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虹色ドリーミングNE(第2回)

【加賀浩司】
 20XX年11月4日。私は日本武道館で確かに『あれ』を見た。
 雨に濡れた道を歩いて、九段下の駅から電車に乗って帰宅した。帰宅してすぐに『あれ』をもう一度体験しようと、プレイリストをセットリスト通りに作って聴き、恐怖した。
『あれ』の記憶が薄れ始めていたからだ。
 私は『あれ』の記憶を記録として留めるために、文章を書いて、すぐに断念した。『あれ』を正確に伝えられる言葉がないのだ。虹を見たことがない人に、その美しさや感動を正確に伝えられないのと同じだ。
 虹は……七色だった、綺麗だった、彩やかだった、大きな橋のようだった、まるで……まるで?
 もう一度プレイリストの曲を聴いてみた。これを他人に聴かせても感動はきっと伝わらないだろう。パズルのピースが足りない。たぶんあの曲だ。
 私はドリーマーで作ったLINEグループで『あの曲を再現したいので協力してほしい』と呼びかけた。
「推しのパートなら覚えている」
「うろ覚えだけれど何となく」
 そういった声が集まり、歌詞カードが完成した。楽器が弾けるドリーマーたちの手によって、メロディーと簡単な伴奏も再現できた。しかし聴いてみると何かが違う。
 私は高梨社長を頼った。「なんとかオケだけでも提供してもらえないか」
「実はあの曲のデジタルデータを持っている人間はいる。でも映像もオケもマスターデータは既に削除してしまって私の手元にはない」
 ボーカロイドに歌わせても、女性のドリーマーたちに歌ってもらっても、結果はいっしょだった。違う。これじゃない。あの日観た、聴いた『あれ』じゃない。これは紛い物だ。
 私は協力してくれた人間全員分のCDを作成し、手紙を添えて送付した。
『私ができたのはここまででした。私はあの曲の紛い物を作ったに過ぎません。このCDをどのように使用するかはあなたにお任せします。ただ広く公開するのだけはやめていただきたいと思います』

 三年ほど経って、高梨社長から連絡が来た。会って話がしたいとのことだった。
「実は第二期ニジドリオーディションの募集をしたところ、5000人近い応募があった。でも歳のせいか全然区別がつかなくて困っている。おニャン子クラブなど50人以上いたメンバー全員の名前が言えたのにな。そこで歳も私より若くて、ニジドリをよく知っている君に協力を頼みたいんだ」
 そうだ。一度『あれ』を生み出した高梨社長に協力すれば、再現できるかもしれない。私は協力を引き受け、5000通のエントリーシートに目を通した。しかし。私にも区別がつかなかった。ゴシック体で書かれた『アイドルになりたい子』という文字が並んでいるように見えた。
 テンプレート通りの髪型、容姿、趣味、目標の女の子が5000人。全てが灰色の世界の地平線から、軍事国家のパレードのように足並みを揃えて歩いて、こちらへ向かってやって来る。
 肌は陶器のように白く、目は透き通ったガラス玉でできていて、カラーコンタクトをしているためか感情が読み取れない。口は上弦の三日月のような形を作って上歯だけを見せている。

 私は悪夢のような光景を頭から振り払って、もう一度精査してみた。するとほんの少しの違いからいくつかのタイプに分類できることに気がついた。
 タイプAとタイプBとタイプCの三つだった。
 もっとよく見てみると、AとBのハイブリッド、BとCのハイブリッド、AとCのハイブリッド、そしてAとBとCのハイブリッドがいた。全部で七つ。

 古来、七という数字には特別な意味がある。この世界を生み出したという神は七日目に休み、一週間ができた。その世界は七大陸と七つの海で出来ていて、北天には北斗七星が輝く。ブッダは生まれてすぐに七歩歩いた。ゾロアスターが生まれた時七人の賢者がいた。ムハンマドがイスラム教を開いたのは七世紀。七福神。世界の七不思議。音階は七つ。七言律詩。七言絶句。初七日。七七日。七十七歳は喜寿。七変化。七並べは始まりの数が七。七味唐辛子。七人の小人。そして七色の虹。挙げれば枚挙にいとまがない。
 1から10までの整数を5つずつ二組に分けてそれぞれの積を求めた時、できる二つの数が同じになる組み合わせは一つとしてない。片方は7の倍数になるが、他方は7の倍数にならないからだ。七は特別な数字なのだ。
 七人のメンバーを選ぶ際に。七つのタイプに分類できたのもきっと偶然ではない。あとはそれぞれのグループから一人ずつに絞ればいいだけだ。そう思った。
 しかしそれは700本の藁の山から針を探す、いや針の山から針を探すようなものだった。

 何万も応募があるであろうグループはどのようにして選んでいるのだろう。調べたが残念ながら全ての候補者や選考基準を知ることはできなかったので、選考結果だけを見てみた。新メンバーと旧メンバーの区別がつかなかった。これは交換だ、と思った。
 古くなった部品を新しい部品と交換する。そうすることで『これ』は永遠に稼働し続ける。『これ』を応援する人間からの金銭の供給を受け、音を鳴らしながら稼働する。部品に特徴があってはいけない。部品に求められるのは汎用性だ。だから区別がつかないのだ。
『これ』はしばしば二つ目、三つ目と増殖し、異なる音を鳴らす。つまり『これ』は異物を自ら排除する自己防衛能力と、増殖する自己繁殖能力、応援や金を音やより大きな金に変えるエネルギー変換能力を備えているため、巨大な生命体と言えるが、『これ』には死という概念がない。『これ』の部品になることで承認欲求を満たしたがる女の子が後を絶たない、つまり部品の供給も永遠に続く。
『これ』はもはや完全なシステムである。世界は『これ』をアイドルと呼び、『これ』を応援することを愛や恋と呼び、『これ』の部品を目指すことを夢と呼ぶ。私はシステムエンジニアではないので、『これ』は私の手には負えない。だが、別に駄目だとも嫌いだとも思わない。
 好きのアントニムは嫌いではない。関心を持っているという意味では、むしろシノニムといえる。憎いになると、より強い関心をもっているという意味で、大好きや愛してるに近いだろう。私は『これ』が好きでも嫌いでもない。私は「これ」に関心がない。『これ』を構成する部品たる女の子では、『あれ』は再現できない。そう判断した私は協力の辞退を申し出た。
 しばらくして第二期オーディションは中止になったと聞いた。

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