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そして繭になった

今日は朝から繭になった私。

小さい頃から苦手だと思っていた叔母が電話越しに母に難題をふっかけていた。私の就職先がどこになったのか?そこは大丈夫なのか?…と。

当然、母は何も答えられない。
なぜなら同居しているウチの母は、私が12月半ばから会社に行かなくなったことを根ほり葉ほりと聞いてくることはなかったから。
そういうところには本当に感謝をしていて、私は家で泣くことは1度だってなかった。

だからこそ、私が心の病を抱えているということは、どこか薄くて軽い印象があったかもしれない。我が家はいつも笑顔が絶えなかった。

突然、乱入にしてきたウチの叔母は、電話越しに「あんたが分からないなら本人と変わって」と言ってきた。

「就職先のことを聞きたいんだって。かわってって」と携帯を差し出されたとき、私にはそれがすごい悲しみに変わってしまった。

「心療内科に通ってるの。本当にやめて」と言ってベッドに潜り込みワァワァと泣いてしまった。

電話の向こうで慌てた叔母が「心配してるだけなの」と言ってるのが聞こえてきたけど、私にとってはそれが余計に追い風となって涙が止まらなくなってしまった。

心配して、色々聞いて、そこがダメだと判断したら、何かしてくれるのか?ダメ出しだけして終わるのでしょう?半年かけて苦しんで、転職活動をして、やっと決めた就職先なの。新しい会社だから、情報がネット上にも出てこない。私こそ不安はあるし、聞かれても答えることが出来ない。一番探られたくないところを突いてるの。

それに、そこじゃない。今の私は、就職先がどうかじゃなくて、今、一歩踏み出したことに意義を感じていて、それに向けて調整してる最中なの。
最初から出鼻をくじかれたくない。何も分かってない。壊れた心が優先されなかったことが悲しかった。

泣き晴らすというのは、こういうときに使うんだろうな。
ボロボロじゃない。さめざめと泣いた。涙は昼を過ぎても止まらず、布団をかぶって繭になった私を心配して、母は私のそばを離れようとしないので、最後のほうは根気負け。トイレは我慢できないわ。

14時を回ってから、私は静々と昼食の準備をした。

あんまり長く泣いていたので、鏡に映った自分を見て驚いたんだけど。泣き晴らした目をどうにかせねば。泣き晴らすと本当に「泣き晴らした目」になるんだなぁ。自分でも見たことのない顔。目が半分になってた。

よく「人の心に土足で入る」とかっていうけど、こういうことを言うんだろうな。

祭日でも予約を取ることが出来たので夕方からは歯医者だった。
そのあと、気心知れた友人と食事をした。私が繭になった話もした。

就職も決まって、もう大丈夫だと思ってた矢先の自分の身に起こったことに不安を感じていた私に

「そりゃぁ、そう簡単に治るわけないものだよ」と言ってくれた。

夜の20時を回り家路につく頃には、まるで何事もなかったように元気に帰宅した。

「ただいま。いちごをもらったよぉ」

私が頂いた苺を母がとても喜んでくれた。

#適応障害 #転職 #休職


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