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「封印」 第十一章 変異



 
 ヒカズは南耀で育った。
 小さい時、南耀で何かを見た。犬が人を食うのを見た。犬というか、犬の形をした影。牙が長く、普通ではない。
 でもそれは夢だったと、自分に言い聞かせて、今まで生きてきた。
 ずっと後になって、南耀は出て、今はバハイで働いている。
 変なニュースを見た。感染症。人の凶暴化。
 バハイについた夜のことを思い出した。
 路地で襲われる人。あれは普通じゃなかった。でも通報はしなかった。面倒に巻き込まれるのは嫌だった。
 今、ニュースで見えるのは、昼間に襲われる人々。襲うのは、笑顔の人々。遠い南耀のニュース。
 森で影を見た時と同じ感覚に陥った。
 影が追いついて来た。そう直感した。
 逃げるしかない。そう思って、車に乗った。
 街は完全に封鎖されていた。
 頭上を、戦闘機が通過した。 

「どうなってんだ…」
 エテューとヒカズは空を見上げた。一機だけでなく、数機のヘリが四方に交差して行く。
「西区カラン6号棟−201号室にて死臭通報。現場1班より応援要請。負傷者あり」
「行こう」
 相棒が応答し、エテューはアイスコーヒーを受け取って、パトカーに入った。
「多すぎだろおい…」
「後でアイス食べよう」
 通報現場へ向かう道、走る人間が多いように見えた。
 住宅街周辺は、子供が数人遊んでいるだけで、人数は少なく見えた。老婆が一人、心配そうに、椅子とおもちゃが転がる中庭を見渡していた。
 エチューは転がる椅子を掴み上げた。
「どうぞ座っていてください」
 老婆を椅子に促し、無線を取る。
「こちら二班、現場到着。1班…ヤシ、ドリアンの状況報告を願う」

 ドリアンは無線を取った。
「こちら1班、カラン2号棟3−103号室で老人が倒れているのを発見。発熱、嘔吐、痙攣の症状が見られるも、今は容態が安静。念のため救急車を要請」
 部屋の奥で誰かが倒れた。
「おい」
 仲間の声は返って来なかった。老人を見る。老人は椅子の上で意識を失っている。拳銃に手が伸びた。
「ヤシ」
 ヤシの声が聞こえない。拳銃に手が伸びた。
 何かが溢れるような音が聞こえた。銃を抜くと同時に、部屋の扉が開いた。

 銃声。エテューのコーヒーが落ちた。
 子供達の動きが止まった。相棒がパトカーの無線を取った。エチューは拳銃を抜いた。
「こちら二班、銃声を確…」
 もう一度、今度は何度も銃声が住宅街の間に鳴り響いた。
「銃声再確認!」
「隠れて! 家に入って鍵を閉めて!」
 子供達をはけさせ、親達を躱し、無線を取る。銃口は、暗い二号棟入り口に向ける。
「一班、応答願う」
 後で、相棒がショットガンを取り出した。
「どうする?」
「入ろう」
 相棒が再度無線を取った。
「こちら警官二班、2号棟へ侵入し一班との合流を試みる」
 相棒に頷く。入り口に向かい、エテューは進み出た。
「げあっ」
 血反吐を吐いて、ドリアンが出て来た。老人を担いで、片手に銃を持って、建物から転がり出て来た。彼は全身から出血していた。
 エテューはドリアンの体を支えた。相棒がショットガンを入り口に向ける。
「こちら二班、ドリアンを確認。全身から出血。同伴の老人も重体! 大丈夫か? ヤシは?」
 ドリアンは血と息を同時に何度も吐き出しながら首を横に降った。
「わかんねえ」
「…行こう、エチュー」
 ドリアンが相棒の足を掴んだ。
「ダメだ、応援待て。部隊が必要だ。あいつ…」
 ドリアンはさらに吐血した。エテューは頷いて、包帯を取り出した。
「喋るな!」
 悲鳴が聞こえた。大勢の人が、入り口から吐き出された。
「ヒカズ! 下がれ!」
 ドリアンと老人をパトカーの後ろまで引きずったところで、応援のサイレンが聞こえた。建物からはどんどん人が出てくる。
 ヒカズが入り口から走り戻って来た。
「犯人はどんなやつだ」
「犯人じゃない。あれは。妖だ」
「妖?」
 パトカーが並び、サイレンとランプが住宅街を埋め尽くした。それを全て押しつぶすような咆哮が響いた。警官達の動きが止まった。
「救護隊、こっちだ! おい犯人まだ中にいるぞ!」
 エテューは叫んだ。警官達の銃口が一斉に入り口に向けられた。ドリアンと老人は救護隊に運び去られた。
「バルコニー! 1階だ」
 警官が叫んだ。女の悲鳴が聞こえた。ガラスが割れ、4つ足の何かが出て来た。
 銃声。
 連続する花火のような銃声と光の連続。照らし出される、ひどく痩せて手足の長い影。
「そっち逃げるぞ!!!」
 鉤爪と口元が赤く光った。相棒のショットガンがその前足を吹き飛ばした。エチューの銃弾が胸を突き抜け、影はコンクリートの壁に体を打ち付けた。
「射撃止め!!」
 何度も上官が叫ぶまで、警官達は銃弾を撃ち込み続けた。その強靭な体は最後まで原型をとどめていた。
 弾倉を入れ替え、エチューと相棒はゆっくりとその動かなくなった影に進んだ。
「…なんだこいつ」
 妖ではなく、人が転がっていた。
 痩せこけた頬と全身、伸び切った髪と爪、飛び出た目玉と細い手足。
 さっき見た様な動きができるとは到底思えなかった。
 さっきの動きは、人の動きではなかった。
 誰かが何かを言う前に、全員の無線が鳴った。
「南区で銃撃発生。犯人は未特定。反乱軍の活動と見られる。武装し、注意を持って接近せよ」 

 帝国政府庁舎の地下に、コウプスが首都から率いて来た公安の戦術部隊が集っていた。その先頭に立つコウプスが、アンサングを見て、廊下の先の部屋を指した。部屋の中には、反乱軍兵士と、イウェンがいる。
「あいつ、相当だな」
「イウェン? いつもの事だろ」
「部屋入って二分で口を開き始めたぞ」
「変態だよ」
 コーヒーを飲み干しながら、アンサングは部隊を見渡した。
「二十人くらいか?」
「急ぎで来た。応援も要請してある」
「頼むよ。十中八九反乱軍とやり合うことになるから」
 あいつのせいで、とアンサングは部屋を指す。そして声を落とす。
「首都、ダムナグの様子、変化あった?」
「代表秘書がこっち向かってるそうだ」
「じゃあ、着いたとこ悪いけど、ダムナグ中幻支部長と南耀支部長、今日中にこっちに連れて来てくれないか?」
「今日か?」
「急ぎで。反乱軍からの保護目的で」
 頼む、と肩を叩き、アンサングは廊下を進んで、扉を開けた。
「なぜダムナグを狙う?」
 イウェンの質問に、反乱軍兵士の体が強張った。イウェンが立ち上がった。兵士は傷だらけの顔を恐怖で歪めた。
「だ、ダムナグの新薬には、副作用がある」
 アンサングは兵士の椅子を蹴った。
「肺炎、発狂、熱病か?」
 痛みに俯き、首を振る兵士。
「そんなもんじゃない。あれは。変異だよ」
「変異?」
「凶暴化して、暴れて、死ぬ。狂犬病みたいに。全員がなるわけじゃないけど、沢山死んだ。それを隠して、人で実験して改善した薬を売ろうとしてんのがダムナグで、それを政府の公認事業として擁護して警護するのが政府で、そいつらの実験対象になったのが南の原住民の奴らで、それに放棄したのが反乱軍だよ」
「証拠は?」
「全部消された」
「故に武力行使か?」
「ダムナグと国の犯した罪の容認、対処療法の無償提供を要求する。どちらも否定されるだろうけどな。感染・実験の事実はない。故に解決策もその義務もない。ダムナグは医療行為をしている組織・会社を直接支援はしない。ダムナグの製品を使うのはあくまで医療従事者と団体に責任があるって…」
 イウェンは立ち上がった。兵士の見開かれた目がそれを追い上げた。イウェンは何も言わずにその兵士に背を向けた。二人は部屋を出た。
「どう思う?」
 アンサングの問いに、イウェンはしばし時間をかけて答えた。
「ダムナグを搾るべきだ」
「中幻支部長と南耀支部長を呼んどいた」
「いずれは首都の人間につながる」
「代表秘書が向かっているそうだ」
「反乱軍が動くなら、チャンスだ」
「反乱軍を撃つのか、ダムナグを撃つのか、両方か、どっちだ?」
 イウェンの視線がアンサングを貫いた。
「命令は反乱軍だ」
 一度背を向け、イウェンは立ち止まった。
「お前、楽しんでいるだろ」
 アンサングは大きく頷いて、背中の筋を伸ばした。
「まあ、どっちを追求しても、ダムナグと、そのお友達の闇にたどり着く気がするからな」



 玄関を開けて、すぐにエテューはトイレに入った。靴は玄関の外で脱いだ。手袋を外し、手と顔を何度も洗って、ゴミ箱の袋に手袋と服を脱いで入れる。シャワーの水を流し始めた時、エリがノックした。
「大丈夫?」
「大丈夫。すぐに出るから。ゴミ袋用意してくれる? 5枚くらい」
 体を洗い、タオルも全てゴミ箱に入れる。
「ちょっと離れてて。ベッドでもいいから」
「どうしたの…」
「いいから離れて」
 彼女の足音が遠のくのを待って、エテューはドアを開けた。代えの服とゴミ袋が置かれていた。その袋に全て投げ込み、 玄関とトイレをくまなく消毒して、タオルと消毒液をゴミ袋に入れた。
 代えの服を着て、手袋をして外の靴も入れて、袋を何重にも包み、外のゴミ箱に袋を捨てる。
 そこで、エテューはようやく一息ついた。
「どうしたの?」
 エリが寝室から出てきた。
「ちょっと現場で変な人見てさ。医者には帰っていいって言われたけど、気になって」
「変な人?」
「なんだろうね、すごい匂いだったよ」
「ホームレスみたいな?」
 エテューは首を振った。
「もっと、こう、湿ってて、腐ってる感じ」
 そこまで言って、エリの顔を覗き込んだ。顎に瘡蓋があった。
「どうしたの、顎」
 エリは苦笑いして、椅子に座った。
「地下鉄の階段でさ、傘持ってる人がいて、当たった」
「大丈夫?」
「うん、連絡先ももらったし。すごい汗かいてたよ」
 エリは立ち上がった。
「私もシャワーするね」
「うん」
 エテューは寝室に入った。エリがそれを追う頃には、エテューは眠りに落ちていた。

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