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ツバメの来る日 第7章 10年ぶりの再会

(前章までのあらすじ ~ 実家の縁談を受けたが、見合いの当日に遅刻する。都会的で上品な短大出の女性だったが、たばこ嫌いで断られる。青木宅に怪電話は続く。実家の縁談も続く。由美と交際相手のデートの場面を目撃して衝撃を受ける。いくつかの怪電話の相手は職場仲間の後輩女性2人と分かる。デートの目撃について友人たちから意見を聞く。夜中に由美宅のそばに車を停め、由美への未練をかみしめる。由美たちの関係を詮索する。)

その日、青木が駅前の喫茶店に入ると、すれ違いざまに一組の男女が店を出ようとした。見覚えのある顔だった。
「清水さんかな?」
 青木が声をかけると、相手も振り返った。
「ああ、こんにちは」
 清水は笑って、照れくさそうにした。
 青木は連れの女性を見て、清水に笑いかけた。
「知り合いの人?」
「ああ、いや、妹です」
「ああ、そう」
 青木があいさつすると、その女性も愛想笑いをした。そうか、彼女じゃなくて妹なんだ。青木は素直に思った。
 
それから1か月も経たなかった。青木の職場に出先機関の交通事故の一報が入った。青木はトイレから戻って、その話題を知った。
職員が運転する公用車のライトバンが、大型トラックと正面衝突した。
その職員とは、何と、あの新人の清水だった。しかも、清水は死亡し、同乗していた小中学生も死亡したらしい。関係する部署は大騒ぎになり、緊張感に包まれた。
事故処理に当たる職員は、沈痛な面持ちでその後の何日かを過ごした。職場は暗い雰囲気に包まれた。
福祉課の課長は、血相をかいて総務課の幹部職員のところに出かけたらしい。事務所と連絡を取り、対応策の打合せが始まった。
青木には、その一件に直接関わる仕事はなかった。
詳細を知ったのは、翌日の新聞の紙面を通してだった。
 
警察の調べでは、現場は緩いカーブだった。ライトバンがセンターラインを越えて、対向車線に飛び出した。60キロのスピードで、タイヤのスリップの跡はなかった。ブレーキを踏む余裕はなかったか。
わき見か居眠りが原因ではないかと見られている。
運転していた清水は他の職員と、事務所に入所していた小中学生を引率した。公用車3台に分乗し、観光施設を見学した帰りだった。
事務所は、家庭環境や生活態度に問題のある児童の一時預かり所になっていた。所内の生活を通じて、学校に復帰させる。
この日は所外訓練だった。
事故当時は雨が降り、衝突のショックで児童たちは車内に閉じ込められ、レスキュー隊が出動した。
清水の運転するライトバンは大破した。清水と後部座席の女子中学生は頭の骨を打って、間もなく死亡した。
同乗していた女子中学生、女子小学生は、全身打撲で意識不明の重体となった。
もう一人の女子中学生は軽傷で済んだ。
 事務所の所長は、保護者に申し訳ないと言っている。事務所では、職員が泊まり込み、対応に追われた。
清水は、おとなしく、仕事熱心で、一番若くて、子どもたちに一番人気があった。
 翌日、重体になっていた小中学生は死亡した。
 
2,3日後、青木は、あの敬子が清水の葬儀に出席すると聞きつけた。同じ中学の出身で、以前から知り合いだったらしい。
青木は他の知人に混じって敬子に香典を託した。敬子は、わざわざ仕事の帰りに青木のところに自分から寄った。
「とんでもないことになりましたね」
 暗い顔の青木の言葉に、敬子の表情もゆがんだ。
「本当に、こんなことになるなんて……。市役所に入ったばかりなのに」
「正面衝突なんて、どうして」
「普通はありませんよね」
「この間、妹さんと一緒にいるところに出くわしたばっかりだったんですよ」
「そうですか。でも、妹さんはいませんよ。一人っ子ですから……」
「そうなんですか?」
 青木は怪訝そうな顔をした。
「きっと、一緒に住んでいた人ですよ。同期の人と、結婚しないで住んでたらしいんですよ」
「ええっ。じゃあ、照れ隠しか何かで、妹だって言ったんですかね?」
「そうだと思います」
 青木は改めて驚きの表情を見せた。
「それじゃあ、あの人、今度の事故で……。大変じゃないですか」
 清水の後ろに隠れるようにして、うつむきがちに微笑んでいたその女性の顔が、青木の目に浮かんだ。
「一緒に乗っていた子どもさんたちも、その家族も本当に大変です」
 
 清水の件は、どうにもならないと青木は思いなおした。
予定どおり相談所のパーティーに出席した。成果は得られなくても、何となく華やかな雰囲気を味わえるだけでも良いだろうと思っていた。
 会場は横浜で、珍しく会員制の倶楽部で、洋館造りの高級な施設だった。
 最初の女性は気取って見えたが、話してみると表情が可愛らしかった。2番目の女性は、青木の住む町の隣の町に住み、そこから東京の会場に出てきていた。24才で、北海道の大学を卒業したばかりの、明るく、ざっくばらんの女性もいた。青木と同じ大学の出身者がいて、懐かしくて妹みたいに感じられた。結婚が目的でなければ、友だちとしてつき合ってみたいと思った。美人だが愛想が良くなくて、その気になれない人もいた。
 有名ホテルに勤める、落ち着いた性格の美人がいた。もうひとりの美人は、外国車の輸入販売会社に勤める、有名な私立大学の出身者だった。顔もスタイルも良く、性格もしっかりしていて、素直に見えた。青木は、このふたりの美人を希望したが、予想していたとおり双方から断られた。他の男性の視線も熱かったようだった。
 久し振りだったせいか、場所が華やかだったせいか、女性たちはみな魅力的に見えた。
 
青木は好きな歌謡曲を聴いていると、奈良に行く前に万里に連絡したくなった。秋山と旅行するゴールデンウイークが近づいている。大学の同窓会の名簿で奈良に住んでいるらしいと分かっていた。
清水の死がきっかけになっていたかもしれない。生きているうちに、好みの女性に気持ちを打ち明けた方が良さそうだ。人はみな明日も生きていられる保証はない。万里には一度打ち明けて、いい返事はもらっていない。しかし、今でも独身で元気でいたら、何らかの可能性があるのではないか。
 かと言って、別れて10年経って初めて連絡するなんて。それが自分にどんな意味があるのか、分からない。して良いことなのか、もう昔のことで許されるのか、もう結婚しているか、まだ独身で再会できるのか、その先どうなってしまうのか、分からない。自分の流した涙と、過ぎ去った時間の中での忍耐は、どうなってしまうのか。
万里に気軽に電話するか。大学時代のアルバムを見た。万里の顔を見たら、今では涙も出ない。もう諦めているからだ。
 結局、迷った挙げ句、同窓会名簿の電話番号を回してしまった。
 幸か不幸か、連休のせいか夜中の10時なのに留守だった。父親らしい人が出た。成り行き上、また電話すると言っておいた。
 どうしようか。出発前の明日か明後日、電話するか。どうして今更こんなことをするのか。青木は自問自答した。
 
閉庁日に残業処理で青木が出勤した。すると再び、職場に日中、いたずら電話があった。トイレから青木が戻り、先輩が言うには、先輩が出たら、切れたという。青木当てなのか。誰からか。それなら、無言電話は、青木の自宅と勤め先の両方にかかっているということか。
 
数日後、青木はまた電話して、とうとう万里本人と話した。衝撃の日だった。
その日は10年に1回くらいの特別な日になった。信じられない日になった。青木は最近、人生の大きな大河のような流れを、つくづくと感じる。
 最初、母親らしい人が出た。
 次いで万里が出た。別人かと思った。声が違う。話し方が違う。明らかに違っていた。20才の娘時代の高い声ではなくなっていた。青木の耳には、大学時代のあどけなさを残した万里の声しか残っていない。
 まだ独身だった。青木は長い間、万里を思っていた。多分、万里は青木のことを忘れていた。大阪の有名なフランス人男優の会社でスタイリストをしている。
「会社では、毎日フランス語を使っています」
 万里はそう言った。
 青木も万里もフランス文学科だった。卒業生の一部は仏語を使った仕事をしているようだった。
「ゴールデンウィークに奈良に旅行したんですよ」
青木がそう言うと、万里は返事した。
「それは、留守にして申し訳ありませんでした。アメリカにいる姉の所に行っていたものですから……」
そう言えば、万里と仲のよかった女友達から以前に、万里の姉は公認会計士で、同業の男性と結婚し、ニューヨークにいるとか聞いたような気がする。
「かっこいい姉妹でしょ?」
女友達は笑いながら言った。
青木は万里の近頃の生活について尋ねた。
「お友達と繁華街に行ったりするのは嫌いなんです。毎日仕事を終えると、スポーツクラブに寄ってから帰宅します。お酒はほとんど飲みません」
「関西弁になっちゃいましたね」
 青木は、東京生まれの万里の変貌ぶりに驚いて、おどけて言った。万里はくすりと笑ったようだった。
「 また、お越しの節は是非、お声をかけてください」
万里のその言葉は、お世辞なのか本気なのか、どんなつもりなのか分からなかった。
 青木は電話を切った。
 
 別人だった。あの頃の万里じゃなかった。万里は、やはり年を取った。22才の娘が30才になっていた。
 しかし、万里は丁寧な話し方だった。きちんとしていて、さわやかな印象があった。今の万里は、独身で、聡明な、職業を持った都会の女性に思えた。
東京にいた時のような、ぶっきらぼうな話し方はしなかった。あの頃は、酒に酔ったりすると、生意気で、勝手なことを言っているようにも見えた。泣き出したり、気取ってみたり、すねてみたり、冷たくしたりすることもあった。そういう20前後の娘、時に礼儀知らずの娘とは、違っていた。
 振り返れば、青木自身も万里に劣らず、不作法な言動に身を任せることも多かった。
会わなくなって10年経っている相手だから、それで当然だった。しかし一方で、それが他人行儀に感じられて、青木は寂しかった。
声は落ち着いてしまったが、顔や姿はどうなってしまったか。不美人で年老いた顔つきになったかもしれない。太ったろうか。
 なぜ、男にもてないわけじゃない万里が、この年まで結婚しなかったんだろう。
 
 成り行き上、また観光地の京都辺りに何かの都合で旅行して、今度こそ万里と10年ぶりに再会しそうだ、と青木は感じた。互いに過去、現在の異性関係はあるだろう。でも、人生に1度か2度の大きな再会になるかもしれない。
 
 万里は、一体何者なのか。あれほど青木を悲しませ、悩ませ、傷つけた女が、10年ぶりで電話したら、まだ独身でいた。加えて、また来ることがあったら、声をかけて欲しいと関西弁で言う。
しかし万里は、昔抱いていた望みの通り、不倫の恋をしているのかもしれない。
 

 

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