無駄?無駄ではない?どうなんだろう?

書いているときは、おはようございます。

もなりんです。

noteもかれこれ半年続きました。
それで、そうした続いたことでいくつか得たものもあります。

淡々と少しずつ、水滴を貯めるかのように、また1つこうしてよく続いているなというのをみることができているなと思いますね。

我ながら、よくやっています。

はっきりいうと、noteになにかを書くことで地球の環境が変わったり、何かの文学賞をとれたりして一躍人気者になったりとか、そういうことはありません。

そもそも、ネットワークという現実にあるようで実はよくわからない世界のなかにある文字の集合体ですから、消そうと思えばどんなものも一瞬にして消えてしまうものなので、ある意味では「無駄」ともいえます。

しかし、ちょっと待ってほしい。

「そうした無駄とも見える一面が、別の面からみたらかけがえのないものであるとしたら?」

もしかしたら、読んでくれている人のなかには何かの行動を起こしたいと思う人もいるのかもしれません。

また書いている人にとっては誰にも見られなくても、それを書いている瞬間が楽しめていたりという人もいるでしょう。

またコメントのやりとりを通じて、現実世界とはまた違う生きるうえでの柱みたいなものが、その人自身のなかでできている。
そんなこともあります。

もし、これが「いい情報だけを伝えよう」「この分野のここだけ!」というように、変に拘りすぎてしまうと、逆に上手くいかないものです。

それは、人は常に「変わるもの」。
いえ、人だけでなく、すべてのものが多少なりとも「変化しているもの」なのです。

もちろん、生きるために変わらない行動はあります。

それこそ寝る、起きる、ご飯をたべるといったことは生きる上ではまずあるであろう「変わらない行動」でしょう。

それ以外は、正直生きるだけのことを考えるとある意味「無駄」です。

スポーツしたり、音楽きいたり、note書いたり、筋トレしたり、本を読んだりと…。

ですが、どうでしょう。

それらの無駄がなければ、生きている感覚はないでしょう。

だから、無駄が無駄ではないというところもあり、変わるものもある。

noteの内容としても、同じことを決めてかいたらさすがに困りますが、どんな形でもと思えれば大丈夫と思います。

だから、一回一回は無駄としても、あとで振り替えると無駄ではないというのが、多分にあるものですね。

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