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「封印」 第二十章 一緒



 部屋は暗かった。
「エリ!」
 テレビと壁が、真っ赤に染まっていた。
 笑い声が聞こえた。キッチンで何かが倒れた。何かが、落ちて、床を転がった。
 ライトを向ける。
 頭。誰かの。首の血管を食いちぎられていた。その血管をたどり、ライトを上げる。
 エリが笑っていた。
 それを見て、声を出せなかった。
 エリが一歩前に出た。さらに笑顔が広がった。赤黒い口と欠けた歯が、妙に歪んでいた。
「遅かったね、エテュー…」
 腰が抜けそうになった。腰が机を打った。廊下が揺れた。
 階段から叫びと笑い声と足音が聞こえてくる。それはすぐに、ここに向かって来る。
「ねえ…」
 エリが両手を広げた。エテューは走った。扉が再度、踏み倒されるのが聞こえた。
「一緒になろ…」
 感染者の波を後ろに、エテューは窓を撃ち抜いた。
 粉々になったガラスと共に、外に飛び出る。それを追って、エリも、感染者達も、ベランダを飛ぶ。
 エテューは落ちた。落ちながら、手をビルに伸ばした。指が、ベランダのフェンスを掴んだ。ぐるりと周り、体をフェンスに打ち付け、さらに下のベランダに転がり落ちる。
 それに少し遅れて、大勢の感染者達が、地上のアスファルトにぶつかっていく。次々と、滝の様に。
 そしてエテューが、フェンスに体を持ち上げ、ベランダに転がり、立ち上がった時、エリの顔が見えた。落下しながら、笑みながら、その目は、確実にエテューの瞳を凝視していた。そしてエリは、地上で、他の感染者達と同様に、地面で砕けた。頭から。
「あああ!」
 そこで、エテューはようやく、叫んだ。

 エイナン島の港に、ライリーは上陸した。
「放火開始。南燿への入口は空港のみとする」
 港を鎮圧し、そしてその港を焼き払うのに、時間は掛からなかった。
 港のすぐ近くにある空港にいた南耀軍の残存兵力を排除し、ライリー達は空港の周囲に身を隠した。
「警戒継続。すぐに追いついて来るぞ」
 ライリーは、離しかけた無線を掴み直した。
「感染者を集めよう」

 公安長官は、再度、ダムナグ社長の部屋に呼び出された。
「収集がつきそうにありませんね」
 長官の前で、社長は椅子を回した。
「何をあんなに怒っているんだか」
 社長のため息は若干の焦りを帯びていた。長官はそれを内心気に入っていた。
「少々他人事ですね」
「私的にとってどうするのですか?」
「連中は私的です」
 椅子が止まった。
「連中の言うことが正しいと?」
 長官の顔が一瞬強張った。
「不正は、あったのですか?」
 社長は笑った。
「あるわけ無いでしょう」
 長官は首を振った。
「あなたを追求するために聞いているのではない。何かが明るみになった時、対策を取るために聞いているんです」
 社長の笑顔が拡大した。
「みんな仲良しでしたからね」
 社長は葉巻を取り出した。
「まあ、先鋭的で熱心な実験はあったと聞きます」
 火が灯る。
「しっかりと効く薬を作る為、です」
 裏を返せば、と煙を吐き出す。
「ただ死んでほしくなかった、それだけの事です。南耀の子供達にも、親達にも」
 葉巻の先端にハサミを入れるヴァサル社長の言葉には、強い信念があった。
「自然による死は、克服したと言っても過言ではない」
 誰に言っている訳でもない口調だった。
「現代学最後の課題は寿命です。それが唯一絶対の難問です」
 社長は葉巻を机に転がした。
「人の最大の敵は、人なんでしょうね」
「まあそれはこっちも結構分かってますよ」
 長官は椅子から立ち上がった。
「エサーグは南耀へ逃げました。ウチの部下もすぐに到着するはずです。あなたの部下に、邪魔をしないように伝えてください」
「お手伝いして差し上げているだけですよ」
「そのお手伝いのせいで死者が増えても困るだけじゃ無いですか?」
 長官はコートと帽子を取った。
「私もそうですけど、結構部下も気が短い奴が多いので。というか、全員」
 そして、と長官は社長の前に一歩迫った。
「あいつらが戻って来た時、これ以上こっちに犠牲が出た時、部下の復讐心に燃えたりとかしていた時、私に抑える事は、できないかもしれない。誰が相手でも、分かりますか?」
 社長はじっと長官を睨んだ。
「…何が言いたい」
「あなたは優秀な部下全てを南耀に送った。一人はもう、ダメですよね? 彼らがうちの連中と揉めた時、あなたを守るものは、警備員くらいだ」
 社長は、長官を見上げ続けた。
「…何が望みだ?」
「政府高官の、全ての取引内容、下さい」
 社長の目が丸くなった。
「正気かお前?」
「ご想像にお任せします」
 ゆっくりと、ねっとりとした質感共に言葉を放ちながら、長官は扉を引いた。
「部下、引き上げてくださいね」
 社長がぎこちなく、かすかに頷いた。長官はにこりと微笑んだ。
「こっちの部下も抑えますから」
 扉が閉まる間、長官の言葉は若干木魂した。そして部屋は一気に静かになった。
 そこで社長は、長官の足音が一切聞こえないことに気付いた。
* 
 暗い街を、男達は歩み抜けた。
 闇夜に隠れながら、進む部隊。
 南側では、戦闘と、その音を追う感染者達の笑い声が街に響く。
 それ以外、街は全く静かだった。生存者がいたとしたら、皆息を潜めているに違いない。途中、大勢の感染者が死んでいるアパートの前を通過した。そのアパートの入り口から、若い警官が一人出て来た。
「感染しているか?」
 アンサングの問いに、警官は首を振った。
「北空港に向かっている。もしできれば、道案内を頼めるか?」
 警官は、ゆっくりと頷いた。アンサングは右手を差し出した。
「アンサングだ」
「エテューです」
 手を握る力は、とても弱かった。

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