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「封印」 第十七章 激痛



 ダムナグ社に向かった人間が帰って来ない。
 あの会社がした事を聞き、目の当たりにするまで、本当の悪がいることを、ライリーは知らなかった。いつもどこか異国の地で、悪意をもって行われる悪事というものは存在するものだと思っていた。
 利潤追求という、企業という個々の責任感が分散された集団による、金と時間の全額投資。薬を作り、試し、売る。問題が発生すれば、それを隠し、法を金で改正し、売る。人が死ねば、それは持病のせいで、法では守られ、被験体に訴訟権利は無い。
 実験は南耀で行い、中幻と南耀政府と軍部に金をばら撒き、良質な薬は、資本元の多い北海と西栄に売る。
 疫病が流行り、ダムナグの発言権と必要性はこれまで以上に増した、
 南耀の犠牲者も、それに比例した。
 止めなくてはならないと、ライリーは思った。でも、警察も軍も政治家も、動かない。
 仮に集団訴訟を起こしたとしても、賠償金が多少出るだけで、真実は誤魔化され、会社と産業は存続する。
 しかし、全てが、突如変わった。
 南耀の闇が溢れた時、ライリーは天に感謝していた。
 これで、何かが変わる。変えることができる。守ると誓った人々を救うことができる。
 ダムナグとそれに関与する人間を南耀から排除し、彼らの悪行を暴露できる証拠を確保し、徹底的に恒久的に追求する。
 その為に、エサーグは動いていた。そしてそれを阻止する為に、ダムナグも動いていた。
「もうこんなチャンスは来ません」
 シエラは言う。南の部族出身の、スーツを着た殺し屋。ナイフの扱いと、ダンスの上手い彼女の部族は、ほぼ全員ダムナグの薬害と他企業の森林開発との衝突で死亡した。
「もう北の奴らにやられんのは十分だ」
 そう言って、中幻の反乱兵も参戦した。彼らの殆どは、公安に家族を皆殺しにされていた。彼らを率いるのはファザムという男だった。同志と戦士を集め、彼はこの反乱に参加してくれた。
 彼らに、南からの退路を築くのが、ライリーの役目だった。
 バハイに悲劇をもたらしたのはライリー達かもしれないと、今更ながらに思う。しかし同時に、それ以上に、ここの人間は、帝国の多くの人間は、南耀での惨劇にいつも興味を示さなかった。
 むしろこれを機に学べばいいと思った。
 命をかけて走らなければならない気持ちを。
 感染者達は笑っていた。
 人々は泣き叫んでいた。
 ライリー達は怒り狂っていた。

 街の煙で、夕陽が揺らいでいた。
 ライリーを乗せた、南耀警察のジープは、南耀最大の南埠頭まで一気に突っ走った。
 途中、大勢の、パニックに陥り、事故・略奪を起こす人々を見た。
 学校の校庭で、バッグに入れられて積み重なる大量の死体。その横で蠢くバッグの山。
 それに火炎放射器を浴びせる兵士達。
 戦線を離れる警官もいた。
 その横で、感染者の波に、一気に押し通される部隊。特に人口密度の多いダウンタウンに多かった。感染者の波と、平面である通りで戦うと、そうなる。しかし、建物で立て籠っても、囲まれ、だんだんと押し通される部隊も多くいた。
 階段で転がり、押し潰される一般市民も見た。
 警官と兵士達の同士討ち、誤射も多く見た。共同訓練していないから、無理もない。エサーグ内でも、その事例の報告は多くあった。
 誰が誰か分からず、撃ちまくるダムナグの警備員もいた。
 それら全てを無視して、エサーグは、南へ向かった。
「シエラ隊、ダムナグ代表秘書確保。アシュラ隊、本部資料入手完了。レオン隊、南埠頭脱出準備完了か?」
 アシュラの声が、無線から響いた。レオンが運転席からそれに答えた。
「レオン隊、もうすぐ港に到着する」
 ライリーは無線を取った。
「ご苦労。みんな、南耀で会おう」
 ライリーは足元のライフルを手繰り寄せた。
 ジープは走り続けた。
 港の前で、検問が敷かれていた。
 大勢の人間が逃げ惑っていた。検問所で、警察がなんとかそれを治めようとしていた。
「止まって」
 警官が手を挙げた。警察は懸命に逃げ惑う市民を誘導し、なんとか感染者達を取り押さえようとしていた。
 ライリーは携帯を開いた。
“いつでも”と、ファザムからメールが入っていた。彼らは、後方の車に待機している。
「身分証と階級章を提示してください!」
 若い警官の声。
 ジープが止まった。
 警官達の後には、避難するための船と、それに並ぶ人の波があった。
「はい」
 静かに、ライリーは安全装置を外した。

「避難開始まで1時間」
 警報が流れた。
 武器庫で、アンサングとコウプス達作戦部隊は武装を続けた。
「この混乱を機に、エサーグは動いている。反乱の首謀者を捕縛、殺害するだけでなく、ダムナグの悪行も、そしてこの感染病の正体を暴くためにも、ライリーの行方を追う事は絶対に必要だ」
 アンサングの言葉に隊員達は武装を黙々と続ける事で応える。
「こんな病気止められるかね?」
「今止められるなら、止めるべきだ。奴らに知性が芽生えたらどうすんだよ」
 コウプスはアンサングにサイレンサーを手渡した。
「俺らの任務は変わらねえ。ただ、大いなる危機を前にした時こそ、慎重に行こう」

「奴らが南耀に逃げるなら、南の港か北の空港しかない。二手に分かれるべきだ」

 イウェンはシャツを脱ぎ、インナーを着て、防刃・防弾ベスト、拳銃、弾倉、ライフルの順に装着した。赤い緒のついた短刀を素早く研ぎあげ、鞘に差す。
「ダムナグの連中も動いている。気をつけろ」
 イウェンの声に、皆はどこか勇気づけられていた。アンサングは同意した。

「コウプスの部隊は空港に。俺とイウェンは港に。連中が逃げるよりも先に辿り着く」

 コウプスは頷き、予備拳銃を後腰と足首に嵌めた。イウェンは手斧を背負い、コートを羽織った。
「弾丸消費、移動音を最小限に。可能であれば近戦兵器で排除。頭を狙うか、足を破壊して攻撃力を奪え。手足の防具を忘れるな。連絡を怠らず、常に二人以上で行動しろ」
 頷き、武装を終える隊員達。
「噛まれた時は…できる限り死ね」
 これにも、異を唱える者は、いなかった。
* 
 夕暮れ時になって、ヘリが飛び始めた。署の周りを完全に埋めた感染者達は空を一斉に仰ぎ見た。大音響で、ヘリが東側に飛ぶ。燃料に限りがあり、エサーグの攻撃対象にもなる為、長くは使えないが、更なる囮として、感染者達の姿はどんどんと、署の周辺から動き始める。
「サプレッサーを持っている者、全員北側の窓で構えろ」
 静かに、本部からの無線が響いた。
「撃て」
 北側の感染者達が次々と倒れていく。
「行くぞ」
 サバサがライフルを背負った。
「跳べ!」
 隣の警官ベイリンと、隣の不動産オフィスの屋上に転がる。
 床が抜けた。
 振動と衝撃と粉塵で、エテュー達はしばらく何も出来なかった。
 うめき声と、影が覆い被さって来た。
 迷わずにエテューは引き金を引いた。
 兵士__サバサ__が倒れた。
「サバサ!」
 サバサは部屋の隅に倒れた。その背中に押され、扉が開いた。扉の向こうに、銃が見えた。それは警察でも軍の銃でもなかった。
 反乱軍!
 背後の味方と、正面の敵の銃弾が頭上で交差し、エテューの弾丸が反乱軍兵士の足と胸を撃ち抜いた。
 後退する反乱軍。
 足首の拳銃を抜き、サバサに駆け寄り、扉から銃口を突き出す。扉の向こうは階段になっていた。敵はもういない。
 サバサが唸りながら、割れたヘルメットを外した。
「大丈夫か? すまない」
「…いい」
 エテューは扉を閉め、死んだ反乱軍兵士のライフルと拳銃と弾倉を抜き取り、窓に顔を寄せた。反乱軍が路地の奥に逃げて行く。それを、感染者の波が前後から押し潰した。そしてその波は、一気に、エテュー達の建物に流れ込んで来た。
「一気に走るしかねえ」
 サバサは窓を、音を立てない様にゆっくりと開けた。
「奴らがここに入ったら、窓から逃げる」
 彼と、部隊と兵士達の手に手榴弾が握られた。床が揺れる。
「行け!」
 扉が倒れた。エテュー達は走った。
 無数の笑顔が垣間見えた。
 爆発。
 二階から飛び降り、転がる。コンクリートとの衝突による再度の衝撃と、昏倒。遅れてくる、激痛。
「走れ!」
 誰かの声。隣に落ちてくる感染者。ライフルが空になるまでその顔を撃つ。
「起きろ!」
 迎えの建物から、警官達が走り出て来ていた。エテューも、逃げていた市民も、戦っていた兵士と警察も、路地に隠れていた反乱軍も、皆、走った。
 向かうのは、北警察署。
 ざすか3ブロックは無限だった。
 バリケードは、門は、味方は、すぐそこ。
 エテューの弾が切れた。バリケードの前に、死体が堆く積められていた。その高さはバリケードを越えようとしていた。それでも感染者の波は止まらない。
「倒れるぞ!」「撤退!」「援護射撃!」
 交錯する指示、薬莢、跳弾、弾倉。
 隣の警官__ベイリン__の腕に、少年が食いついた。その頭を、ベイリンの拳銃で撃ち抜く。ベイリンは感染者の波に飲み込まれていく。
「撃て撃て撃て!」
 隊長が叫んだ。エテュー達はバリケードから飛び降りて、警察署の塀の内側に走った。入れ替わるように軍人達が門から一斉掃射して感染者達を食い止める。
 警察署内には検問を通り抜けた大勢の民間人達がいた。彼らは適宜西側倉庫に誘導されていた。
 門が閉じた今、外で待っていた民間人達は皆感染者に食い殺されるか、逃げたかのどちらかだった。そして西側倉庫に、もう民間人達は入り切れなかった。
「東庁舎に入れましょう。護衛をつけて、静かにさせるしかありません」「怪我人はどうする」「見捨てるしかありません」「反乱になるぞ」
 指揮官達の声を片耳に、エテューは拳銃の残弾数を確認した__五発__どこかでライフルと弾倉を補給しなくてはと、周りを見る。
 鋼鉄の門が、既に歪み始めていた。

「止まれ」
 警官は警察用ジープの紋章を見ても、ライフルにかけた手を緩めなかった。
「どこの署…」
 ライリーは引き金を引いた。一瞬で、警官は死んだ。その後ろで銃を構えようとした警官達の胸と頭を、ファザム達が撃ち抜く。レオンとライリーはジープから出た。エサーグ兵士がそれに続いた。
 ほぼ一瞬で、警官達と兵士達は死んだ。
 故に、検問は瞬く間に崩壊した。
 感染者が市民に食いつき、市民は船に殺到し、船は転覆した。
 感染者を撃ちながら、ライリーは再度ジープに乗った。ジープは柵を突き破った。後続のファザム達の車と共に、彼らは港に侵入した。感染者を後に引き離し、南端の軍船で、一行は止まった。
「出航準備。船内をクリアする。シエラは南から、俺は北から。他は船上で展開。なるべく静かに頭を撃て。エサーグ以外誰も入れるな」
 レオンやファザム達が配置につく間、甲板で、ライリーは燃えるバハイを垣間見た。
 思いしれ、とはもう感じなかった。
 後悔はなかった。疑念もない。当然快楽もない。微かに、安堵はあったかもしれない。作戦は進んでいた。
 反乱は成功するかもしれない。
 南耀は救えるかもしれない。
 でもその感覚は薄かった。人工的だった。
 何か、黒いものだけが、胸中にあった。

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