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イッペイクンがこっぴどく怒った話

小雨が降ってはやんで、降ってはやんで、また降りやみました。

『あぁ鬱陶しい、やめたやめた。』

カエルの小座衛門は大きなあくびをしました。

『滝みたいに一息に降り注ぐか、いっそ降らないでほしいものだ。』

周りのカエルたちは雨が降る度に歓声を上げて舞い踊り、雨がやむ度にひどく残念がっています。それを見て、小座衛門はまた大きなあくびをしました。

『なぁカエルどもよ、その喜びや悲しみは心からの感情なのか、あるいは本能か。周りにただただ同調しているだけのカエルも一定数いるのではないか。私は(少なくとも私は)雨の降る降らないで感情が揺れ動くことはないぞ。いやいや、以前はたしかに感情を持ち合わせていたのだ。生まれて初めての雨が降り、その雨粒が背中を滑り落ちた感触は今でも鮮明に覚えている。いつからだろう。雨に対する感情は何も持ち合わせなくなったようだ。そんな私もたったの今までは雨を喜んで歓迎し(喜んでいる感じを出し)、雨の遠のきをひどく寂しんでいた。(寂しいように振る舞った。)そう、ほかの阿呆みたいなカエルどもと同じように。あぁ気づかなければよかった。気づいてしまったから鬱陶しいのだ。カエルってのは阿呆の一族だったのかもしれないなぁ。』

小座衛門は考えるのをやめたくなりました。そして三度目の大きなあくびをした後、眠りにつきました。小座衛門が眠っている間も雨は降ってはやみ、降ってはやみを繰り返しました。カエルたちもまた、喜びの舞いと惜別の悲しみを繰り返します。長年にわたって何万回も演じられた歌劇団の舞台のように。

なんの夢も見ない退屈な眠りから解放された頃には、雨がすっかりやんでいて、この時期にはめずらしく空気がすっきり澄んでいました。さそり座のしっぽのあたりに天の川が流れています。小座衛門は、エリマキトカゲに変わっていました。

普段から水面に映る自分の姿など見たこともない小座衛門は、残念ながら(あるいは幸運にも)自分がエリマキトカゲに変わっていることに、生涯を通して気づくことはありませんでした。他のカエルたちもまた、カエルだった小座衛門の存在を特に意識することはなかったし、エリマキトカゲになった小座衛門を見たときも、その存在に特に興味を示すことはありませんでした。そもそもカエルという生き物は多くのことに対して、あまりに無関心でした。そして、知らぬまに夏が終わり、池はせかせかと赤とんぼが飛び交う秋を迎えようとしています。

『最近はやけに寒いなぁ、寒いのもまた鬱陶しいなぁ。』

秋晴れの日の朝、小座衛門は大きくあくびをした後、深い眠りにつき、そのまま起きることはありませんでした。日に日に厳しさを増す寒さは、暖かいところを本来の生息地とするエリマキトカゲにとって、耐え難いものなのです。小座衛門は小さな雨粒が背中をすーっと流れ落ちる夢を見ました。



『はーーーーーーーーぁ。』

池の神であるマドロハスイは蓮の葉の上で長いため息をつきました。マドロハスイは池のあらゆる生き物の心の声を聴くことができました。というより、聴きたくなくても否が応でもあらゆる声が耳に入ってきました。その多くは池にごまんといるカエルから発せられる、なんの深みもない声です。マドロハスイは片田舎の小さな池で、これからずっと神として、変化の乏しい退屈な日々を過ごさねばならないことをとても憂いていました。

そんなマドロハスイは梅雨のある日、少しだけおもしろい声を聴きます。それは1匹のカエルが、自身が取るに足らない1匹のカエルであることに気づき、そのことを憂いている、といったものでした。

『己の境遇を知り、ひどく落胆しているカエルは、その姿形が変わったら何を思うだろうか。これは見物だねぇ。』

マドロハスイは蛙をエリマキトカゲに変えました。池の神にとっては容易なことなのです。しかし、元蛙のエリマキトカゲが己の境遇について憂いたのはたったの1日だけで、その日以降はあれこれ考えることを放棄したようです。姿がエリマキトカゲに変わったことにすら、気づいていないみたいでした。

『なんだいおもしろくないなぁ。』

つまらなそうに泳ぐ年老いたコイを見つけたマドロハスイは、その姿をブラックバスに変えました。池の神にとっては容易なことです。ブラックバスは池の底で別のブラックバスと合流し、ゆったりと水草のカーテンを寄り添うように泳いでいます。

その夜、マドロハスイは池の生態系を自分勝手に乱したことを、川の神であるイッペイクンにこっぴどく怒られました。

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