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障害受容過程

発達障害を診断され、コンサータと共に生きるえでぃです


障害受容過程をご存知ですか?

私は知識としてはありましたが、身をもって実感しました。

そんな経験をする人も少ないと思うので記録してみたいと思います。


まず、障害受容とは?

「告知されてから、どのような過程をたどって、障害のある自分を受け止めることができるか」

ということだと私は認識しています!!


障害受容には5段階あると言われています


①ショック期:自分自身になにが起こったか理解できない状態

②否認期:自分の障害から、目を背けて認めようとしない時期

③混乱期:「怒り」「悲しみ」「抑うつ」などが現れる時期

④解決への努力期:様々なことをきっかけにし、病気や障害に負けずに生きようと努力する時期

⑤受容期:自分の障害をポジティブに前向きに捉えられるようになる時期


現在の私は自己評価としては、④と⑤を行ったり来たり・・・長い時間をかけて、混乱期は脱したかなと自覚してます(笑)


①ショック期

診断を受けた平成29年6月

「ホッとした」という感情があったかと思えば、まったく正反対の理解できていないというか理解したくない状態


②否認期

薬を飲めば、自分の目指していた「普通」になれると信じていた時期。障害と認めたくないことの現れ。


③混乱期

平成30年3月。ストラテラが合わず、コンサータへ変更し、徐々に量も上げていった頃。「あなたは、今の量が上限です。これ以上量を増やすことはできません」その主治医の言葉で地獄に落とされた感覚に陥った。

”どうあがいても普通にはなれないんだ”と悟った瞬間だった。

まだまだ困り感はあったし、なんならわからないことだらけだったのに、これ以上の改善はありませんって、そりゃ混乱しないわけがない。

その思いをどう昇華したらいいのかわかるはずもなく、家族に八つ当たりした。家で暴れた。

暴れつかれて、寝たきりの鬱状態を経験した。ご飯も食べれない、トイレと布団を往復する生活。睡眠薬を飲まないと寝れない日々。気付けば体重は40㎏を切って、骨と皮。お風呂に入るだけで息切れ。

体は動かしていないのに、考えるという頭を使うだけで、ひどい疲労感を感じることもこのとき実感した。

体が思うように動かないと、考えることしかできない。

過去を振り返って、なぜ友達が出来なかったのか、考えていた。この頃には、薬を飲み始めて約1年。自分で考えることが少しずつできるようになっていたことが、さらに自分を苦しめた。昔は、まったくわからなかったことに、気づいてしまったからだ。

あの子は、私のこういう言動が嫌だったのかもしれない。あの出来事がきっかけであの子は離れて行ってしまったんだな。あの子は私のこんなところが嫌だっただろうに、優しい性格だったから付き合ってくれてたんだな。

過去の嫌な思い出が、今まで無意識に奥底にしまい込んでいた記憶が、昨日のことのように思い出された。

苦しかった。とにかく苦しかった。こんなに苦しいなら、薬飲まないで知らないままの方が良かったとすら思った。
でも、気づいてしまったから。このまま何もしないとこの苦しさも変わらない。気づいてしまったからには、謝りたい。意を決して、何年振りかわからない友人たちに連絡を取ってみることにした。

発達障害だったことを打ち明け、今までに気づかないうちに嫌な思いをたくさんさせてしまったことを謝罪した。今までごめんね、ありがとう。と・・・

すると、みんな「気にしてないよ!逆にわだかまりを残したまま卒業しちゃってごめん」となんとも優しい言葉をくれたことに驚きを隠せなかった。

それが本心だったかなんてわからないが、言葉は言葉通りの意味でしかない私にとって、とても救われた。


④解決への努力期

③の鬱期と行ったり来たりしながらも、少しずつ自分を知るために、とにかく自分のことが知りたくて、図書館に通っては発達障害の本を読み漁った。カウンセリングにも通った。自分の思いを言葉にすることが出来なかったため、旦那と交換ノートを始めた。

地元の自閉症親の会が主催する「自閉症セミナー」にも参加した。それは支援者向けのセミナーだったが、発達障害の特性についてや、支援の方法などわかりやすく説明してくれた。

自分を自分で理解して、自分が一番の支援者になればいいんだと思っていた。

数日にわたるセミナーにすべて参加し、最終日。

発達障害・自閉症の人たちに1番大切なこと、それは「助けて」と言えることだと。それを聞いた瞬間、今まで生きてきた中で”助けて”と言ったことが一度もないことに気づかされた。いつどんな時も一人だった。

人間関係がうまくできないのだから、もうひとりで生きていけばいいんだと思ったことは数知れず。

でも、この時、人はひとりでは生きていけないんだよと教えてもらった気がした。


この③と④を行ったり来たりの時期が一番長かった。

でも、特性が分かれば対処方法もわかる。ぶつかった壁に対して一つずつ、対処法を見つけていく作業を繰り返した。


⑤受容期

どうなったら受容したと言えるのだろう。

受容とは言葉を変えると諦めだと感じている。できないことを努力してもできないのが、現実。それを諦めるという形で受け止め、どう工夫したらそれなりにできるようになるのか、はたまたできないことをどう支援してもらうのか、その方法を見つけることが出来るようになると、生活が格段に楽になる。

例えば、、、

感覚過敏には、デジタル耳栓やサングラス(自分に苦手の蛍光灯の場所を把握してできるだけ避ける)

家族で出かける日は、帰ってきてから何もしなくてもいいように手配してから出かけて、全力で遊ぶ

気圧で体調を崩しやすいため、気圧のチェックや生理周期の把握し、予定を組む

これらはほんの一部だが、こんな風に自分の特徴を知り対策を考えていった。


一番大変だったのが、家事だ。始まりの時間が決まっているわけでもなければ、どこで終わりなのかも明確ではない、発達にとっての敵だ。

考えること8割、手を動かすことが2割と言われる料理が一番苦手。苦手は誰かに助けてもらえばよいとわかっている。夫婦で家事代行の話し合いもした。でも、まだ頼めていない。この事実が、自分の受容が中途半端であることを物語っている。


自己理解→家族との関わり方→家庭での対策→友人との関わり方→定型社会と段階を踏んで対策してきたが、家から一歩外に出ると難易度は確実に上がる。定型社会は本当に難しい。

今まで嫌われないように、出会った人が離れていかないように、自分がその人にとって必要な存在として選ばれるように、周りの人すべてに気を遣って、無駄に自分のエネルギーを消費していた。

しかし、「自分のことを理解してほしい」と思う気持ちにも諦めがつき、カミングアウトしても手を差し伸べてくれる人と付き合っていくことを自分で選ぶ方向にシフトした。


社会に溶け込むことは難しくても、社会との繋がりは持っていたい。出来ることなら、今の定型に合わせた社会を変えたい。だからこそ、いろんなことを自分で選択して挑戦しながら学んでいく姿勢を大切にしたい。