見出し画像

「封印」 第十五章 遭遇




 息子が刑務所にいる間、誰かに息子がどこにいるのかと聞かれる度、言い訳を考えねばならなかった。
「外国で働いている」
「どこで?」
「南耀で」
 やがて、いつの日か、バハイの刑務所に書く手紙を、遠いエイナン島宛に仕掛けた時もあった。
 誰にも話せなかった。
 息子が出て来た時も、息子も私も、誰にも話せない事だった。
 息子は10歳の少女と関係を持った。少女の家族は、私と同じ母子家庭で、息子が日々の食事代や家賃を補助することで、少女の母親は関係性を認めていた。
 少女が同級生にその関係性の事を仄めかしてすぐ、 事件が発覚し、私は法廷に呼ばれた。
 驚いた。
 息子は普通の成人女性と付き合っていた事もあった。法廷に行った時、事件の有様を動画と供述文で見聞した時、懲役五年の判決が下った時、涙が止まらなかった。
 誰にも言えない事だった。サレスの影響で懲役執行プロセスが遅れ、合計で七年になった間、ただ孤独だった。
 面会に行くと、息子はやけに楽観的だった。
「大丈夫だよ、なんか仕事見つけるよ」
 仕事も友達も失った息子はニコニコ笑い続けていた。
 息子が出て来た時、職を探すのには勿論苦労していた。
 疫病が再び南耀で流行った時、ダムナグが長期実験の被験者を探していると聞き、息子はそれに応募し、すぐに採用され、南燿の研究所に送られた。
 一週間後、息子の死亡が報告された。
 呆然とした。
 今までの人生は、何だったのか。
 何も残っていなかった。
 疫病が南耀から上陸した時、警察が隔離を開始する間も、私は路上を彷徨い続けた。
 人々が逃げ惑う間、私はただ南に進み続けた。海沿いで、ついに誰かに噛み付かれた。それでよかった。
 何がどうなっても良かった。
 首の傷口から、何かが入り込んできて、それで幸せな気分になれて、もうそれ以上の事は望めなかった。
 息子に、会える気がした。会えるというか、一体になる気がした。黒い、何かの洪水のような質感の中に、取り込まれた。
 笑い声が、聞こえ始めた。
 それが自分のものだと気づいた時、全てが黄色く輝き、暖かくなった。
* 
 警官が倒れた。その手から血が流れていた。首は、老婆に、深く噛まれていた。エテューは拳銃を向け、引き金を二回引いた。感染者と警官は動かなくなった。拳銃を捨て、その警官の腰から銃と弾倉を抜いて走り出す。
 目の前の部隊が真横から食いつかれた。彼は引き金を引きながら、他のザヘル感染者の餌食になっていく。それを飛び越え、警官も、ダムナグの傭兵も、市民も反乱軍も皆走った。
 エテューも。
「隊長! 隊長!」
 隊長が振り返った。エテューは銃で東を差した。人の流れが少ない方角、海を目指す南か首都方向の北に人間は集中している。西からは反乱軍と軍の戦場。東は、今は空になり始めている住宅街。
 エテューの背に誰かが覆いかぶさった。エテューはその腕を掴みながら前転し、アスファルトにその背を叩きつけて額を撃ち抜いた。その笑顔の人間の装備は、反乱軍だった。
 反乱軍の鉈が額をかすめた。
 エテューはふらつきながら東に走った。

 港での衝突を皮切りに、バハイの南半分は大混乱に陥った。軍と警察の通信は混乱し、人員は減少、指揮系統は一時的にも壊滅。それを見届けて、ライリーはアサルトライフルを担ぎ上げた。
「これがチャンスだ。全部隊、行動開始」
 日没を待って、エサーグは攻撃を開始した。各地ダムナグ施設及び政府保健省に対する、同時攻撃。主要幹部の拉致、実験情報の摘出、新薬の確保。そして、一度捕えながらも、感染者の攻撃により逃した、代表秘書の追跡。
 シエラの部隊も、その波状攻撃の一部として、研究所の一つに突入した。
 重装備の警備員達と一戦交え、感染者達を一掃しつつ、シエラ達は進む。
 しかしその先で、シエラ達は、すでに殺された大勢の感染者達の体を目の当たりにした。
 薬莢と血痕の先からは、殺しあう音が聞こえる。
 二人の部下がデータを集める間、シエラと四人の兵士達は慎重に接近した。
 廊下の先で、窓ガラスが割れた。一人の感染者が転がり、その額にナイフが突き立った。
 扉が倒れた。
 三人の男達が、絡まり合い、殺し合っていた。
 男の一人は、ロングコートを着ていた。東威系の公安。駅で見た。公安は、短刀を感染者に突き刺した。
 迷う事なく、シエラは引き金を引いた。
 それよりも早く、公安の銃が、こちらに向いた。
 廊下が銃弾で埋め尽くされ、シエラの胸を衝撃が貫いた。

 血ぬれた床の上で、イウェンは回転した。
 腰に突っ込まれ、そのまま後転する。起き上がり、男の顎を右手で突き上げ、左手で短刀を首筋から突き上げる。短刀を離し、足首の拳銃を抜いて、残りの二人の感染者達を撃ち抜く。
 廊下の先で、安全装置の外れる音が聞こえた。イウェンの銃がその方向に、目線よりも早く向けられた。
 交差する銃弾。
 遅れて見えてくるのは、死んだ兵士と、女を引きずる兵士、そして銃を構える兵士達。
 女には見覚えがあった__イウェンの銃弾が切れた__倒れる兵士達。倒れながらも、兵士の機銃がイウェンに向かって上がった。
 その手首に、イウェンは短刀を乗せた。大動脈を切り裂きながら、肘を引き寄せ、床に倒れ込む。同時に短刀を離し、兵士の腰の拳銃を奪い取る。
 もう一人の兵士が発砲した。
 弾丸はイウェンが抱え込む兵士を貫き、イウェンの銃が兵士の首と頭を直撃した。
 立ち上がり、すぐ足元に転がっていた女を振り返る。
 きらりと、何かが光った。
 身を引く。銃を持つ手と、額から血が出た。
 カランビットと、小さな影。
 女の顔の残像__シエラという名前を思い出した__その動きはとても洗練されていた。
 イウェンの手から銃が飛んだ。それを追うように血が右手から飛び散った。同時に、女が抜いた小さな拳銃を、イウェンの短刀が叩き落としていた。
 イウェンの左手の短刀が女の膝に刺さった。
 女の肘がイウェンの顎を直撃した。
 その肘を掴み、ほぼ無意識の中、イウェンは額を女の顔に突っ込んだ。
 二人は倒れた。倒れながら、女の手がイウェンの髪を掴み、顔に膝を打ち込む一方、首に腕を回してくる。さらにイウェンが背負っていたライフルのストラップと銃身で、気道を圧迫する。
 イウェンは女の膝から短刀を引き抜いた。出血を恐れ、女は引き抜かなかった。故に、その短刀を、イウェンは女の体に突き上げた。
 女はそれを完全に予期していた。
 短刀の刃を躱し、女の蹴りがイウェンの脇腹を貫いた。
 そして間合いが開いたところで、女はリボルバーを抜いた。
 視界の端に、扉が見えた。後先考えずに、イウェンはそこに突っ込んだ。
 そのさきは非常階段だった。
 イウェンは転がり込んだ。弾丸がコンクリートの壁を貫いた。扉を蹴って閉めながら、イウェンは階段を駆け降りた。女が小さな予備拳銃を拾うのが最後に見えた。
 非常口から外に出る。一瞬、南燿と中幻独特の力強い日光に目をくらませながら、路地を駆け抜ける。
 女の勘の良さに、意表を突かれた。完全に後手に回った。結果、逃げるしかなかった。
 フェンスを飛び越え、古い民家の裏庭に転がりこむ__スラムの一角__家には誰もいなかった。
 政府庁舎まではあと数ブロックだった。
 フェンスで銃弾が弾け飛んだ。
 感染者の叫びが聞こえた。
 路地の先に、大きな笑顔を浮かべた警官が立ちはだかった。 
 その喉を切り裂き、拳銃を奪い取る。
 警官の頭と、イウェンの右肩が砕けた。
 スラムの屋根を滑り降りながら、シエラはリボルバーの引き金を引き続けた。
 銃を撃ちながら、イウェンは走った。
 背後からリボルバーの弾丸を入れ替えながら、予備拳銃を抜く音が聞こえた。
 イウェンはジグザグに走り、路地を曲がりながら、スラムを走り続けた。
 イウェンの弾が切れた。
 スラムが消え、大通りに出た。
 感染者で溢れかえっているかと思えば、銃声で、人々は逃げ惑っているように見えた。
 イウェンを前に、車が急停止した。その運転手の頭を、弾丸が砕いた。イウェンの左腹も撃ち抜かれた。
 人々が逃げ惑う中、イウェンは車と人を盾に、進み続けた。
 政府庁舎は通りの向こうにあった。兵士達が銃を手に何かを群衆に叫び続けていた。イウェンは短刀を挙げた。
「こっちだ!」
 再度、銃声が響いた。イウェンは伏せた。弾丸が兵士の胸を直撃した。イウェンは伏せながら、拳銃を背後に向けた。
 兵士達が銃をシエラの方向に向けた。
 シエラが路地に隠れるのが見えた。
 逃げ惑い倒れる人々と、正気を失った運転手により衝突する車の山が、二人の間の大通りを塞いだ。

 リボルバーを再装填しながら、シエラは額の汗と血を拭った。扉の鍵を閉め、窓から外を監視しながら、足の刺し傷をベルトで縛る。一瞬、意識と共に、外の銃声と、笑い声が遠のいた。
 無線を取る。
「庁舎前の駄菓子屋で待機中」
 沈黙。さっきの公安に、部隊は全員やられたのかもしれない。
 公安に二人接触した。最初の一人もかなりの手練だった。二人目は、完全に幸運が重なって、今、シエラは生き残っているに過ぎなかった。逆に、殺し損ねたことで、この反乱は失敗するかもしれなかった。
 無線が鳴った。
「了解。すぐに向かう。南燿支部長、中幻支部長、代表秘書の捕縛完了。全部隊に撤退開始とのこと」
「了解。本当に合流できるか?」
 言い終える前に、裏口が叩かれた。
「大丈夫か!」
 シエラが扉を開けると、増援が、息も絶え絶えに、中に入って来た。
「大丈夫だ。来てくれてありがとう」
 ライフルを受け取って、シエラは無線を取った。
「シエラから全部隊へ。公安部隊と接触。相当な実力だ。奴らとの戦闘は避け、任務遂行を優先せよ」

#創作大賞2024 #ホラー小説部門

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?