小説 永遠に0(第六回)



本面が終わった、それは仮釈放が決まったことを意味する。ただし、いつ出られるかは人によってまちまちだ。だからとにかく気が落ち着かなかった。毎週水曜日の朝になると「今週でアガリだろうか」とオヤジから声がかかるのを心待ちにしては、何もなく落胆して、工場で溜息をつくのだった。
結局、運動の時よく話をしていた衛生係の予想通り、声がかかったのは本面が終わって8週目だった。年末年始が絡んでくるこの時期は、10週目や12週目(なぜか偶数が多い)だと可能性が薄いため、8週目なら今年最後の仮釈放される組に入り、それを過ぎれば次は年明けになる。正月は全員にお菓子やコーヒーが出る他、カップ麺のそばやおせち風の折り詰め、餅ではなく白玉が入った汁粉や白米の飯などが振る舞われたり、年越しまで起きていることができたりするので、年越しを刑務所で過ごしてもいい、と思っていたが、同衆から「娑婆だと好きなお菓子や食べ物が好きなだけ食えるんだから、早いに越したことはないよ」と言われていた。だから年越し前に出られることになって良かった。ラーメンを食っている夢やタバコを吸っている夢を幾度となく見たが、ようやく夢が現実になる日が近づいてきた。
荷物を整理して、釈前房に行ったところ、各工場から俺を含めて10人が集められていた。このメンバーで二週間を共に過ごして、12月第三週に出所するのだ。釈前は開放区で、午前は掃除の後風呂、午後は教養ビデオや出所の心構えなどのビデオ視聴、夕方以降は集会室でテレビを見ながら談笑したり、独居に篭って方々に手紙を書いたり読書などをする、わりと自由な場所だった。皆が皆、出たら何を食べたい、帰りはどこに寄って帰るなど帰りのスケジュールを決めるのに余念がなかった。それが決まった後はテレビにK-POPの子や女優が映ると
「どの子がいい」
「好みが被ってるから一緒にキャバクラ行けねえ」
「おれはおっぱいさえあれば誰でもいい」
などと懲役病を発動させていた。刑務所に来て初めて楽しいと思う二週間だった。同じ釜の飯を食った仲間であり、同じ地獄から共に抜け出すチームだった。何人かと禁止されている連絡先の交換をした。雑記帳に姓と名を分けて書き、連絡先は企業に偽装したところバレなかった。バレて消させられていた方が幸せだったということをこの時はまだ知らずにいた。

そして出所する水曜日の朝が来た。皆よく眠れなかったようで、4時には皆支度を完了させていた。朝飯は全員が食べなかった。
「これから食べたいものを食べるのに、なぜ米麦飯と納豆を食べなければならないのか」
と誰かが言い出したからだ。
持って出る物と捨てていく物、返却する物の整理は終わっていたので、帰住旅費と報奨金の精算をした後に、JRの半券、冬物の服を貰った。俺は春に捕まったため、冬に出所するのを見かねてのことだろう。
最後は仮釈放式だ。仮釈放を認める旨が書かれた紙と、仮釈放中の遵守事項がかかれた紙、保護観察所と保護会の地図をもらい、バスで駅まで送ってもらった。
駅前のコンビニでタバコとライターを買って一服したら、久しぶりのニコチンで脳が驚いてクラクラときた。他の者がコーヒーや甘いものを買っていたので、俺もそれに倣ってホットコーヒーとシュークリームを買って食べた。それを買ってもまだ財布の中には4万円弱入っていた。誰かが
「寿司でも食いに行くか」
と言ったが、俺は断った。
久しぶりのニコチンとカフェインのせいか、それとも体力が落ちているせいか、とにかく吐き気がして何も喉を通らない、と感じたのだ。
霞ヶ関の保護観察所へ行き、監察官と今後について話した後、保護会へ向かう途中フラフラになった。空腹もおぼえたのでコンビニに入ったが、どれも食べる気になれず結局納豆巻き1本と麦茶だけ買って、コンビニの前で食べた。
今にして思えば、刑務所はほぼ自動的に飯が出てくる。辛いことや悲しいことも、刑務所にはほとんどない。天国だったのだ。本当の地獄は俺が今いるこの街、この世界の方だ。地獄の沙汰が金次第なのも、困窮している人がいるのも、理不尽な死を迎える人がいるのも、争いが常に絶えないのも、全部ここが地獄だからだ。 これからまた地獄での生活が始まるのだ。

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