、エテューの無線が鳴った。
* 
 アンサング達が反乱の調査を開始して一週間。反乱の経緯を辿る中、ようやくダムナグ社の通信記録が入手できた。
「最後に搬送された生存者は南耀軍第2師団長。ダムナグ社エイナン島施設に搬送。明後日バハイの集中医療室に搬送予定。エイナン島施設は爆撃で壊滅」
 イウェンが資料を読み上げる間、アンサングはヘリの窓から古い森を見下ろした。軍の公式記録によると、反乱は鎮圧済み。
 燃える大地。南耀最果ての地。ライリーの要請で、エイナン島はヤアウェ村近辺を中心に、港と空港街を爆撃され島を灼熱の炎が覆い尽くし、そこにいた者達は全て焼き払われた。書類上ではそういう事になっている。
 しかし、ライリーの反逆の報告が届いたのは、その空爆後。彼らの行方を知る者はまだいない。
 アンサングはライリーのファイルを閉じた。
「反乱が始まる前の記録は?」
「削除されている」
「生き残った職員はいないのか? 反乱軍でもいい」
「いる。両方。同じ場所に複数名搬送されている」
「それ以外は全滅か?」
「その様だ」
「仕事は早い割には粗いな」
  ダムナグ社は政府の保健庁に報告をした。それがどう解釈され、軍に空爆命令が降ったのか、記録はない。
 軍が動くにしても、南耀軍も反乱軍も味方も含めて爆撃するというのは、迅速な対応と言えばそれまでだが、スケールが大きすぎる。
 ダムナグ社の影響力を考えれば可能だが、同時にそれは軍と政府上層部の誰かがそれだけの事をする為の理由を知っている事になる。そしてその情報は、この島の何処かから上がったはずだ。
 煙幕がアンサングの視界を覆った。無線を取る。
「任務は反乱の阻止だ。敵を知る為にも生存者の声を聞くべきだ」
 イウェンは同意した。
「空爆の根拠は? 誰が命令した? 申請したのは誰だ?」
「極秘扱いになっている」
 イウェンは長官から軍資料を開いた。
「何を必死に隠してんのかね…」
「空爆の命令詳細は極秘扱い。陸軍の出動記録はある。交戦記録と物流記録は全て破棄されている」
 アンサングが開くダムナグのファイルは、黒線だらけだった。それにイウェンは素早く眼を通す。
「軍の活動内容・結果を極秘扱いできるのは防衛長官だけだ。当時のパワエル将軍、先日引退したばかりで連絡は取れない。ダムナグ施設の通信記録も破棄されてる」
「でも搬送記録は残ってんだろ?」
「ダムナグ施設ではなく、地元病院の記録だ。首都に三人搬送されている」
「連中が消す前に確保しないとな」

 港の大手ホテルにエテュー達は呼ばれた。病院と同じ状況で、部外者と内部の人間が受付で揉めていた。客とスタッフ。需要と供給。客は携帯を頑なにスタッフの顔に押し付けようとしていた。
「宿を予約したんだけど! 部屋が違うんだけど! 全然違うんだけど!」
 スタッフは何度も頭を下げていた。
「ですから、移動には料金がかかります」
「いや、お金は払ったじゃん。そっちのミスでしょ」
「いえ、旅行会社に連絡してください」
 エテュー達が近づいても、客は一向に気にしない。自分が原因だと気づいていない。客はカウンターを叩いた。
「じゃあ、電話借りられます?」
 電話をかける客。すぐに表情は感情に埋もれる。
「繋がらないんだけど」
 客の後では、小さな子供が腹の膨れた女性に抱きついていた。南耀系の綺麗な若い女だった。立っているのが辛そうで、表情は受付のスタッフ同様暗かった。
「では、料金だけでもまずは…」
 スタッフの声は震えていた。
「おかしいだろ! あんたたちのミスじゃないか!」
 客の手が硬く握りしめられた。
「はーい、そこまでー」
 エテュー達が間に入ると、男は更に声を上げた。
「俺? 俺のせいか!? ふざけんなよ、チェックインしてから相当時間がたってるぞ! 妻は妊娠してるんだ! いつまで立たせんだ! 警察なんて呼んでいる暇あったら…」
「大丈夫です、何とかなりますよ」
 相棒が一度男を外に促した。男は外で叫び続けた。エテューは受付を振り返った。
「大丈夫ですか?」
 受付嬢は手首を押さえて俯いていた。
「いえ、仲介会社から来た情報では確かにこの部屋です」
「何とかなりますかね? 今日もう遅いですし、これから外出て見つけるのは難しいでしょうから…」
「もう一度観てみます」
 スタッフが一度パソコンに戻る間、相棒を振り返ると、二人はこちらに歩いてきていた。男の顔はだいぶ落ち着いていた。それを見てスタッフも少し安心したのかもしれない。声の震えが減っていた。
「では、似たような部屋に移動します。いいですか?」
 男は頷いた。
「はい」
 すみませんでした、と男は頭を受付と、エテュー達に下げた。それを見詰める妻の顔は、とても辛そうだった。
「大丈夫ですか?」
 話しかけても、南耀系の女性は額の汗を拭って微笑むだけだった。

 バハイのダムナグ施設の警備は厳重で、公安の身分の特権を持ってしても、入場許可を得るのに時間がかかった。警備員達の重装備さと、威圧感に、アンサングは苦笑した。
「絶対に探られたくない感じだね」
 記録を見て分かったのは、南耀の三人の感染者は、それぞれ別々の船で搬送された。一人はヤアウェ村の住人で、今も南耀軍の軍船で搬送中。二人目は反乱軍の人員で、感染の疑いがあっても、症状が見られなかった為、帝国政府庁舎に護送。三人目のダムナグ職員は、実は感染者ではなく、銃撃により負傷していた為、このバハイ医療施設で治療を受けている事が分かった。
「まずはこの職員から当たるか」
 イウェンは頷いて、携帯を取った。
「コウプス、庁舎に反乱軍兵士がダムナグから昨日護送されていた。警備してくれ。反乱軍が追跡して来るかもしれない」
 銃を持った警備二人が二人、イウェンとアンサングを部屋に送った。
「外してください」
 イウェンが警備に指示を出す間、アンサングは扉を閉めた。
「どうもこんにちは」
 アンサングの声と、外で微かに争う音に、職員は身を起こした。
「公安のアンサングと申します。もう一人はイウェン」
 職員は足に被弾していた。それ以外の傷は目立たなかったし、顔色もそこまで苦しそうではなかった。
「やけに厳重だな」
 カルテにはケイシーと名前が書かれていた。
「何があったんだ、あの施設で?」
 アンサングの質問に、職員が答えることはなかった。
「離島の反乱だけじゃ空爆なんて無いだろ。何で資料が全部極秘なんだ?」
 アンサングの後で、イウェンが病室の扉を閉め、カーテンに手をかけた。
「あいつらよく下がったな」
 イウェンは答えなかった。職員を振り返れば、少し怯えた顔が待っていた。
「正解だよ」
 アンサングは指を鳴らした。
「答えた方がいいぞ」
 アンサングはイウェンが短刀を抜くのを後に、廊下に出て扉を閉めた。
 警備員達はどこかに消えていた。
 タバコを一本吸った頃、ドアが開いた。
「終わった」
 イウェンは短刀をコートの影にしまった。
 病人に新しい外傷はなかった。でも顔は従順な表情に変形していた。
 アンサングは椅子を引き寄せた。
「お前らあそこで何をしていた?」
「医療実験です」
「何の? 具体的に」
「ザヘルに対する新薬の実験です」
「ザヘルはもう収束したはずだろ? お前らの薬のおかげで」
「新種が出るかもしれないという想定でした」
「被験者は地元の住人か?」
「反乱軍、密猟者、犯罪者を中心にしていました」
「反乱軍っていうけどお前、それが原因で反乱軍が構成されたんじゃねえの?」
「分かりません」
「新薬は完成したのか?」
「しました。しかし、新しい疫病には全く効き目がなかった」
「そりゃ、新種だからだろ」
「ザヘルとほぼ一緒なんです。病原体は。抗体もあるはずなのに…」
「以前ザヘルに感染した人間だけが新しいザヘルにかかったのか?」
「ザヘルの前特効薬を受けた者の発症が一番早かったんです」
「特効薬の副作用なんじゃねえの?」
「それも含めて調査をしていました」
「それが空爆の理由だと思うか?」
「分かりません。上層部は相当焦っていました。大勢の人間が投資していましたから」
「あいつらも全員服用したんだろうな。俺もだけど」
 椅子から立ち上がる。
「施設から記録を消したのは誰だ?」
「分かりません」
「同じ実験をしている他の施設はどこだ?」
「中幻と、南耀中で展開しています」
「中幻支部と南耀支部が絡んでるんだな?」
「そうだと思います」
「実験の中心地は?」
「バハイです」
「実験と対応は誰の指示だ?」
「代表秘書でした」

 大きく長いあくびが、相棒の口から出た。それはエテューにも伝染した。目をこすりながら、相棒はハンドルを回した。
「覚えてるか? パンデミックの途中でさ、感染者の数が減ったの」
「おう」
「あれな、感染者の定義を変えたらしいぞ」
「えーまじ?」
「やばいよな」
 相棒はエンジンを止めた。エテューはほぼ同時に車から出た。
 南耀系の大きな男がATMを蹴りまくっていた。
「クソが! 死ね!! 死ね!!!」
 よく見れば男の手には受話器が握られていた。受話器はATMに繋がっていた。その受話器に、中年の、大柄で頬に傷のある男は叫び込んでいた。
「死ね!」
 エテューは相棒を振り返った。相棒は肩をすくめ、大柄な男にそっと近づいた。
「あのー」
「あ!? 何だよお前らうるせえな殺すぞ!」
「いやいや、どうしたんですか? 金が出て来ないんですか?」
「カードだよ、カードが出て来ないんだよ!」
 相棒は受話器を指差した。
「それ、繋がってます?」
 相棒の落ち着いた声に、男も落ち着き始めた。エテューは受話器を受け取った。
「もしもし?」
「…はい」
 怯え疲れた夜勤スタッフの声。
「ATMにカードが吸収されちゃったみたいなんですけど」
「当銀行では新カードを送付する決まりでして、確認のメールが必要です」
 エテューは男を振り返った。
「メールアドレス、あります?」
「携帯解約したしパソコンないからメールも見れないんだよ。さっきから何度も言ってんだろ、カードさっさと返してくれ!」
「カードの送付には2週間かかります」
「明日には南耀に帰るんだよ。親父が倒れたんだよ。母ちゃんだけが出稼ぎで稼いでて、どうやって行けばいいんだよ? 家族に金もないし、生き残れないだろ」
「責任者も明日まで来ないので、私としては何もできません」
「親父の前の職場からの給料もまだ出てなくて、爺ちゃんの植民地時代の政府からはまだ年金が出ているけどそんなんじゃ全然足りないし…」
「申し訳ありませんが、カードの送付には2週間かかります」
 冷たい声だった。テンプレを読み上げるだけの対応だった。
「あまりお勧めしませんが、第三者機関から融資を受けてはいかがでしょうか?」
 男は受話器を叩きつけようと振り上げた。
「それ、壊したら逮捕されるぞ」
 相棒の声に、受話器の速度は減速した。
「一回落ち着こうや」
 受話器を置き、エテューは男の肩に手を置いた。
「港までなら、送るよ?」
 男は頷いた。涙を堪えて、肩を震わせていた。男は素早く顔を拭った。
「港、難民で溢れてるって」
「人と船の行き来は激しいみたいだな」
「チャンスかもな」
 相棒が男の肩を叩き、パトカーのドアを開けた。
「無銭乗船、見つかんなよ」

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