中途半端な点取り屋の末路(終わってないよ)

「はてさて、どこまでが成功でどこまでが失敗なのだろう?」

書いているときは、おはようございます。

もなりんです。

自分が得たいものを完全に得るためというのが、極端にやりすぎるとなかなかいけないですね。

確かに、自分で時間を決めて動けるというのではある意味では望んだところかもしれません。
しかし、その代償で直接相手にされる人が激減し、収入もなし。

自給自足ができるならまだしも、そうではないので絶望的な状況。支払わなければならないものもある。

学生の勉強もそうでした。

テストの点をとるために時間を使う。その代わりに自分の将来を考えたり周りの人間関係をつくったりするための時間を代償にした。

加えて出したい感情やその場での言葉使いがおかしくなり、「嫌だ」ということと、「好き」という根底があることの反対のことが出てしまう。

よくわからないところで泣いたり、怒ったり。

だれかになすがままにされ、自分でどうすればいいかわからずに指示がなくては動けず、しかも普段は人と深く関わることを避けてしまう。

確かに比較的高い偏差値や、県内ではわりといい高校には行けました。

この点では当時としては成功かもしれませんが、中長期的な視点では人としておかしなことになった点で失敗かもしれません。

ただの点取り屋は、ひとつ崩れるとほかの周りも一気に崩れる。

特に「できないこと」や「周りと比較する」ということに敏感になってしまう。

そこから向上心を持てればいいのだが、学生時代はそうではなく劣等感になってしまう。

できるか、そうでないか。
◯か、×かの世界。

そのなかに居続けてしまうと、出るのにも容易ではなくなり、さらにいうと周りの人間もそういう世界にいるからむしろそれが当然のようになり、できない人のことは気にしなくなる。

できる人は、できる人同士で組む。

なんとなくでも、空気でわかる。

「いる世界が違う」と。

そうにしか思えなかった、学生時代。

そりゃ、おかしな人間ができあがるものです。

気持ち的な遊びがなく、ただ目の前のことをこなすだけ。
娯楽的なことをしていても、性格上でどこか余裕がない。

そうした潜在意識に刷り込まれるものを除くのに、何年かかっていることか。

今も仕事から離れていても、何も生み出せず、自活している感覚もない。

うん、相当暗くなってしまった。

ただ本来は、

「この与えられた時間を目一杯楽しみ、いい人間関係のなかで生活をしていきたかった」だけなのに。

どうして、変な方向にいっているのだろうか…。

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