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白いテニスウェア(軽井沢2)

 昭和57年8月、私は学生時代の友人2人と軽井沢旅行に出かけた。大学を卒業して2年経ち、20代後半だった。
 軽井沢の高原に出かける前の日に、成人映画を見た。これから出かける高原を舞台とした、有閑マダムの若い男性との交情を描いたものだった。私たちは勝手な想像を膨らませた。
 旅行の初日の朝、私たちは私の車で高原に向けて出発した。バイパスの道路で碓氷峠を越えた。この峠は暑苦しい下界とさわやかな天上の世界の境目に思えた。避暑地に入れば、街並みも空気も人々の様子も変わる。
 軽井沢の街に入り、サイクリングの若い女性を見た。
 その中には、白いテニスウェアを着た女性も何人かいた。ノースリーブのミニのワンピースで、腕も脚も露出させていた。開放感に包まれ、若さを発散させているようにも見える。その姿は眩しく、私たちの興味を引きつけた。
 軽井沢の先の信濃追分に車を進めた。中山道の宿場町のひとつで、江戸時代には栄えていたらしい。当時の面影が周囲の風景に残っている。
町はずれで、予約していたペンションにチェックインした。
 手荷物を降ろし、ひとまず観光名所に出かけた。白糸の滝から北軽井沢に向かった。
 2年前だったか、仲間たちと遊んだテニスコートを改めて眺めた。あの時、私たちは、このテニスコートで、初めて訪れた軽井沢の魅力を知った。仲間は7,8人いたが、卒業して離れ離れになった。今は、連絡を取り合うことのできた男友だち3人だけが、ここにいる。
 それから、旧軽井沢と呼ばれる軽井沢駅の北側に向かった。駐車場に車を収めてから貸自転車の店に行った。
 サイクリングで、風を切って走った。カラマツ林の道路を、地図を片手に縦横に走った。空気はすがすがしく、緑は心を落ち着かせた。
 そのうち、同じくサイクリングしている3人娘に声をかけた。外見は派手でもなく地味でもなかった。人気の観光地にはあちこちから若者が集まり、交流している姿も散見される。
 6人で移動するうち、激しいにわか雨に襲われた。山の天気は変わりやすい。土砂降りの雨、急な雷光、雷鳴に唖然とした。道路沿いの商店の軒下で雨宿りした。そのあと喫茶店に入って世間話をした。
 彼女たちは中国地方出身の高校の同窓生だった。今は、どういう理由なのか中国、近畿、関東地方と別れて住んでいる。それが示し合わせて、何年かぶりで軽井沢に集合した。
「東京の男は信じられん」
 女性たちの1人が冗談めかして言った。東京の男に遊ばれた地方の女性のうわさなど聞いているらしかった。
 3人と別れたあと、血気に逸っていたらしい友人Aは、何かやるべきだったと言った。私は苦笑いした。
 ペンションに戻り、窓から外を覗いた。高原のなだらかな傾斜の途中に、人家が点在していた。
その晩、ペンションのオーナーと民宿の応接間で話した。
 オーナーは若者3人の宿泊客に好意を覚えたらしかった。40歳前後らしく、穏やかで愛想が良かった。オーナーはビールが好きだった。話は弾んだ。
 オーナーは、若いころは登山家だったらしい。山野の自然に愛着があった。軽井沢近辺は、昭和50年代のこの頃、人気の観光地となった。あちこちにペンションという西洋風民宿が数を増やした。オーナーもそんな風潮に乗って、脱サラして民宿経営に乗り出した人間のひとりだった。自由に生きている様子だった。
 妻子と同居していたが、観光地に集まってくる女性たちや別荘の女性たちに心惹かれているようだった。
「スーパーなんかで別荘の女性を見ていると、ときどき自分のと、取り替えたくなるような人がいますね」
 酔っていた私たちは笑いながら、相槌を打った。

 2階の部屋に戻るとき、階段で若いアベックとすれ違った。この頃、交際中の男女は、カップルというよりアベックと呼ぶことの方が多かった。
 部屋に入ってしばらくすると、隣の部屋から物音と人の声が聞こえてきた。
 アベックは若さを持て余し、ベッドで格闘しているらしかった。私たちは押入や壁に耳を当てた。友人Aは、当時流行りのウォークマンで録音しようとした。若かった私たちの好奇心は強かった。
 そのうち、人騒がせな音はやんだ。私は二段ベッドの上に座った。双眼鏡を高原の夜の戸外に向け、レンズを覗いた。闇の中の遠くにペンションらしい部屋の窓が見えた。若い女性の姿が1人2人見えた。
 
 次の日、前日に下見した場所に出かけ、森に囲まれたテニスコートでボールを打ち合った。白いテニスウェアの女性は、ここにもいた。彼女たちの方から飛んできたボールを投げ返し、顔を見合わせ、声を掛け合った。
 そのあと、車で足を延ばして鬼押し出しを見て回った。黒い大きな岩が累々と広がっている。旧軽井沢の贅沢で平穏な雰囲気と対照的な荒涼たる風景が広がる。浅間山の山容は一見穏やかに見える。しかし、江戸時代に大噴火があり、その後も火山活動が続いているらしい。
 今は、この地にやってきて、きれいな所だけ見て、すぐに帰ってしまう観光客が多い。その人たちにはわからない火山の恐ろしい一面を、地元の人たちは感じているのだろう。
 その晩は、ペンションで、アベックと入れ替わりにやってきた中部地方の2人の女性に早速声をかけ、トランプを楽しんだ。
 
 翌日、その女性たちと5人で浅間牧場に出かけた。ペンションで知り合った彼女たちは、電車で軽井沢に来ていた。一緒に観光名所をドライブすることになった。
 一緒に牧場の広大な景色の中を歩いた。友人Aは、本気なのか冗談なのか、この女性たちを何とかしてしまおう、と小声で言った。私は、また始まったと思い、苦笑いして、落ち着きのない奴だと思った。
 軽井沢駅で彼女たちと別れた。その頃の駅は、小さくて古かった。令和の時代のように新幹線は開通しておらず、鉄道を横切る自由通路もなかった。

 3人は見納めに、軽井沢銀座を観光客に混じって散歩した。土産物店の並ぶ通りは、開放感にあふれていた。人々は色とりどりの夏の軽装で、楽しそうな表情だった。
 友人Aは、すれ違った女性を見て、誰誰さんだと言った。私たちの大学に在籍している、あるテレビ局の副社長の娘だという。私は知らなかったが、きれいで裕福そうで上品な女性だった。私たちと違い、軽井沢の別荘族のひとりのようだった。
 軽井沢からの帰り、信州から関東に向けて田園地帯の国道を走り続けた。高速道路は開通していなかったから、信号が赤になれば、車は縦に並ぶ。
道路で私たちの前を通る車は、次々と変わった。そのうちの1台がずっと先行することになった。後ろのガラスに書いてある言葉を見て、私たちは笑った。「恋人募集中」と書いてあった。その車は、若者が好みそうな車種だった。その文字を、私たちは、夕闇の中でしばらく見続けた。
 ドライブの最中、車中では流行歌手の失恋のカセットテープの曲を聴き続けた。そのころ、CDなどは世の中に出回っていなかった。
 友人Bは、一見まじめで、軽井沢で知り合った女性たちに、あからさまな関心を示さなかった。しかし、長いドライブの途中で、ある体験談を告白するように話した。風俗営業の浴場に行って感動したと言った。私は就職していたが、留年した彼は、まだ学生だった。これから就職活動に入ろうとしていた。

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