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白井さんの独り言(城の中の城 番外編)

 朝が来た。
アラームはいつも六時半にセットしてある。
アラームを止めて、スマホのメール、LINE、履歴などをチェック。

「ふぁあ…」
間抜けな声を出しつつ、部屋に備え付けの小さなIHで珈琲を沸かす。
最近はそんなに強い拘りはなくて、でもマズいのは嫌いだからカルディのグアテマラのやつを飲む。

私がこの仕事に就いてから四年だ。
この仕事の前は、実は私は高級ソープに勤めていた。奥様以外には、特に誰にも言っていないけど。
まあまあの売れっ子だった。
店のルールやマナーが超厳しくて何度も何度も泣いたっけ。
今思うと笑ってしまう。
泣いてた自分にも、ルールの厳しさにも。

20歳で風俗系の世界に入って、目まぐるしく時間が過ぎていった。
特に取り柄というか、特技とかやりたい事が無かった私は大金を稼ぐことの楽しさに取り憑かれていった。
よく風俗嬢のプロフィールには「エッチな事に興味があって…」とか書いてある。
ほぼほぼ嘘である。
風俗系では98.9%が嘘。

60分で女の子のバックは¥7500〜9500。
業種にもよるけど、ヘルスとかだとそれぐらい。
数本ついたら、3、4万は普通に稼げてしまう。
金銭感覚が狂うのも当然だ。
でも、私はもっともっとお金が欲しかった。
かなりお金は貯めてる方だった。
もちろん、美容にはお金を惜しまず投資した。 
私のいた高級ソープでは120分65000円のコースしかなくて、バックはだいたい¥32000〜40000だった。それに指名料がプラスになる。

お店の講習も何度も受け、真面目に取り組んだ。
どうやったらリピートがつくか。
どうやったら喜んで貰えるか。

25歳を過ぎた時、ガクッと体力が落ちてきた。
そして、出勤すると涙が止まらなくなってきた。
お金を稼ぎたいのに、働きたいのに涙が止まらない。
鬱状態だったのかもしれない。

何度もボーイが飛んできて、宥めて慰めてくれた。
発狂せんばかりに泣いてる私を見てみんな青ざめていた。

そして、ついにお客様の前で涙が止まらなくなる。
みっともない声でブサイクな泣き顔で大泣きした………
今思い出しても、申し訳なくなる。
ホントーーーーにお客様は萎えただろうなぁと。

運の良いことに、そのお客様は実は精神科医だった!
良い精神科を紹介してくれて、私は落ち着きを取り戻していった………。
精神科で診察書を書いてもらって、休む、というか辞めることにした。
もう正直風俗で働くのはキツイ。
心が持たなかった。
身体も心もレッドカードをだしていた。

(そろそろ、違うお仕事がしてみたいな…)

ソワソワするような、不安なような気持ちで人生で初めて職安に行ってみた。
もしかしたら、良い仕事があるのでは?というゆるーーい気持ちで。

結果は惨敗。
そもそも、履歴書に書けるような特技も長所も無い。
前職ではしつこいぐらいの…とかマットプレイとかが特技だったけど、一般の仕事では全く必要ない。
当たり前だよね。

これからどうしよう…
とりあえずバイトを探そうかな。
そんな風に考えたり悩んでたりした。

イライラや悲しみを抑えながら、ある日お茶しにとあるカフェに行った。
カフェと行っても、会員制で元一流ホテルのパティシエだった人がオーナーとパティシエをつとめているお店。
予約が取れたので、平日の昼間のんびりブランチ兼ティータイムを楽しむことにした。

美味しいお茶に感動しながらも、色々な不安が胸をよぎる。
このまま歳をとってなんのやりがいも感じず死んでいくのかな…
自分のココロを騙しながら、騙し騙し生きていくのかな…
そんなの絶対に厭。

例えば、この美味しいお茶を提供できる人。
ウェイトレスさん。紅茶農園の人。
みんなどんなモチベーションで動いてるんだろう。

高級ソープの時だって、やりがいじたいはあった。
やればやる程お金になったし、楽しかったよとお客様に言って貰えたら凄く嬉しかった。

ふと、隣の席を見ると上品な御婦人がサンドイッチを食べていた。
視線があったので軽く会釈する。
「ねぇ、貴女。これ食べるの、手伝ってくださらない?思ったより量が多くて…。こちらから半分は手をつけていないから」
その人はふわっと笑った。
そう、ここのサンドイッチやケーキは美味しいのだけど結構量が多い。
「よろしいんですか?」
正直、アフターヌーンティーのセットを頼んで食べていたのでまあまあお腹いっぱいだった。
でも、折角だし頂こうかな。
もうソープはやってないし、ちょっとくらい太っても大丈夫だし。

サンドイッチを頂きながら、色々お話した。
このカフェの事、姉妹店の素敵なフレンチレストランのこと。
「家族はご健在なの?」
と御婦人が聞く。
不思議と気軽に話せる雰囲気の方だった。
ちょっとずつ誤魔化しながら(嘘をつくのは風俗の時の癖だ)ぼかしながら、妹がいますと言った。
歳の離れた妹。
今16歳のはず。もうずっと家族にも妹にも会っていない。
腹違いだけど、まあまあ仲は良かった。

「貴女、何処かへおつとめかしら?良かったら、うちで働かない?秘書を募集してるけど、なかなか良い人がいないのよ」
彼女はホントに困ってるというふうに呟いた。
昼下がりの優しい空気のせいか、お店の会員制の雰囲気のせいか、気持ちのエントランスがゆるゆるになってしまう。

「うーん。実は新しい仕事を探してるけど、なんだかピンとくるものがなくて。…ってワガママなのはわかっていますけど。色々悩み中なんです」

彼女は名刺をくれた。
「気が向いたら電話してくれる?給料もはずむわ」
お礼を言って名刺を受け取った。
お給料ねぇ…前職のお給料を越えることはまぁ無いだろう。
でも、やりがいのある仕事なら。
いや、でもやりがいがあっても給料が少なかったら。
グルグルと同じ事が頭の中をめぐる。私はなんて浅ましい人間なんだろう…。

昼職は出来ないのかな。
私なんかに無理だよね。
ネガティブなことで自分を責めてしまう。


翌週。結局、面接だけでもして貰うことにした!
条件を聞くだけでも可能なのだという。
やるだけやってみたらいいじゃん。
そもそも、その感覚で風俗も始めた筈だった。気がついたら何年も経ってたけど。


面接は、山の中?というか森の中の瀟洒なお屋敷だった。
凄くクラシカルな建物で、ドキドキした。
入り口でセキュリティチェック(!)を受けて、奥のお部屋に通される。
大きなマホガニー製のテーブルの向こうに例の御婦人がいた。

「本日はこのような機会を与えてくださり、感謝しています。よろしくお願い申し上げます」
ソープで習った御辞儀の仕方で心を込めて礼をする。
「ようこそおいでくださいました。お待ちしておりましたよ」
御婦人は、花田レイという名前だった。

花田様(奥様)は、執事がわりの人間を探していること、特に口の堅い人間を探している事を手短に話してくれた。
「前職は何をしていたのか聞いてもいいかしら?」
私は正直に風俗系の仕事をしていたことを話した。
流石に高級ソープであれやこれをしていたのは言えなかったけれど、最初はやりがいを感じていた事、だんだん心を病んでしまっておかしくなった事を話した。

奥様はちょっと俯いて、涙をハンカチで拭いた。
「私のね…娘は………、いえ、いつかきっと話します。またの機会にね。貴女、見込みがありそうだわ。それはそうと、今までの価値観が逆になる仕事をしてみない??きっと人生もひっくり返るわよ」
奥様は微笑みながら、そう言った。

人生がひっくり返る?????

驚いている私を横に、奥様はコールを押して誰かを呼んだ。
30歳くらいの女の人がやってくる。
「初めまして。よろしくお願い申し上げます」
女の人はゆるいドレープのワンピースをゆったり着ていた。よく見るとお腹が膨らんでいる。
妊娠中なのだ。
「彼女ね、井上さんって言うんだけど、ご覧の通り産休に入るところなのよ。でも、後を継げそうな人がいなくて。やってくれるかしら?」
「……」
すぐには返事出来なかった。
(私なんかに、出来ますか?
私に出来ますか?)
私にやらせてください!私こそが適任です。
そんな風に言えたらカッコ良かっただろう。
小学校の時テレビのドラマで見たキャリアウーマンの女の人みたいに。

「私にやれるかはわかりません。やった事ない仕事ですから。でも、やってみたいです」

奥様は微笑んで合格よ、と言ってくれた。

翌朝から早速研修が始まる。
引っ越しをするまもなく、最低限の荷物だけ持ってここに住み込みで働くことにした。
メモをとりながら、一所懸命井上さんの話を聞く。
やる事が多い…逆にやる事が無いときは、世の中が平和な時だ。
DV、精神DVもない世界。

必死に仕事を覚えて、一緒に車で駅までゲストさんを送迎。
三か月が過ぎたら、ゲストさんをまた送り出さなくてはいけない。
地方自治体のルールで暗黙のルールになっているのだという。
お屋敷には豊かな財源があった。
今も株、債券、不動産で増やしていっている。
それから、募金も有り難く使わせてもらっている。

一番苦しい事は、ゲストさんの闇と苦しみが大きい事だった。
時々、飲み込まれてしまいそうになる。

今、ここにいる時は幸せだ。
美味しいごはんも食べられる。
衛生的な住居、美しい大自然。
でも、また外の世界に出たら自力でどうにかしなくてはいけないのだ。
だから、自立支援が必要になる。
そしてなるべく手に職をつける。
これが難しいのだけど……。
でも、オンナは強い!
立ち上がってみるみる間に元気になって出て行く人もいた。

井上さんが去ってしまい、無事に赤ちゃんが生まれましたと連絡を受け、密かに涙をこぼしていた時…
モモがやってきた。このお屋敷に。

めちゃくちゃ驚いた。
モモは私の妹だ。
顔をボコボコに腫らせて、下唇も切れていた。
記憶も曖昧。
というか、受け答えもちゃんと出来ない。頭も強く殴られたようだ。
何故こんな目に遭ったの?!
社協さんが一緒にやってきて、涙を堪えながら教えてくれた。
「無認可の風俗で働いていたか、援助交際をやっていたようです」
社協さんも詳しくはわからないが、援交の時に最悪な目に遭ったのではないかと…
クスリを打たれていないか、医者を呼び調べて貰った。
クスリ関係は全部クリア、セーフ。
安堵でその場に座りこんでしまった。
同時に、

なんでこんな事したの?!
お金が必要だったの?

と怒りが沸いた。
モモは、元々大人しい、普通の子だった。
でも、友達もちゃんといて、本当に仲の良いタイプの子と深く付き合う子だった。
本を読んだり、下手くそながらもピアノを弾いたりするのが好きなタイプだった。
自分の好きなもの、好きなライフスタイルをわかってる子だったのに…

でも、私も同じだ。風俗にいたんだから。

モモのリハビリが始まった。
少しずつ良くはなったけど、凄くスムーズに話せるわけではない。

「おねぇちゃん」
舌たらずな感じで話しかけてくる。
休憩の時に、ふと思い出してハーゲンダッツのクッキーアンドクリームをあげた。
昔からモモが好きなやつだ。
「買いに行ってくれたの?」
そこだけ、すらすらと話した。やったあ!とモモは喜んだ。

実家にいた時、コンビニに行くついでに買ってきてよとよくせがまれた………
今思い出した。私はまた泣いた。


その後。奥様に頼み込んでモモを働かせて貰った。
モモは時々さぼる。
ちゃんとやる時もある。
お庭で蝶々を追っかけている。

「生きてたら、良い事もあるわよ。生きてるだけで百点よ」
奥様の言葉が嬉しかった。
意味合いが重かった。でも、長く生きてきた女性の重みだ………。

さて、思い出話はここまでにして。
今日の仕事のタスクを脳内でピックアップ。
今日は新しいゲストさまをお迎え。
桜の間は昨日既に用意してあるから大丈夫。
弁護士との相談はお昼寝一時から。

そうそう、新しく来た大川ノアさんの借金ね。
別に帳消しにはなっていません。
ちょっと純真無垢すぎるわねあの子。ちょっと心配になる。

彼氏さんにそのまま突き返しましたよ。うふふ。
だって本人のものは本人のものだし。
念のため、監視も付けてあります。
しばらくは泳がせといていいでしょう。
もう、ノアさんには関係ない事だからね。
新しい人生を生きるんだから。


そうそう、裏社会のネットワークね。
風俗の時のネットワークがちょっとだけ活きることもあります。
例えば○○組はどこどこの風俗やってるとか、●●グループはもう潰れそうだとかね。
絶対役に立たないでしょこんな事。って思ってけど、ちょっぴりは役に立つのが嬉しいです。あはは。


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