景色のゲシュタルト崩壊

思い付いてから時間が経つにつれて(だ、大発見じゃん…)と思っているのだけど、昔、幼稚園児くらいの時、私は高速道路がとても怖かった。
一般道でもスピードが出ている時に外を見ると、ものすごい強烈な違和感というか、「変な感じ」で頭がいっぱいになって、車の密閉感もあってかしょっちゅう泣き叫んで親を困らせていたのを覚えている。「なにがつらいの?」と言われてもまだ言葉の乏しかった私は上手く答えられなくて、「親に辛さをわかってもらえない」ということも辛かった。でも成長してから、できるだけ意識しないようにぼーっとしてみたり、段々感じないように、というかコントロールできるように?なっていった。
そんなこんなでとうとう「変な感じ」の正体がわからないまま10年以上は経ってしまっていたんけど、さっき急にひらめいたのだ。

私はゲシュタルト崩壊を起こしていたんだ。
"景色の"ゲシュタルト崩壊。

何度も同じ文字を見たり書いたりしているとそれが分解されて見えたり本来の意味をなさなくなるアレを、私は規則正しく並び、何度も近づいては遠ざかっていく街灯や道路の白線に起こしていたのだ。だから、外の景色を見ていると、段々と世界が変わっていないのになにか変わっていってるように見えて、ほんとうに気持ち悪かった。

十数年越しの結論が出て、改めて私は昔から言葉にできないような奥底の感覚に鋭敏で、生きにくそうな人間なんだな、と少し笑えた。

実は数週間くらい前に、大学でサルトルの「嘔吐」をテーマにした講義があった。なぜその知識がついさっき幼少期の記憶と結びついたのかはわからないけど、成長して経験して得た、いろんな記憶や複合的な知識が過去の私を掬ってくれることはあるんだと大いに実感した。

これであのころ車の中で泣き叫んでいた私は、これからは少しいい思い出となっていくのかもしれないな、とぼんやり思った。

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